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「あなたは……?」
短い黒髪を逆立たせた横長な目にスッキリした鼻筋が清潔感を醸し出していて、その彼がにこりとマルティアーゼに微笑みかけてきた。
「僕はザックス、楽団員だよ」
「楽団員……?」
「そう、音楽で旅をしてるんだ、君はあの兵士達に追われてるのかい」
優しそうな目で見てくるザックスにマルティアーゼは頷いて答える。
「大丈夫、告げ口なんてしないよ、町が騒がしくなったと思ったらお客さん達が皆帰っちゃうし、兵士は走り回って何かを探してたから何事かと思ったよ、そしたら後ろで大きな音がして、振り向いたら君が隠れてるのを見つけたからこれはもしやと思ってね」
おっとりとした口調だが丁寧に説明をしてくれた。
「どうして助けてくれるの?」
「サンでは色々と嫌がらせされたからその御礼だよ、この国では殆ど稼ぎが出来なかったよ、他の町でも兵士に出て行けとか、暑いのにうるさい音を出すなとか言われて散々だったよ、国民に嫌われてるのはよく知ってるからね、音楽がうるさいなんて全く信じられないよ」
ザックスは手を挙げて口をへの字に曲げて言った。
「……」
なんと返事をすれば良いのか黙り込んでいると、
「おいっザックス支度しろ、次の町に行くぞ、そこの嬢ちゃんも一緒においで」
通りから声が掛かる。
「はい今すぐ、さぁ君も一緒に行こう、逃げてるんだったら僕達といたほうが安全だよ」
「……でも」
「いいから」
ザックスは笑顔を浮かべて手を差し出してくる、それにマルティアーゼはそっと手を乗せた。
布で顔を隠しながら通りに止まっていた大きな馬車に乗せられると、荷台にいた人達に一斉に目を向けられた。
馬車の荷台には男女七人と御者がいて、そこにマルティアーゼとザックスが乗り込むと荷台は一気に窮屈になった。
「君はこの中に入って、暫くの間だから我慢してね」
積み荷の箱の中に押し込められると、馬車がゆっくりと動き出す振動が伝わってきた。
外ではザックスがマルティアーゼの事を説明をしているようで、ヒソヒソ話が聞こえていた。
馬車がすぐに止まったのでもう着いたのかと思ったら、またすぐに動き出した。
(何処に行くのかしら、もし南になんて向かっていたら大変、折角逃げてきたのに逆戻りになっちゃう)
暗い箱の中で何処に向かっているのかも分からぬまま時間だけが過ぎていき、どれだけ経ったのかウトウトと眠りに陥りそうになっていると、馬車が止まり箱を叩く音で目が覚めた。
軋む音と射し込んでくる明かりで眩しそうに目を庇いながら、マルティアーゼが顔を出す。
「もういいよ」
ランタンを持ったザックスの手を借りて起き上がったマルティアーゼは、周りを見回してみた。
荷台には誰も居らず、いつの間にか辺りは暗くなっていた。
「ここは……」
馬車から出たマルティアーゼは火を囲んでる人達の所に連れて行かされると、ザックスから紹介された。
「これが僕らの楽団、月の夜楽団だよ、あれが団長のドラメさん」
「やあ、体は大丈夫だったか?」
口と顎に髭を生やした小太りの男性が手を振ってくる。
「私はフーチャよろしく」
「私はヴァリ」
「俺はドーラムだ」
「クラリよ、よろしく」
「シルバだ」
「トロントです」
「……ギータ」
皆がそれぞれ自己紹介を終えるとマルティアーゼも、
「マールです、助けて頂いてありがとう」
「実は僕はこの中では歳は上だけど一番の新人なんだよ、皆楽器を吹くのが上手くていつも足を引っ張ってるんだ、ははっ」
ザックスが頭をかきながら照れくさそうに言うと、
「練習をサボってばかりいるからだ」
団長のドラメは長細い木を咥えながら、先端に火が点いた葉っぱから煙を吸っていた。
紫煙をまとわりつかせた顔で文句を言っていたが、怒っているでもなく穏やかな表情だった。
「精進します……」
そう言われたザックスも反省の言葉を口にするが、落ち込んでいるのではなくなんとなくお決まりの合言葉のように返事をしていた。
「まぁ座って食事でもしたらどうだい、お腹も空いてるだろう」
団長に言われて開いてる場所に腰を下ろすと、横からクラリが料理を差し出してきた。
「豪華とは言えないけれど、何もないよりはマシよでしょ、食べて」
「ありがとう」
平べったいがもちもちとしている焼いたパンと、煮込んだ肉のスープだけの簡素な食事だったが、マルティアーゼは有り難く平らげていく。
「で……君はどうして追われていたんだ、追われるようなことでもしたのかな、儂等は余所者だ、この国に肩入れする義務なんてない、通報するならあの時君を差し出していただろうし安心しなさい」
団長のドラメの声は静かで優しく、夜の静けさを壊さないように慎重かつはっきりとした口調だった。
「この国で国王に会う機会があって、そこでこの国のことを伝えたら怒らせちゃったみたいなの、ふふっ……、国と民の信頼関係がないって言ったら怒り心頭だったわ、若い国王だったけれどかなり甘やかされてるみたいで、周りの臣下達は何も言わず突っ立ってるだけだったわ、先代から仕えてる人が止めに入ってくれたけど、柱とも言うべき人間があれではこの国はお終いね」
マルティアーゼは国王の真っ赤な顔を思い出してくすりと笑った。
「何故そんな状況になったかは知らないが、それだで追われていたのかい、何とも大人げない王様だな」
「アルステルに戻れれば、こんな国なんてもう二度と来ないわ」
「アルステルかい……」
「ええ、友人が待ってるの、それが何か?」
団長他、皆の表情に翳りが見えた。
「それは済まない事をした、この国の服を着てたから此処の人だと思ってたんで北には向かわなかったんだ」
「……えっ? じゃあここは何処なの」
マルティアーゼの予想どおり北に向かってないと聞いた時、貧血のような目眩を起こした。
(ああっどうしよう……アルステルの道のりが遠くなる)
「儂等は今、東の町ダブグゥスに向かってるんだがいけなかったか……」
「……東?」
マルティアーゼはそれを聞いて、取り敢えず戻っていないことが分かっただけでも少し胸のつかえが取れてほっとした。
(東ということは海の方かしら……、海ねぇ……)
「明日来た道を戻って北に向かってもいいが、そのほうが良いかな」
「ドラメさん、それはもう遅いと思うよ」
そういったのは静かに話を聞いていたドーラムだった。
見た目は若そうなのに低い声で、彼の声は地鳴りのように足元から伝わり、音というより振動で言葉が聞き取れるような気がした。
「ほう、どうしてそう思うんだ?」
「だって彼女は此処の人じゃないんだろう、あの町で見つけられなかったら必ず国を出るために検問所に行ったんじゃないかって思うだろ、通ったかどうかの確認も兼ねて必ず連絡をしに行くはずだよ、今から行っても検問ではくまなく調べられるかも知れない、国を出ていないと分かれば後はゆっくりと探し出せばいいだけで、時間が経つほどに捜索する人数も増えてくるだろうし、後は見つかるのは時間の問題だよ、なんせここは砂漠なんだ」
ドーラムはそれだけ言うと黙り込んでしまった。
「ふうむ……、それなら増々儂等は間違ったことをしてしまったんじゃないかな、このままだと袋小路に入ってしまうな……困った」
初めて会った人達が、マルティアーゼの為に何とかしようとしてくれている事に感動を覚えると共に、巻き込んでしまった申し訳無さも感じていた。
「そこで良いです、その町まで連れて行ってもらえますか」
マルティアーゼが皆に伝えた。