142 巨城の小王
「これからですか? でもまだ昨日の今日ですよ、何も今すぐでなくても……」
「国王が一度会ってみたいと仰ったのだ、体の方はどうかな?」
「ええ……大丈夫ですが……、私に何か?」
ダレイヌス侯爵の顔にも焦燥が浮かんでいた。
「済まないことをした、こんなことになるとは思ってもいなかったのだ、ただ首領のカブースを捕らえた報告を済ませ、これを機に盗賊の残党を国内から一掃するようにお願いに上がったのだが、お主の事で国王が興味を抱いてしまわれたのだ、恩人に対し本当に済まないことをしたと思ってる、儂から何度も只の旅人だと申し上げたのだが、それは自分の目で確かめるから連れてこいの一点張りで……」
昨晩は国王への説明と説得が長引いて夜更けまで掛かったため、城の客間で仮眠をとって帰ってきたらしいが、結局国王の説得が上手くいかずマルティアーゼを連れてくるように言われたらしい。
「……いいですよ会います」
マルティアーゼもサンという国の王がどんな人物か確かめたいと思っていた、今の状況を招いた施政者の顔をひと目拝んでからアルステルに帰るのも、皆に聞かせる話題の一つになりそうだったからだ。
「では早々に支度をしてきて貰いたい」
「支度……といっても、このままでも大丈夫ですが」
自分の服は洗濯に出され今着ている服以外なかったのだ、あとは杖や短剣とお金ぐらいなものでそんな物を城に持っていけるわけもなく、支度と言っても何もするような事はなかった。
「その服装じゃいけないわね、すぐに用意させるから部屋で待っていて頂戴」
ジーナ婦人が慌てて家政婦達のもとに走り出すと、
「準備が出来次第出発する、それまで私も自室で少し休むとしよう」
朝から邸宅の中が家政婦達の走る音で騒々しくなり、部屋で待機していたマルティアーゼに服を運んできた家政婦達に、有無を言わさず着ていたものを脱がされていった。
「では出発」
馬車に乗せられたマルティアーゼは、隣に座るダレイヌスに城での国王に対しての注意点を教えられた。
「よいか、とにかくあまり話さぬことだ、国王が興味を持ちそうなことや意見するようなことで怒らせぬように、聞かれたことだけに「はい」か「いいえ」で答えておればいい、それでなくともお主の容姿だけでも十分と人目に付くからな、何事も少しの辛抱だと思ってくれ」
ダレイヌスは額の汗を拭いながら口早にそう告げた。
「……」
マルティアーゼの方は綺麗な濃紺のドレスに着替えさせられ、町の売り子のような大人しめの服装だったが、纏めた銀髪に濃紺などどう見ても余計に人目を引くような格好になってしまっているのに、その事にはダレイヌスは気付いていない。
(こんなに動揺するなんてどんな国王なのかしら、好き勝手していて国のことを考えていない我儘な王なのか、気難しくちょっとしたことで癇癪を起こすような人物なのかしら、少なくとも臣下を困らせようとする王ならかなりの癖者かもしれないわね)
馬車はすぐに城の前に到着した。
兵士が集まって来てダレイヌスが馬車から出てくると並んで敬礼をする、続いてマルティアーゼが降りると兵士の中から感嘆の声が漏れ出した。
「陛下の下にこの者を連れていく、丁重に扱え」
「はっ」
見上げる城まで石の階段が真っ直ぐに続いている。
階段の両端には一定の間隔で兵士が立って見張りをしており、その間を兵士二人に先導されながらダレイヌスとマルティアーゼがついて上っていく。
兵士達と太陽の熱い視線を受けながら、マルティアーゼは階段を一歩ずつゆっくりと上ってる途中で気付いたのは、居並ぶ兵士達の後ろには窪みがあり、その日陰になった場所にも兵士達が待機していたことだった。
正面からは見えない場所で、交代する兵士の休憩場として作られているのだろうか、傍目では警備が手薄に感じていても階段にいる兵士だけでも百はいたかも知れない。
見られることには慣れていたが、今は公女としてではなく一介の旅人を装わなければならない。
なるべくうつ向いて平民のふりをしなくてはいけないのに、マルティアーゼは昔のように威風堂々と顔を上げてダレイヌスと歩いていた。
眼前に城門が見えると、マルティアーゼは後ろを振り返り町を一望してみた。
縦長の町を囲む両側の大きな壁が、視界に収まるぐらいまでに上がってきて、中央には大きな湖が町に囲まれているように見える。
眼下の町だけ見れば通りには木々が立ち緑豊かで、とても砂漠にある町だとは思えなかったが、壁を越えればそこは不毛の砂漠が広がっている現実があった。
(この町だけを見れば平和なもの……、他の町とは大違いだわ)
「おいっ、行くぞ」
ダレイヌスに呼ばれて開け放たれた城門を通って城へと入っていくと、中庭の真ん中を突っ切るように廊下が建物の入り口へと続いている。
そこから城の建屋に入ると、女官達が並んで待ち構えていた。
「ダレイヌス様、陛下がお待ちになられております」
「うむ、分かった」
先に女官が国王に通達に向かっていくと、
「よいか、くれぐれも粗相のないようにな」
「わかりました」
続いて女官に連れられながら二人が階段を上がり、謁見の間へと向かう。
城の中は涼しく快適な気温で、此処にいると外の暑さを忘れてしまいそうになるぐらい居心地が良かった。
(大きな城のお陰ね、飾りや彫刻、床にも惜しげもなく贅を尽くしているわ、まるでこの城のためだけに国があるみたい……)
「ダレイヌス侯爵様の謁見でございます」
女官が軽くノックをすると、中から兵士の声が聞こえてきて重々しくゆっくりと扉が開いていく。
「下を向いていろ」
開け放たれた扉のあとにダレイヌスが入っていくと、彼の足元を見ながらマルティアーゼも後に続いて進んでいった。
両脇にはこの国の重鎮達が並んでおり、ひそひそと長い絨毯を進む二人に目を向けながら呟いている。
「陛下おまたせ致しました、こちらがカブース捕縛の際に捕らえられていた人質達の救出に尽力を尽くしてくれた者でございます、陛下にご挨拶を」
マルティアーゼはそろりと前に出ると跪いて頭を垂れた。
「陛下にはお初にお目にかかります、ロンド・マールと申します、此度はこのような場にお呼びいただき至極恐悦でございます」
「私がサン王国国王サン・ラー・レンだ、面を上げよ」
うら若い声が広間に響いて、マルティアーゼはゆっくりと顔を上げる。
王座に座っていたのは王冠を頭に乗せた青年と思えるほどの若い王だった。