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「これを着るの……」
手にとった布は肌触りもよく、すべすべとしていて薄くて軽かった。
「……」
着方を知らないわけではなかった、沿岸州で着たような体に巻いていく着付けだったが、こんなに薄い布は初めてで透けてしまうのでは無いかと疑問に感じた、しかし裸のまま出歩く事も出来ず仕方なく腰に布を巻き始めていく。
暫くして部屋から出てきたマルティアーゼは、上下別の布で体を包みおへそを覗かせた色っぽい姿だった。
上半身は胸を持ち上げるような恰好で、布を乳房の下から肩にかけて回して胸の真ん中で交差するように二、三回巻き付けていく、布の余った分は室内にいる時には肩から背中に垂れ流して外套のように、外に出る時は顔を隠して日差しから守る使い方だった。
下半身はくびれに引っ掛けるように腰に巻いてから、右腰から左足、左腰から右足と斜めに大きく三回程交互に包んでいけばスカートのように足首まで隠す事ができる。
最後にサッシュで腰の布を止めれば出来上がりである、横の隙間からは風が入り込むので通気性もよく空気の乾いた地域ではとても着心地が良い。
簡単でいて荷物になりにくく、熱い砂漠では男女問わず昔ながらの布の服を着ている者は多く、既婚者は肌を隠す人が多いが未婚者には好かれている。
体型がよく見えて情熱的で魅力的に見られようとするのは沿岸州と同じく、熱い地域の人々の特徴でもあったが、沿岸州ではふわりと巻きつけるのに対し、サンでは体の線に沿ってぴったりと巻き付ける違いがあった。
マルティアーゼも少し体の線を隠すように緩めに巻いていたが、廊下でサマナに会うと、
「それじゃ駄目ですよ、もう一度部屋に戻ってください」
そう言われてサマナに着付けをやり直されてしまった。
「着ていた服は洗濯に出しましたので、当分はそののお姿でお過ごし下さいませ」
締め上げるように胸を持ち上げられ少し苦しいぐらいに巻き直されると、
「これじゃなんだか恥ずかしいわ」
くっきりと体の線が浮き出た格好になったマルティアーゼは、恥ずかしそうに自分の体を見回した。
「此処ではこうやって着るんですよ、ほら綺麗になった、やっぱり赤を選んで良かった、とてもお似合いですよ、何処かのご令嬢と言っても誰も疑わないぐらいですよ、なんでまた砂漠に一人旅など危険極まりないことを……」
「は……はは……」
中年のサマナが目を輝かせてマルティアーゼの全身を眺めながら言う。
それはマルティアーゼ自身が聞きたいぐらいの質問で、目覚めた時、そこが砂漠だっただけで今でも何故? という疑問はあった。
「さぁさ、次は食事の用意が整ってますから食堂に案内しますね、こちらに」
奥に通されると広い室内には長い卓が置かれ、その上にはたくさんの料理が並べられていた。
外の明かりを取り込まずに、燭台の明かりだけが灯る薄暗い室内は落ち着きのある雰囲気だった。
「こちらにお掛けになって下さいませ」
「……ええ、ありがとう」
部屋にはマルティアーゼだけでまだジーナ婦人は来ていない。
「あの……婦人は?」
「もうすぐ来られますよ、今暫くお待ち下さい」
静かな部屋で一人料理を目の前にしたまま座って、室内を見渡してみた。
(こういう席に座るのも久しいわ、あれから何年……グレン叔父様は元気かしら、全ての記憶が遠い彼方に消えたと思っていたのに、こうして同じような場所に居ると思い出せるなんて、まだ私の中に存在していたんだわ)
壁にかけられた肖像画や活けてある花々を見ると、昔の記憶が甦ってくるようであった。
(もう戻れない場所……、そう覚悟を決めて出てきたのに、今になって懐かしく会いたく思うなんて自分勝手ね)
「お待たせさせちゃったわね」
はっと現実に引き戻されたマルティアーゼは婦人に顔を向けた。
深い緑色のドレスに身を包み、髪も綺麗に結ってもらい後頭部でまとめていて、細い首から肩まで肌を露出させていた。
「お腹が空いたでしょう、存分に召し上がって下さい」
「ありがとうございます」
「無事この家に帰ってこられたのが信じられないぐらいですよ、それに夫の名誉までも守っていただいて感謝してもしきれませんわ」
マルティアーゼは少し恥じらうように、
「いえ、あの時は咄嗟に出た言葉だったので……」
ダレイヌス侯爵がカブースに妻を取り戻すために頭を下げようとした時、マルティアーゼが止めに入ったあの言葉だった。
この国の爵位ある者が盗賊に懇願する姿勢を見せてしまうことは国の権威が地に落ちたことを人々に示してしまう、それは国に立つ者が見せてはならない最後の砦のようにマルティアーゼの中では許されない行為だった。
「夫もこの国全体の悲壮感、無気力に当てられていたのかも知れません、夫はあのような行為をするような人ではないのです、国を想い国の為に心血を注いできたのですが、国が夫の話に耳を傾けなくなってきてからはあの人も何だか心身ともに弱ってきてましてね……」
「そうですか……」
「まぁまぁ、こんな話をしていたら食事が不味くなってしまうわね、料理が冷めてしまう前に食べましょう、サマナ」
ジーナ婦人が手を叩くと、隣の部屋からサマナがスープを運んできて、卓の料理から皿に取り分けてくれた。
柔らかいパンに煮込んだ肉のスープや果物と野菜を、ゆったりとした時間の中、一口ずつ味わいながら静かに堪能していた。
ジーナ婦人は食事をしながら時折マルティアーゼを横目で見つめていて、食後のお茶の時にこう切り出した。
「マールさんはご出身は何処です?」
「えっと、……ローザンです」
「それは北方の東にあるという国ですか?」
「そうです」
婦人は驚いたように口を押さえた。
「どうしてそんなに遠い所からこんな砂漠まで来たのですか、しかも一人で……」
「一人ではありません、もう一人……もし無事ならアルステルに居るはずです」
「無事……とは? 何かあったのですか」
「海ではぐれた後、溺れてしまって……気が付いたら盗賊達の牢屋にいたんです」
マルティアーゼもどう話せば良いのか迷ったが、簡潔に此処に来た要点だけを言った。
「それは大変な目に……それではアルステルに戻ればお友達がいるということですね」
「ええ……多分、それに旅の途中で出会った子がもう一人アルステルで待っているので、どうしてもアルステルに帰らなければならないのです」
「アルステルもかなり遠い国、早く帰りたいことでしょうが今は十分に体を休めて下さい、帰路については夫と相談してみますわ」
その日、ダレイヌス侯爵は夜更けまで邸宅に帰ってこず、マルティアーゼが再び出会ったのは、次の日の朝だった。