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床は綺麗に磨き上げられた石畳で、飛んでくる砂埃が溜まらないように毎日きちんと掃除がされていた。
広間から通路、居間まで全ての天井は高く壁には彫刻が彫られて豪奢で、入り口を入った所から床には絨毯が続いている、まるで城に居るような懐かしい雰囲気を思い出させた。
窓も大きかったが直射日光を遮るためか数枚の窓以外、カーテンで閉められているが、それでも強い日差しは十分に明かりを取り込むことが出来たし、決して暗いということはなかった。
案内されたのは通路に面した部屋の一室だった。
「こちらの部屋をお使いくださいませ」
邸宅に入ると、サーナは言われた通りにマルティアーゼを賓客としてもてなした対応で、恭しく丁重に案内をしてくれた。
「サマナ食事の用意をお願い、ここ数日あまり良いものを食べていないのよ、あと湯浴みの用意もね」
ジーナ婦人がそう言うと、
「かしこまりました、すぐにでも取り掛かりますので、それまでお部屋でお待ちくださいませ」
と、サマナが急ぎ足で奥へと引き下がっていった。
「貴方も……、ええっと……お名前をまだ聞いていなかったわね、私はジーナよ」
「私はロンド・マール、マールでいいです」
「ではマールさん、少しの間、部屋で休んでいて頂戴、サマナが呼びに来ると思うわ、お話はまたあとでね」
「はい」
そういったジーナ婦人は自室へと歩きだすと、マルティアーゼも部屋の扉をそっと開けて入っていった。
客室用だが整った調度品に香水のいい匂いが鼻をついてくる。
「何だかやっとまともな所で寝られるって感じね」
港町コーバの宿以来のまともな寝床だった。
あれからどのくらいの月日が経ったのか、既に遠い昔のような感じがしていて、トムは無事に陸に辿り着けたのか、ちゃんと竜の骨をボルドさんに渡してくれたのだろうか、アルステルで待つスーグリは寂しがってはいないだろうかと、心配事は沢山あった。
(まさか私が今、砂漠にいるだなんて誰も思っていないでしょうね、自分でも信じられないんですもの、あんなにもう砂漠は懲り懲りと言ってたのに)
窓に立ちカーテンを開けた。
目に入ってきたのは中庭の菜園で、僅かながらではあるが作物を育てているみたいだった。
砂漠という不毛の土地でさえ水があれば緑が育てることは出来る、不純物が少ないせいか発色が良く、伸び伸びと葉を広げ精一杯陽光を全身に受けている。
「もっと水があればこの大地に緑を増やせられるのに、どうしてもっと木を植えないのかしら……」
そんなに簡単にいくものならとうの昔にやっていただろう、水をやってもこの暑さですぐに乾いてしまい、育つまでの労力はマルティアーゼが思っている以上に厳しく、小さな菜園ぐらいならまだしも、広大な砂漠を緑いっぱいにするには想像以上の水が必要になり、到底あの湖だけの水量では無理な話だった。
コンコン、とノックする音が聞こえて出てみると、サマナが湯浴みの支度が出来たと言ってきて、そのまま後を付いて部屋から出ていった。
すす汚れた体に細かい砂が髪の毛や肌にこびり付いているのを、改めて自分で確かめてみると急に気持ち悪さがこみ上げてきた。
「こちらに……」
サマナに付いていくと湯浴み用の部屋に通され、カーテンで隠された奥には満々と水を湛えた大きな桶があった。
「そこにあるものはご自由にお使いください、桶の水は汲んでもらって洗い流すように、くれぐれもつかる物ではないのでご注意を」
「……ありがとう」
サマナが部屋から出ていくと、手前の脱衣所で服を脱ぎ始めた。
上着を脱ぐと日に焼けた小麦色の顔の色とは別の白い肌が顕になった。
元が白い肌だっただけに、砂漠の日差しがどれだけ白い肌を焼いていたのかがよく分かるほどに、首回りにくっきりと境界線が出来ていた。
「……アルステルで少しは色が抜けたと思ったけれど、またこんなに焼けていたなんて、日よけの帽子でも被っておかないとアルステルに帰ったら私だと気付いてくれないかも知れないわね」
顔と手以外は純白の肌になったマルティアーゼは、水を汲むとゆっくりと肩から水を流していった。
透き通った水が肌に伝って流れると、
「冷たい……それにとてもきれいな水ね、火照った体にとても気持ちいいわ」
埃と砂が洗い落とされていくと、本来の艷やかな肌が蘇ってくる。
水を弾くきめ細やかな張りのある肢体は、幼い体型から大人へと変貌を遂げてきていた。
背丈が伸び全体に細長くなったふうに見える体は、くびれた流線型のお腹に、腰から伸びる足は明かりに反射して一筋の光を照らし出している。
そして特に成長を促したのが胸だった。
少食のマルティアーゼが何処からその栄養と集めてきたのか、膨らみは以前よりも大きくなったが重みでたるむことなく重力に反発する様に上向いていた。
「また少し大きくなったかしら……、これ以上大きくなられると動きづらいわ」
自分で胸に手をかけて一人呟く。
側に置いてあった香剤を手に取って体に擦りつけていくと、花の香りが部屋いっぱいに広がっていくのを、マルティアーゼは気持ちよさそうにその匂いを嗅いだ。
「これは何の花かしら、いい匂い……」
他国でしか買えない香剤は砂漠では貴重品で、貴族の間では人気があり取り寄せには数ヶ月は掛かる代物だった。
そんな貴重な物とは知らないマルティアーゼはたっぷりと体と髪に塗り込み、良く水で洗い流していく。
香剤は水で洗い流しても消えることなく、汗をかくと全身から匂いが漂ってくるようになっていた。
灰色の髪も積もった埃を取り除くと輝く白銀に変わり、汗や油が洗い流されるとふんわりと柔らかな髪に戻った。
「生き返る気分だわ、海に浸かり汗や砂にまみれて傷んでいるのかと思ったけど、それほどでもなくて良かった」
湯浴みが終わり軽やかな気分で服に着替えようとした、すると脱いだはずの服が一式見当たらない。
「私の服がないわ」
そこに置いてあったのは、二枚の赤い布切れとサッシュだけだった。