139 オアシス
首都サンに到着したのは二日経ってからだった。
タムサには二人の女性が兵士に送り届けられ、五人になった女性達はようやく自分達の安息の地へと辿り着いた。
堅牢な城壁の中はタムサとは打って変わってとても賑やかで、もうすぐ夕刻の時間に近付いてきているためか通りに面した市場には活気があった。
街中には高い木々が規則正しく植えられていて、木の下では沢山の人が涼しみながら午後のお茶を楽しんでいる様子が見受けられる。
捕らえたカブース達はマルティアーゼの治療のお陰で、途中死ぬことも暴れて脱走するような事もなく、厳重な監視の下、首都まで連れてくることが出来た。
(首都は他の国と変わらない活気があるのね)
中央には大きな湖と言っていいぐらいの水辺があったが、水浴びをしたり洗濯をしたりする人達は何処にも見当たらない。
常に湖の周囲には兵士が警備をしていて、水を汲む場所が決まっているのか人々が列をなして並んでいる。
その水辺の向こう岸に見えるのが、首都サンの象徴とも言うべき国王が住まう国城が見えていた。
最も高い建造物の城は、低い家しかないこの国では青い空がくっきりと輪郭を浮かび上がらせ一際大きく壮大に感じられる。
(まるで首都だけが安全であればいいって感じね、あんな大きな城を建てられるだけのお金をもう少し治安に回せないものかしら……)
昔マルティアーゼが感じていた国民の格差、王族の生活と眼下の町の貧困層の人達の生活との差を見て、自分は何も知らずにのうのうと生きていた事に少なからず驚いたものだった。
上は下を見ておらず、けれど下は常に上だけを見上げている。
一見すれば上の者が幸せのように見えるがそうではない、貧困であろうとも人々は強く幸せを掴もうと必死に生きているし、与えられる幸せではなく掴み取ろうとする生きる強さにマルティアーゼは非常に憧れ、自分もその中に身を投じてみた。
幾度の旅を続けてきてどれだけ自分が世間知らずに育っていたのかを身を持って知ることが出来たし、少なからず書物だけの知識では人に語れないことを知った。
だからこそなのか、国を巡っているうちに国の悪い所に目がいってしまう癖が付いてしまっていた。
初めて来た首都の風景にもマルティアーゼは惹き付けられたが、こうすれば良いのでは、こういう所を直せば国民が喜ぶのではないかと考えながら、馬上からキョロキョロと首を振って町並みを眺めていると、住民達からじろじろと視線を投げかけられているのに気付いた。
いつの間にか、一団の行列に住民達から何事かと注目を浴びていたのである。
その先頭に侯爵のダレイヌスが歩いていれば仕方なかったかも知れない、それはもう顔を振り向かせないわけにはいかなかった。
人々から歓声や声を掛けられると、それに応じてダレイヌスも手を振っていた。
サンでは中々の人気のダレイヌスであるのは住民の顔を見ていてよくわかった、少しでも近付いて直接話しをしたいと思う人々が道を塞ぎ始めていくのを、兵士達が前に出て道を確保していく。
少し広まった場所に出ると、ダレイヌスが停止を命じて、
「他の町の者以外はここから自宅まで送り届けよう、後日事情聴取をすると思うが疲れもあるだろうから自宅で待機して体を休めてもらいたい、どの者かな?」
すると、女性達が次々と手を挙げて、早く帰りたそうにしていた。
マルティアーゼとダレイヌス婦人以外、全員が兵士に連れられて各自の家までの帰路についていった。
去り際にバスティが後日迎えに行くからと告げると、兵士に守られて足早に去っていった。
(私だけが残ってしまったわ……)
「ふむ、お主だけか……」
「貴方……この方には我が家で休んで頂きましょう、それが良いですわ」
「いいだろう、彼女のことはお前に任せるとする、儂は国王の所に行ってくるので後は頼むぞ」
「はい」
婦人がマルティアーゼを自宅に呼びたいと夫に伝えると、ダレイヌスは快くその提案を受け入れた。
マルティアーゼは兵士に守られ婦人とダレイヌス邸宅へと向かうが、その途中に婦人に聞いてみた。
「あの……婦人、私は身分の知れぬ旅の者、貴族の邸宅などに足を踏み入れて本当に宜しいのですか?」
「身分が分からぬからと監視付きの牢屋で寝泊まりさせた方が宜しかったですか、おほほっ冗談ですよ、命の恩人たる貴方をそんな場所で寝泊まりさせられないでしょう、気兼ねなく過ごしてくださいませ」
「……」
湖を通り過ぎ、城に近付くにつれて兵士の数も増えてくる。
そこかしこに兵が見回りをしていて、それにつれて家も横幅のある大きな住宅地に変わっていた。
殺風景な茶色に変わりはなかったが、柱には彫刻が施されていたり家の周りが塀で囲まれて各家々の前には兵士が二人以上立っていた。
ダレイヌス邸はその最も奥にあり、城に近い場所に小さな城のような大邸宅が建っていた。
「さぁどうぞ」
門から宅までもかなり距離があり、家とは別の建屋がいくつかあって、馬小屋だけでも何十頭と飼えるだけの広さに兵士達が馬の面倒を見ていたり掃除をしている姿が見えた。
「大きな家ですね」
「私兵も同じ敷地内に居ますので必然的にこの大きさになってしまいましたのよ、これでも手狭なぐらいなのですよ」
ローザンの諸侯達の家でもこれ程広くはなかった、元々が森を切り開いた土地だったので領土はあっても建物を立てる土地はさほど広くはない。
僅かな土地に密集した家々が立ち並び、細い路地がぐねぐねと入り組んでいるような場所と比べると、砂漠の町は幅のある通りに何処に居ても太陽の日差しを受けるような広々とした所だった。
「奥様! よくご無事で」
家から出てきたのは執事と家政婦達で、婦人の帰宅に皆で取り囲んで喜んだ。
「皆心配しておりました、奥様が攫われたと聞いて旦那様はそれはもう烈火のごとく飛び出していって……、ううっ、本当に良かったです、流石は旦那様でございますね」
「心配させてしまったわね、でも助けてくれたのはこの彼女なのよ、彼女がいなければどうなっていたのか……」
夫が頭を下げようとしていた事実は告げなかった。
「ええっ……こんな小さな子がですか、あらまぁ……こんな可愛い子がそんな危険な所に一人でねぇ……」
マルティアーゼは不思議そうに見られて居心地の悪さを感じながら、苦笑いをしていた。
「サーナ、あまりジロジロ見つめるのは失礼ですよ、彼女を賓客として丁寧に扱って頂戴、いつまでもこんな所では休むことも出来ないわ、さぁ中に入りましょう」
「はい、分かりました、ではお嬢様こちらへ」
マルティアーゼはサーナという家政婦に促されて邸宅へと入っていく。