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マルティアーゼに毎回食事を運んでくる彼女の名はノーヴァと云う、あれから三日間で聞けた唯一の情報だった。
マルティアーゼの世話をしている時も必要以上に話さず、初日から今まで、こちらから聞いても固く口を閉ざしていたが、ようやく名前だけは聞くことが出来た。
話してはならないとでも言われているのか、無口な彼女の横顔は緊張し何かに怯えているように感じられる。
「一体何日ここにいればいいのかしらね」
ここの主はいつまで経ってもやって来ず、いまだノーヴァだけしか人と会っていない。
早くアルステルに帰りたくとも、ここから出ることも出来ないのではどうにもならない。
「ねえノーヴァ、ここの人は何時になればやってくるの? もし貴方が連絡を取れるようなら私が会いたがっていると伝えてくれないかしら、もうこの通り元気になったからお礼も言わないといけないわ」
「……」
ノーヴァは頷くだけだった。
それきりまた何日かを牢屋の中で過ごしていると、ノーヴァが何人かの男の人達とやって来た。
「ほう、これはまた上物ではないか」
「…………」
その含みのある言葉にマルティアーゼは目を細めて、警戒しながら男達を見た。
どれも品のあるような服装をしておらず、野暮ったい恰好に無精髭の濃い、傭兵くずれの感じがする男達だった。
「嬢ちゃんはどこの貴族の娘だ?」
一番前にいた体格も背も大きな男が剥き出した黄色い歯を見せながら、マルティアーゼに聞いてきた。
「……何の事を言ってるのか分からないわ、貴方がここの主……でもなさそうだけれど、ここは一体どこなのか教えて貰えない?」
一語一語ゆっくりと相手を逆立てしないように話す。
「聞いてんのはこっちだぜ、おいっ、ここが何処なのか教えてねえのか」
大柄な男が後ろにいた細長い男に言った。
「へい、頭領に余計なことを教えるなと言われたんで」
(頭領……)
細長い男は腰に剣を帯刀しているが、剣を握れるのかと言うほど腕も細い分、背は高く、木が立っているような感じを受けた。
「ふんっ、まあいい、どうせ外に出りゃすぐに分かるだろうしな、それよりどこの娘か答えろ」
「だから、何のことよ……私は貴族でも何でもないわ、只の旅人よ」
「馬鹿言え、只の旅人でそんな綺麗な顔のやつが大金持って歩いてるか、……どうしても白を切るならそのお体に聞くしかねえな……ぐへへっ」
「……」
褒められているのか貶されているのか、大柄な男はいやらしい目つきで足元から上にかけて視線を滑らせていくのを、マルティアーゼは身を引いて逃げた。
「兄貴、駄目ですぜ、頭領から金になるから手は出すなって言われてますから」
慌てて後ろの細長い男が大柄な男に説明すると、
「馬鹿野郎、そんな事をバラすんじゃねえよ、脅しにならねえだろ」
激昂して細長い男をぶん殴った。
「す……すいやせん」
「ったく……、おい女、手を出すなって言われたからって調子に乗るなよ、おめえの命はおめえ次第だからな」
そう言うと、男達はぞろぞろと牢屋から立ち去っていった、残ったノーヴァは眉をひそめて何かを訴えるような顔をマルティアーゼに向けていたが、そのまま男達の後を追って行ってしまった。
「……何だったのかしらあの人達、勝手に墓穴を掘っていったわ……」
(あの人達、頭領とか言ってたわね、あれが盗賊って人達なのかしら、私は何処かの盗賊に捕まったってことになるのね、じゃあノーヴァも盗賊の一味……)
あまり実感のわかない現実に、どうしたら良いのかさえ考えが浮かんで来なかった。
(随分肌も焼けて庶民の暮らしに慣れてきたと思ってたのに、何処かおかしかったのかしら……)
浅黒く日に焼けていても顔立ちが変わるはずもなく、言葉使いもまだまだ垢抜けたとは言えない口調だが、本人はかなり物腰を柔らかく話しているつもりだった。
自分の身に何が起こっているのか、少しずつ情報が入ってくると、自分が海で溺れてから何処かで此処の盗賊に拾われたのだろうと推測出来た。
(彼らは私をどうするつもり、お金になるってどういうことなの)
所持金は既に取られてしまっていて、無一文の自分に何の価値があるというのかさっぱり理解出来なかった。
マルティアーゼには時間の感覚がなかったが、次の日にノーヴァがまた男達を引き連れてやって来た。
昨日の男とは違い、背丈も体つきも随分と普通だったが、茶色いぼさぼさ頭を後ろで束ねて括っていて、無骨な輪郭に鋭い目つきだが、左目は見えていないのか閉じた瞼の上には大きな傷が走っている。
後ろにも二人、知らない男達が付き従っているが、人相が悪くいかにもな性格の男達はマルティアーゼを見てニヤついた顔を浮かべている。
「お前もタムサに連れていく、出ろ」
男はマルティアーゼを見て何も思わないのか、無表情のままそっけなく言う。
「その前に貴方は誰なの、ここがどこなのか教えて頂戴」
「俺はここを束ねるカブースだ、それだけ元気なら問題ないだろう、早く出ろ」
「ここは何処なの、束ねるって……貴方は盗賊ってことでいいのよね」
マルティアーゼは確認を取ろうとしたが、カブースの方は苛ついた感じで、
「一つ言っておく、何度も言わせるな、出ろと言ったらさっさと出ろ!」
「……」
マルティアーゼはそれ以上口を開かずに言われた通り牢屋を出た。
長くひんやりする道は岩を荒削りした壁が剥き出しで、でこぼこする壁には等間隔に蝋燭が灯されていて暗い感じはしなかったが、広くもない道は圧迫感があって不気味な感じがした。
マルティアーゼとノーヴァは男達に前後を挟まれながら進んでいく。
壁に木の板で塞いだ部屋がいくつも並んでおり、この洞窟は住居も兼ねているのかと、マルティアーゼは少しでも情報を手に入れておこうと横目でしきりに周りを確認していた。
扉の上部には小さな小窓が付いていて、そこから覗く女性や老人と目が合ったりする。
中には子供が覗いていて、マルティアーゼに何かを訴えていそうな悲しい目をしていた。
(ここは住居ではないのかしら)
もしかするとこの部屋も牢屋だったのかも知れないが、それを聞こうにも男達は黙って歩き続けていて何かを聞けるような雰囲気でもなく、そのまま部屋を通り過ぎていく。
明るい光が行手の洞窟を明るく照らし出してくると、マルティアーゼは久しぶりの陽光をその身に浴びた。
「うっ……」
暗闇に慣れた目が酷く痛み、体中が一気に燃えるような感じがしてきて立ちくらみがしてくる。
「おいっ、歩け」
後ろから背中を押されフラフラしながら歩き始めると、荷馬車の前でカブースが乗れと顎で催促してきた。
荷台にマルティアーゼとノーヴァを乗せた馬車は、後ろから馬に乗って付いてくる十人ほどの男達と共に動き出した。
目が慣れてきたマルティアーゼは周りの景色に目をやる、何処もかしこも茶色い風景に草木が僅かに生えているのが分かるぐらいで、色も枯れた薄い茶色で一見すると景色に紛れ気付かないぐらいだった。
岩と砂の平原を、砂埃を上げながら道なき道をひた走る。
(街道も見当たらないのにどうして道が分かるのかしら、ここは砂漠……?)
砂漠だとすればかなり南にまで流されてしまったのか、それとも砂漠まで連れて来られたのか、どちらにしろアルステルに帰るにはかなりの時間を有するのだとマルティアーゼは考えていた。
「ねえノーヴァ、私達何処に連れて行かれるの?」
「……タムサの町、そこで取引されるの……」
「取引? 誰と取引するっていうの、売られるってことなの」
ノーヴァが首を振って、
「私達は捕まったのよ、お父様が私を取り戻すためにお金を用意してるはず、その受け渡しをタムサでするために向かってるのよ、私はお父様がお金を用意出来るまで此処でもう一ヶ月は捕まっているの、今日でやっと家に帰れるわ」
ノーヴァは目を潤ませて言う。
「じゃあ洞窟にいた人達も捕まった人達?」
「そう……皆捕まって連れてこられた人達、私があの人達の世話をやらされていたのよ、貴方のこともね」
「うるせえぞ、静かにしてろ!」
馬車の手綱を持つ男が大声で怒鳴ってきて、マルティアーゼは黙り込む。
(身代金目的の誘拐って事なら……)
自分はどうなるのだろうか。
相手は貴族の娘だと思いこんでいるが、砂漠になど知り合いが居るはずもないマルティアーゼは、これから自分はどうなってしまうのか必死に考えたまま馬車はタムサの町へと到着した。