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銀の魔導   作者: 雪仲 響


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111 内海の夜

 質素な魚料理で腹を満たすと、部屋であの老人の話をもう一度話し合った。

「あの人の言うことが本当なら気を引き締めないとなりませんね」

「霧の島ね……、テボロサーレみたいな感じかしら」

 人々は魂を浄化されず、長い年月薄暗い洞窟に縛られ続けた霧の町。

 濃霧に包まれ逃げることも出来ず、見えない人影に追われて入った城では姉によって囚われた王女と出会い、姉カリーヌの持つ銀の杖を破壊して魂の解放を行った町だった。

 あそこでは白い霧の中に蠢く見えない住人達が、マルティアーゼ達に助けを求めていたのに気付きもせず迫りくる恐怖に逃げていたが、あの背筋がゾワゾワとする感覚をこれから行く島でも感じるのかと思うと寒気がした。

 相手が見えている恐怖とは違い、眼の前で見えない何かに襲われて手も足も出せない恐怖はこの上なく恐ろしい。

 多くの人が行って誰一人戻ってこないという島は、どんな相手がいるのか想像もつかないが少なくとも其処には死が待っているに違いなかった。

「そうね、十分気をつけて行かないといけないわね」

「もし危険だと感じたら骨なんて拾わず引き返しますからね」

「ええ、死んでは元も子もないわ」

 朝もやの中、舟場まで歩いてきたマルティアーゼ達は人気のない漁港からそろりと船を漕ぎ出していく。

 漁師達に見つかり引き止められると二度と島に行けない様がして、皆が起き出す前に港を出たかったのである。

 向かうは岬のその先の孤島、誰も戻ってこなかった霧の島に緊張と不安を抱えながら静かに出港していった。

「ふん……やはり行きおったか、命を粗末にしおって馬鹿者が……」

 小さな船が朝もやに消えていく姿を高台から見ていたドルエンがぼそりと呟き、背中を向けて歩き出した。

 ドルエンの頭には亡くした息子と歳の近かったトムの姿が重なり、昔の事が脳裏によぎっていた。

 船は海がキラキラと輝き出す頃には岬を越えていた。

 とうに町の姿は見えなくなり、絶壁が続く陸地を横目にぐんぐんと陸から離れていく。

 穏やかな波に酔うこともなく、清々しい潮風に髪を掬われながら沖へと進んでいた。

「もうあんなに陸が遠くなったわね」

 青い海面に一筋の白い船跡を作りながら何も見えない海原に出ていこうとしている一艘の小船を遠くから見れば、誰もがそんな小船で死にに行くのかと思ったに違いなかった。

「思ったより乗り心地は良いですね、舵も軽くて良かった」

 小船といっても二人だとかなり広く感じられる幅のある船で、荷物を置いても余裕で足を伸ばして横になることが出来た。

「悪いことを言っちゃったわね」

「もう昔みたいに咎める人のいない王宮でもないんですよ、人の気に障る発言は抑えてもらわないと問題を起すだけですよ」

「そういうつもりはないのだけれど、つい口走っちゃうのよね」

 船はその間にも遠く陸から離れ、水平線と見紛うぐらいうっすらとしか見えない所までやって来ていた。

 トムが一生懸命漕いでいても一向に進んでいる様に思えず、見渡すかぎりの青い波の真ん中で漂っている感覚に、漂流しているのではないかと見間違ってしまうようだった。

 太陽の直射を受けて火照る体に、外套を羽織って日陰を作っても、蒸し暑さでつい外套を脱いでしまう。

「アルステルじゃもうすぐ雪が降るかも知れないというのに、此処は熱いわね」

「かなり南下して来ましたからね、こう気温の急激な変化は体に堪えますね」

「海だから涼しいかと思っていたのに波に反射してくる光だけで汗が出てくるわ、これじゃ日陰を作っても意味もないわね」

 照り返しに外套で作った日陰に意味がないことを知ると、脱ぎ払って頭の上だけを隠すことにした。

 腋汗に服は濡れて、今直ぐにでも海に飛び込みたい気持ちを抑えながら、船の行方をじっと見つめている。

 青い海と白い雲に荒れてくれないかと不吉な考えを思い浮かべながら、空を睨んでいたマルティアーゼだったが、暑さで横になるとそのまま疲れて眠ってしまい、目覚めた時は眼前に満天の星空が輝いていた。

(夜になってる……)

 起き上がると船頭のいない船が波に揺られていた。

「トムは……」

 直ぐ横にトムは寝息を立てながら眠っているのを見て、

「船が流されるわ」

 漕手が居ないとなれば船が流され方向も判らなってしまうと、マルティアーゼが慌てて櫂に手を伸ばそうとした。

「……ん、起きましたか」

「トム! 船が流されるわよ」

「大丈夫ですよ、前と後ろに重りを落としてますから流されませんよ」

「でも方向が判らなくなってしまうわ」

「船首が向いてる方向が行き先です、前後に重りを落としておけば向きは変わらないですから心配いりませんよ」

 そう聞いても周りは真っ暗で、月明かりに照らされた青黒い海は何処を見ても水平線しか見えない事に不安を覚えた。

「まだ夜明けまでには時間があります、ゆっくりと体を休めておいてくださいよ」

 そういったトムはまた横になって目を閉じた。

 しかし、マルティアーゼは直ぐに眠ることが出来ずに、じっと波間を見ながら暫く船に揺られていた。

(黒い海……、昼間は海底が見えるほど透き通っていたのに今は何も見えない真っ暗な海だわ)

 覗くのが怖くなるほど暗く、盛り上がる波が生き物のようにうねりを繰り返してるのを見て、得体の知れない物が顔を出してきそうな感じに思えてくる。

 その波を優しく照らす月は、表面の模様が間近に見えるほど大きく白い光を放っていた。

 船に打ち付ける静かな波音を聞きながら、マルティアーゼはふと父と母を思い出した。

(お父様やお母様はまだ私を探しているのかしら……、もうすぐ二年になるのだからもう諦めているでしょうね、宮殿に居たときには知ることすら出来なかった本の中の世界を、実際に歩き触れて感じてみて分かったことを二人に教えてあげたい、こんなにも世界は広く、多くの人が色んな場所で生きていることを、王族が安全で不自由なく暮らしている裏で、ひもじく切磋琢磨しながら精一杯生活を送ってる人がいることを教えてあげたい)

 だからといって国に帰ってしまえばそんな話どころではない大騒ぎになって、まともにマルティアーゼの話に耳を傾ける余裕も与えられず、部屋から一歩も出る事を許されない事態に陥るだけだろう、そんな事は百も承知だったので帰る気は無かったが、しかし、上に立つ者にはそういう世界の実態というものを知ってほしい気持ちはあった。

(あの星達は常に人々の生き様を見下ろし世界の行く末を眺めている……幾百、幾千年もの間の出来事をどう思いながら見つめているのか、同じ人同士で殺し合う憐れな生き物だと思うか、それとも睦まじいささやかな幸せを享受する愛らしい生き物だと感じているのか、変わらぬ場所で見下ろすあなた達にも教えてあげるわ……、人の生なんて一瞬の出来事のように見えるかも知れないけれど、その一瞬にあっても人には沢山の喜怒哀楽があるのよ、喜び愛し合い、嬉しく抱き合い、悲しみ慰め合う、時には憎しみ殺し合うけれど人は愚かではないのよ、教え理解し合い、思い分かち合う事ができれば人は笑顔で生きていけるわ、例えそれが苦しい時であっても私はそう思うの……おかしいかしら、でもそう思いながら生きていきたいわ……)

 最後は自分に対しての決意に変わってしまったが、マルティアーゼの想いは常に楽しく生きる、生きて欲しいということだった。

 横になり見上げる星々に、

(貴方達は其処で眺めているだけで十分なの? 近くに来て手に取り感じてみようとは思わないの? 私は違う……聞いただけや読んだだけで世界を知ったとは思えないわ、経験してみて初めて分かる新鮮な感覚というのは……例えようもない興奮を覚えるのよ……、もっと……もっと知りたい……)

 静かな寝息が聞こえてくる船は、黒いシルエットを残したまま広い海の真ん中に漂っていた。

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