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スーグリは宝物庫に入ってからずっと寡黙を保っていたが、やっと明るい外に出られたことがとても嬉しく思っていた。
「で、ここは何処なの?」
「王墓の近くのようです、あれですよ」
裏庭の宝物庫が遠く見えていた、そこは更に奥に来た広場のようで、少し高台になっていて王城の二階が目線の先に見えている。
その高台には草が生い茂っていたが、墓石の頭が草むらから飛び出ていたので、そこに墓があることは分かった。
周りにさっきの三人組の姿もなく、
「幾つも墓があるけどもう盗られてしまったかしら、どの墓なのかしら」
「それは直ぐ分かりました、あの墓の裏ですよ、あの周りにだけ草が倒れていました」
トムが言う場所はマルティアーゼ達の所からでも分かるぐらいに、ポッカリと空間が空いていた。
三人がそこに行くと四角い扉が開いていて、穴の周りの草には踏み倒された形跡があった。
「奴らも此処に来たという事は、この場所で間違いないですね」
「なんか臭わない? 何ていうの……酸っぱい匂いというのかしら、腐った嫌な臭いがするわ……」
開いた扉の方から漂ってくる臭気は、腐った肉みたいに吐き気を催しそうな匂いだった。
これ以上近寄りたくないと頭では分かっていても、少しずつ扉の方に足が出る。
扉の中を覗くと、階段の途中で男が倒れているのが見えた。
さっきスーグリを羽交い締めにした男の服は破れ、下半身が水に浸かった状態で事切れていた。
「どうして地下に水が溜まっているんでしょう、それにこの匂いは……うっ」
鼻孔の奥が痛くなる酸っぱい匂いに、三人は口と鼻を押さえて男をよく見た。
黒い水からは白い煙が立ち上り男の体が徐々に溶け出していて、下半身は既に骨が見えるまでに溶け、見るも無残な姿になっていた。
すると、水の底から浮かんできた物に三人は驚き、草むらに嘔吐してしまった。
長い髪がまとわりついた裸体の肌は溶けて、剥き出しになった筋肉と脂肪の肉塊となってしまった女性は、マルティアーゼから本を取り上げたあの女だった。
さしものトムもこの惨状に我慢が出来なかったのか、視覚と嗅覚の刺激に耐えきれず地面に手をついて何度も吐いている。
三人は昨日たらふく食べた獣の肉を全て吐いても尚、吐き足りぬかのように胃が痙攣を繰り返した。
匂いが鼻につく度に思い出しては何度も吐きだし、暫くの間、三人のうめき声が辺りに響く。
「はぁはぁ……ううっ」
痙攣が収まり立ち上がったトムが、口を拭いながら、
「何ですかこれは一体……、この者達に何があったと……我々が閉じ込められていた間に、彼らは何をしてこんな姿に変わり果ててしまったんでしょうか、もし先に此処に来ていたのが我々だったと考えるとゾッとします」
「これはキツイわね……、見た目だけじゃないわ、この匂いよ……吸い込む空気そのものが嗚咽を催すわ」
かなりの体力を嘔吐で使い息を切らしたマルティアーゼが、よろけながら立ち上がって言った。
「うぐっ……もう嫌です、早く帰りたい……臭いし気持ち悪いし食べた物全部吐いたしお腹も減ったあ」
スーグリは泣き喚いて早く帰ろうと懇願したが、何も得ずこのまま帰る訳にはいかないマルティアーゼは、意を決してもう一度穴に近付いてみた。
階段の途中まで浸水している水は黒く濁って、潜って取りに行く等、到底出来そうもなかった、それにこの人間を溶かしている水は一体なんだろうと、転がっていた木の棒を投げ込んでみた。
すると白く鼻をつんざく煙と共に、沸騰したように泡が湧き出てきた。
熱湯ではないのは確かで、覗いても熱さが伝わってこない。
「この水は毒……、どうしてこんなのが地下に溜まってるのかしら、彼らが地下で死んでるってことは中で何かをしたからよね」
突然、近くの草むらが揺れて、男が這い出てきた。
「貴様ら……騙したな!」
男の顔は見分けもつかないぐらいに溶けていて、手や服も血だらけになりながらマルティアーゼに触れようと這いずってくる。
ズルリズルリと、肘を前に出しては重々しく体を引きずる度に、皮膚は剥がれ男の通った後を赤く血で染めていく。
「……!」
出てきた男に一瞬息が止まり声も出せずに体は硬直したが、直ぐにマルティアーゼは素早く後ろに飛び退いて男から離れた。
伸ばしてきた男の手は、空中でだらしくなく地面に折れ曲がって落ちる。
「罠があるのを知ってただろ……う……」
開けた口は大きく裂け、瞼の無くなった眼光はマルティアーゼを直視したまま、永劫の世界へと旅立っていった。
「…………」
突然の状況に口を塞いだまま男の死を見つめていたマルティアーゼに、トムが近寄ってくる。
「大丈夫ですか、これで三人とも死んだわけですね、それにしても酷い有様だ」
「罠と彼は言ったわ、そんなこと私達は知らなかったけれど、彼らのお陰で私達が助かったって事なのね、代わりに杖も手に入れられなくなってしまったわ」
「これはもう我々のようなリムとは関係のない人間には手出しさせないという、彼……杖を守っていた彼の強い意志が働いた結果ではないでしょうか、今回は我々の手に余る仕事ですよ、生き残っただけでも良しとしてアルステルに帰りましょう」
探し当てたと思った杖が目と鼻の先にあったとしても、手に入れる術がないのであれば、これ以上この場所に留まる意味もなく、後はもうアルステルに帰るしか無かった。
「結果的に貴方達の願ったとおりになったわね、ここの水が無くなるまでに何年、毒の効果が無くなるにはもっと掛かるでしょう、その間にこの地下も草が生い茂り姿を隠してくれるかも知れない、このことを知ってるのは私達だけ……、宝物庫の彼の生き様は誰にも知られることはなくなるかもね」
「それでいいと思います、彼の残した杖がリム王の子孫に渡らないのであれば、このままそっとしておいたほうが良いと思います、さぁ、もう日も暮れます、早くここから離れましょう」
長い時間眠り続けた王政の杖は日の目を見る事なく、また深い眠りについていく事になった。
次こそは待ち望んだ人によって発見され、主の元に手渡されることを願いつつ、マルティアーゼはそっと扉を閉めてその場から離れていった。