1 灰色の公女
人々が四季折々の日々の中、季節を感じながら貧しく喧騒が絶えない生活の中で力強く、何気ない話題で盛り上がりながら幸せな人生を謳歌していた。
子供はその中でたくましく色々な経験を実践して、善し悪しを大人たちから褒められ怒られることで社会というものを肌で感じながら覚えていた。
大人達は自分達の人生を幸せなものとするため、家族や恋人たちと明日も楽しく生きていけるように仕事に邁進していた。
好きなところに出かけることも自由だし、生活を変えるためにほかの地に移住することも自由でもある。
それが一般民衆の人々の生き方であるが、王族、貴族のような国の中心の人々にはそれを簡単に叶えることが出来ない役目がある。
国を守り運営し治めることが第一であり、生活にも制限がかかる。
身なりを整え礼儀礼節を重んじ、なにより自分の国の王に誇りと忠誠を誓っている。
生活自体が国のためであり国家存亡の危機が訪れれば、お国の為にその命を捧げなければならず、国のために戦地におもむき命をかけて戦わなければいけない事もある。
庶民との生きる理由には大きな差があり、そこで生まれた子供にとっては生まれ出た瞬間からその使命が重くのしかかる宿命でもあった。
貧しくとも自由、裕福でも束縛される人生、どちらがいいのかは昔から議題に上がり、お互いを羨ましく思いながらも結論は出ずにいた。
ローザン大公国、建国二十数年の若い国家であり、多種多様な民族が入り交じっているため統制がいまだ確立していない。
そのため裕福層と貧困層の確執がひどく、城下町の中でも普通の人はこの先からは立ち入ってはならない地区など暗黙の了解などが出来ている危険な地区もある。
郊外の街道沿いにもなると、家と云えるのかという程の掘っ建て小屋が建ち並んでいる場所も存在するほどである。
その辺りになると昼間でも護衛なしでは危険な目に遭うこともある、とはいえそれは一部であり、国とて手をこまねいて放置しているわけではない。
法を整備し住宅地を整え、少しづつ人々の受け入れと職の斡旋を行い、貧富の差を縮めようと国は努力はしていたが、国庫の問題もあり遅々として進まない。
下町の人々はそんな不満を抱えつつも日々殺気立って生活をしているわけではなく、国の対応や不満を持つ人達が、裕福層の人々を見つけると地区によっては嫌がらせや喧嘩が絶えなかっただけである。
貧困層の人々は普段は気さくで和気あいあいと人情味が溢れていて、何かあると協力し合いお互い助けあわなければいけないというのはよく分かっていた。
この明暗を含めた国こそが今のローザン大公国の国情であった。
その下町の危険な地区に近い場所で、あまりにも場違いな人物が城下町の街中にいた。
夕刻の商店街を歩いている少女。
あたりは夕食の支度で煙突からの煙が立ちのぼり始め、帰り支度をする露天商が品物を片付けている。
その中をきょろきょろと楽しそうに歩きながら、お店の品を買うでもなく物珍しそうに見て回っている少女に、
「嬢ちゃん見ない顔だね、なにか入り用かい」
「いえ、いいのよ、いろんなものがあるから楽しくって」
店主が声をかけ、それに笑顔で答える。
「そろそろ店を閉めたいんだが、もういいかい」
「ごめんなさい、どうぞ」
場に合わない言葉使いで答えると、ほかの開いてる店に向かって歩き始める。
そうやって何軒もの露店の商品を見ては次の店に、という具合に露天商が通りにいなくなるまで見て回っていた。
すでに通りは夜のとばりがおり、もう見るものがなくなった少女は商店街から外れた路地へと消えていくと、喧騒の消えた通りの街灯に火を灯され始めていく。
家々から明かりが漏れ、酒場が賑わい始める時間。
子供は姿を消し、仕事終わりの大人たちの繰りだす時間になってくる。
時間が経つにつれ酔っ払ったものが出始めると、それを目的に不埒な輩も姿を現し始めてくる、毎夜お決まりのこの街の夜の姿だった。
ガシャ、ガシャと靴音を石畳に鳴らしながら巡回する警備兵が、夜通し町の治安を守るために警備が行われ始めるのもこの時間からだった。
城の周辺は比較的裕福層の家が建ち並び犯罪がすくないが、城から離れるほど治安も悪くなる。
警備兵も治安の悪い場所を重点に見回りが行われ、必ず二人から四人の隊を組んで巡回をする決まりであった。
「お前たちはそっちの通りだ、気をつけろよそこの通りからごろつきどもが増えてくるからな」
一隊の隊長が指を差しながら命令をする。
四人の隊が二手に分かれ、命令を受けた二人は一礼をすると、言われた通りの道に向かい歩き出した。
「全く、自分達は楽な地区ばかり回りやがってむかつくぜ、なぁお前さん、警備に回されてどれくらいだ」
「はい、まだ二ヶ月ほどです」
「そうか、なら教えといてやるよ、この辺りからは酔いどれ通りっていってな、酒場が連なってて毎日のようにへべれけになったやつらが道端で寝転がってるが気にせずにな、中には絡んでくるやつもいるが適当にあしらってればいい、やつらは俺たちみたいなお堅いものに難癖つけてウサを晴らしたいだけなんだ」
「はぁ、そうでありますか、自分はまだこの辺りの警備は来たことがないのでご教授助かります」
「はははっ、堅い堅いもっと気楽にいけ、名前はなんていうんだ」
「トム……、トム・ファンガスであります」
「そうかトムか、うんうん、よろしくな、俺はカール・ドノバンって名だ、カールでいい、仲間からはお気楽ドノバンって云われてるけどな」
二人は会話をしながら酔いどれ通りの両側から聞こえてくる喧騒の中を歩いていた。
「ようよう兵隊さんよ、今日も酔っ払い相手に説教たれに来たのかい、がははっ」
道端で酒瓶片手に寝転がってる酔っぱらいが二人に大声で話しかけてくる。
「ああ、そうだよ、財布を盗まれる前にさっさと家に帰るんだな、こんなところで寝るなよ」
カールはそう云いながら、通り過ぎていった。
後ろで笑い声が聞こえるが気にもとめない。
その後も何人か二人に話しかけてくる者を相手にしながら、酔いどれ通りを抜けると裏通りに入っていった。
喧騒から抜け出すと一気に静けさがやってくる。
「まったく今日も忙しいやつらだな、ははは」
「いつもあんな感じなんですか」
トムはすこし疲れたように言った。
「そうだな、ああいう相手をするのが嫌だから、隊長が俺たちみたいな下っ端にこの地区をまかせるんだよ、だが今日のところはいつもよりマシだな、今日はまだごろつきを見ていないからな、そういう奴らは目つきが違う、常に何かを狙って目を光らせているんだ」
「はぁ、そうでありますか……」
カールがそう言って、次の通りを指差し曲がり角に来た時、路地から人が飛び出してきた。
「こら、止まれ、こんなトコで何してる」
ぶつかりそうになった相手をすれ違いざまに腕を掴み、カールが怒鳴った。
俯いたままの小柄な相手に、
「こんな夜になにしてたんだ、小僧」
カールが掴んだ腕に力を込める。
子供はなおも俯いたまま腕から逃れようと体をよじるが、カールが力を入れて子供を引き寄せた。
「えい、小僧こっちを向け」
強引に引き寄せると、街灯の明かりで子供の顔があらわになった。
白銀のきらめくような灰色の髪が、振り落ちた帽子からこぼれた。
ふわりと長い髪が肩から流れ落ち、大きくくりっとした青い瞳がカールを睨んできた。
「あっ!」
「……あっ」
二人が一斉に声を上げ、呆けたように口を開けてあ然とした。
「マ、ママ……マルティアーゼ様!」
カールがどもりながら言う。
「痛いわ、離して」
「あっああ……申し訳ございません」
慌てて手を離すと、少女は手をさすり落ちた帽子を拾った。
「し、しかしなぜこのような場所にお供もつれずに、しかもそのような姿で……」
白いシャツに革のジャケット、下はふわりと柔らかそうな布のズボンを履き、つばの大きめの帽子をかぶっていた。
しかしその端正で白くきめ細かい肌はこの下町の住人には似つかわしくなく、品性の宿した顔に大きな瞳は何処かの令嬢といえば誰でも信じるに違いなかった。
だが彼女は令嬢などというものでは片付けられない、この国の公女である。
カールとトムにとっては式典や参列などの警備で、遠くからではあるが何度か見たことのある見知った顔であった。
その時の姿はきらびやかな衣装をまとい、結い上げた髪に輝くティアラを乗せて父君のローザン大公の後ろをうつむきながら慎ましげに歩く、この国の希望の花である第二公女マルティアーゼであった。
弱冠十四歳の彼女の父親は武勲で功を上げ極東の地を与えられると、その周辺の民族を平定させ一つの国家として周辺国に認めさせたオリス・ローザン大公。
その大公の二番目の娘である。
妻のアリアーゼ大公妃は隣国の姫のお付きの侍女で、大公が縁談で行った先の姫との婚約を蹴って、国との関係が悪化すると大臣たちからの猛反対を押し切り強引に大公国に迎えいれたのであった。
アリアーゼ大公妃は自分の身分を後ろめたく感じているかのようにいつも身を低くし、ローザン大公の後ろにひっそりと付き従っている。
マルティアーゼの姉ディアンドル公女は民衆の前に出ることを嫌がり、公式以外ではほとんど姿を現さない。
噂では性格に問題があり、わがままで注意をされると癇癪を起こし侍女や大臣、大公夫妻までも手を焼いて呆れさせるほどであった。
欲しいものはどんな手を使っても手に入れる、それが他人の物であろうと関係が無い、国費を私利私欲のために使い込んで民や国には興味がなく自己中心な性格ともっぱらの噂であった。
マルティアーゼが生まれてからは民衆からは影でいろいろとディアンドルの悪い噂が広がり、中央国からはこの国は先のない辺境国といわれていたが、彼女が大衆の前に出るようになってからは、その輝く美しい容姿と聡明な性格がこの国に活力を与えてきた。
子供ながら民に対しても気取らず、可愛らしいしぐさで国民と接する姿が人々に人気であった。
それは大公国の上から下まで、マルティアーゼを見たものは全員が同じ思いを感じずにはいられないほどに民から愛されていた。
そのマルティアーゼも大きくなるにつれ、ただ一つだけ困ることがあった。
それは容姿からは想像がつかないぐらい腕白で、侍女の手を焼かすほどのお転婆だった。
姉での教育に失敗したと思っていた大公夫妻は、ディアンドルには放任主義を貫き、想いは次女のマルティアーゼへと移っていった為、二人は厳しく躾けていたのだが、それがこの公女にはとては苦痛であり、もっと遊びたい色々なことを知りたい、経験したい欲求が強かった。
そのせいで何度、城から抜け出したり失敗して見つかる度にこっぴどく大公から叱責を買っただろうか。
そして今宵も城から抜け出し、下町の薄暗い路地裏でみすぼらしい町人の格好をして、夜中の街をかけ回っている所をカールたちに捕まってしまったのだ。
「姫様、こんなところにいては……はやくお城にお戻りになられないとここは危険で御座います……」
トムがマルティアーゼに言った。
「そうでございます、さぁ早く大公様に叱られます、私どもがお供いたしますので一刻も早く」
続いてカールも言う。
二人はマルティアーゼを挟むようにして連れて行こうとするが、それから逃れようと彼女が後退りする。
「だめよ、早く逃げないと」
マルティアーゼが言った。
「はい? 逃げるとはいったい……」
カールが戸惑いながら聞くと、
「追われてるのよ、ここから逃げないと……でも道に迷ってしまって……」
「それではなおのこと、我々がお連れいたしますので……ささっ、お急ぎ下さい」
カールがそう言い連れて行こうとした時、後ろから男の声が聞こえてきた。
「おいおい、小僧だと思ってたら小娘だったか、くくくっ」
いやらしい含みのある口調が路地に響く。
マルティアーゼが走ってきた路地を見ると、小太りの男が歩み出てきた。