火曜日
放課後、校舎を出たところで上から巨大な狐が落ちてきました。
まあ、そんな日もあるでしょう。
地面をへこませる程の勢いで落ちて来た狐は、よろりと立ち上がりながらキッと上を睨みつけています。
「逃がさないで、コウキ!」
高く甘い、女の子の声が聞こえたかと思うと、青い影が降ってきました。
狐に向かって、自分の体の三倍はあろうかという大きな水瓶をふりかぶるその『青鬼』には見覚えがあるのですが……先ほど聞こえてきた声は、私が知る鬼の『主』のものとは違っていました。それに、名前も違うようです。
はて、以前会った青鬼とは違う鬼なのでしょうか……と首を傾げているうちに、決着がついたようです。 水瓶から勢いよく流れ出て来た水が巨大な龍の形をとって狐を飲み込むと、狐はもがき苦しんだ後に煙となって消えてしまいました。
「コウキー!」
ぱたぱたと可愛らしい足音とともに、息を切らせて現れたのは、後輩の女の子――水瀬らいむさん。つい先日、彼女が校内で迷子になっている所に遭遇してしまったため、道案内をした記憶があります。
水瀬さんは私に気付くと、大きな丸い目をさらに大きく見開き、あわあわしはじめました。
「かかかか閂先輩!? ちがっ! 違うんです! あの、あの、えーと、これには事情があってですね!?」
巫女風な衣装を恥ずかしげに隠しながら、真っ赤な顔でもじもじする様子をたいへん微笑ましく思っていると、今度は聞き覚えのある声が降ってきました。
「おい、早く戻って来んか。 何をもたついておる……うん? おぉ、笑子ではないか! 久しいな」
「あ、お久しぶりです。相変わらず見事な化けっぷりですね、オズノさん。今年でいくつになるんでしたっけ?」
「ほっほっほ。その何気なくチクッと来るもの言い、相変らずだのう」
柔らかそうな頬をニヤリと歪ませ、くりっとした大きな目を悪戯っぽく細めるオズノさん。
そういう表情をしても尚、愛らしさを損なわないこの美少年が実は千●百歳の御爺様だというんですから、そりゃもう立派な詐欺だと思うんですよね。
「いいぞエミコ! 言ってやれ、もっと言ってやれ!」
オズノさんの後ろから、満面の笑みを浮かべた赤鬼が飛び出してきました。
赤い頬をさらに赤くして、キャッキャと楽しそうに飛び跳ねています。
ああもう、小さい子っていうのは何故こうも和むのでしょうね。いえ、オズノさんと同じく彼も見た目通りの年齢ではないのですが……
「ちっ。【黙っとれ前鬼】」
「むががが!?」
赤鬼――ゼンキは急に自分で自分の口を押さえつけ、蹲ってしまいました。
私には知覚できない何らかの力が働いたのでしょうね。大人げないですよ、オズノさん。
呆れを多分に含んだ視線を送っていると、くいっくいっとスカートの裾が引かれ、目を向ければ先ほどの青鬼が私を見上げていました。
「エミコ、エミコ。久しいな」
久しい、という事は、やはりこの青鬼は私の知る青鬼という事で間違いないのでしょう。
私は、その頭をなでなでしたい衝動を押し殺しつつ笑みを返しました。
小さく見えるのは小鬼という種族故。彼らは……ゼンキは言動がアレなので微妙なところですが……大人なのです。うっかり子供扱いすると洒落にならないくらいキレられるので注意です。
「お久しぶりです。名前が変わっていたので、別の鬼なのかと思いました」
「ああ。新たな名を主に貰った。今のオレは、後鬼だ」
誇らしげに胸をはる青鬼改めコウキは、たいへん可愛らしくて困ります。ああ……可愛がりたい。
「あの、あの、違うんです、ただ、元の名前が呼びにくかったというか、その、どうしても受け入れられなくて……それで、名の縛りとか知らなくて、あのっ」
「まさか、こんな小娘に式を奪われるとはのう……」
わたわたと手をばたつかせる水瀬さんと、やれやれと首を振るオズノさん。まあ恐らく、何らかのハプニングがあって『コウキ』の所有権がオズノさんから水瀬さんへ移ったという事なんでしょうね。
「後鬼はオレの嫁なのにー」
「ひやああああ! 言わないでー! 例のアレ連想しちゃうから言わないでー!」
ゼンキが口にした『以前の名前』に反応して、涙目になる水瀬さん。ああ、成程。苦手なんですね、あの虫が。
「後鬼だ。間違えるな」
「むううう」
コウキがゼンキの頬をむんにーっと引っ張りながら訂正しています。痛がりつつも嬉しそうなゼンキ。 本当にコウキが好きなんですね。
あ、ちなみに、ゼンキとコウキは夫婦だったりします。見た目がちびっこなので私も忘れがちですが……実は子だくさんの熟年夫婦なんですよ彼ら。
いやしかし、ちまいのがじゃれあっているのは心が和みますね。
「え、えと、あの、今更ですが! 師匠と閂先輩って、知り合いなんですか!? 先輩、コウキやゼンキとも普通に話してるし……」
「うむ? お前知らないのか? 笑子は灯春殿の幼馴染で……」
「えぇえぇ!? 灯春様のおぉ!?」
「煩いわ! すまんな、騒がしくて」
「いえ、見慣れた反応すぎて、むしろ落ち着きます」
「そうか……」
あの、オズノさん……優しく頭を撫でてもらえるのは嬉しいですが、その憐憫の表情はやめてもらえますか。