日常←異常が毎日続けばもはや
「閂 笑子だな?」
ある日の朝のこと。
私は見ず知らずの男性に睨まれていました。銃口を向けられながら。
男性の言葉は疑問系ではありましたが、問いかけというよりは単なる確認なのでしょう。
その男性は確信を持っている様子であり、事実、男性の目の前に立っている私の名は「閂 笑子」です。
男性は怨念の篭った粘着質な視線をこちらに向けながら、銃の引き金に指を掛けました。
カチャリ
と、金属部品が擦れる小さな音。
それを聞きながら、私はスッと短く息を吸い……
「違います」
堂々と言い放ちました。
「え?」
否定されるとは思わなかったのでしょうか、男性は間抜け顔で固まってしまいました。
これで話は終わりですねという空気を纏いながら、私はそのまま歩き出します。
「え、あ、いや、そんなはずは無い! きちんと調べたんだからな!
お前は冠城 灯春の幼馴染で……ちょ、待て、止まれって!」
私にさらりと嘘をつかれ、ちょっとだけ不安になった様子の男性でしたが、事前に得た情報を信じて追いすがって来ます。やれやれ、あのまま固まっていれば良かったものを。
「違います。よく似た他人でしょう。冠城なんて人は知りません」
私は淡々と否定を返しながら、歩き続けます。そこには一切の動揺も焦りも存在しません。
この程度の事で動揺できるような可愛げは、遥か昔に消滅しました。
「え、え? あれぇ?」
困惑する男性の声を聞き流しながら、私は携帯電話を取り出しました。
二つ折りのガラケーです。スマホ? ちょと何を言っているのかわかりませんね。
登校途中に呼び止められたもので、時刻を確認しようと思っただけなのですが……まるで見計らったかの如く、着信が入りました。
画面には『着信中 冠城 灯春』の文字。
私は即座に『切』ボタンを二度押ししました。鳴り響いていた『着信音1』がピタリと途切れます。
5秒後、今度はメールを受信しました。
『From:冠城 灯春
Sub:おいこら
ああも迷い無く知らない
なんて言われたら寂しい
だろうが!
あ、
今の奴は消しといた。
てか、電話出ろよ!』
「……」
私は無言で足を速めました。
何があっても決して後ろを振り向いたりしませ……
「感じ悪いなオイ。いっそこれからずっと無視出来ないような状態にしてやっても……」
「おはようございます、トモハル様」
くるりと体を反転させ、つい先週会得させられた『綺麗なお辞儀(主を出迎える使用人バージョン)』を披露する私の前には、美形が立っていました。
もう少し詳しく説明すると、形の良い眉と切れ長の目とスッと通った鼻筋と薄い唇が左右均等にバランスよく配置された顔、長身で手足が長く、細身なのに程良く筋肉が付いている均整のとれた体という恵まれた容姿をもつ、我が幼馴染が立っていました。
クセのない黒髪をサラサラと靡かせているのは演出でしょうか。
それと、先ほどまで確かに居たはずの男性の姿が跡形も無く消えているのに少々薄ら寒いモノを感じるわけですが、そこを突くと厄介な事になりそうなので触れないでおきます。
ついでに言うと、幼馴染の体がどうも地面から数センチ程浮いている様に見えるのは私の目の錯覚ですよね。ええ。ツッコミませんよ私は。
「……もうその呼び方やめようぜ」
ふむ。他の呼び名というと、あれですか、“双黒の英雄”とか“黒を纏いし勇者”とか……ぷふっ、あぁ失礼しました。
それらの渾名で呼ばれる度に若干顔を歪める幼馴染が良い気味……いえ、微笑ましくて、ついつい笑みが零れてしまうのですよ。
歪んでても美形は美形なのが腑に落ちないところですが、まぁそんな事はどうでも良いですね。
恐らく長年使用してきた呼び方に戻せという事なのでしょうが、生憎と素直に意思を汲み取って差し上げる気にはなれません。
「こう呼んでおけば、無難でしょう? 『何処の世界』でも」
言葉にトゲを含ませつつ半眼で応えた私に、幼馴染は困ったように眉を下げましたが、そんな表情をしても私には効きませんので。
「この前の事、まだ根に持ってんのかよ」
もちろんです。何をあたりまえな事を。わざわざ確認しなくても分かっているでしょう?
まぁ、訂正するとすれば……
「この前の事『も』根に持ってます」
根に持っているのはこの前の事だけではない、ということです。
常日頃から厄介事に“強制的に”巻き込まれている身としては、この程度の嫌味くらい許していただきたいところですね。
「いや、まぁ、いつも巻き込んじまって悪いとは思ってんだけど、さ」
はい嘘。
あまりの白々しさに思わず舌打ちしてしまいました。
「口だけの謝罪なんていらんわ。悪いと思うなら以後一切厄介な事情に私を関わらせんなっての」
おっと、口調が崩れてしまいましたね。失礼。まぁ私の口調の変化など、些細な事でしょう。
「それは、ほら、俺にも予想外の事が起きたりとか、色々と、こう、不可抗力だったりする事もあるわけじゃん?」
小首を傾げる仕草で可愛らしさを演出ですか心得ていますね。
……それくらいで絆されると思うな? ですよ。
「嘘つけ。完全にわざと引き込んでるくせに。モハなら私に悟られず全部片付けるくらい余裕だろが」
「……」
「何故そこで喜ぶ?」
「いや、うん、ミコのそういう所、好きだなと」
「……」
「なぁ、何でそんな苦虫を噛み潰したみたいな顔するんだ? 俺の好意はそんなに嫌か? あぁ?」
好意を向けられる事というより、その事によって厄介なアレコレが誘発するのが嫌なんですけれどね。
早朝とはいえ道端で下手なことを言わないでいただきたい。何処で誰の耳に入るか分からないんですから。恐ろしい。
「何だよその溜息は」
溜息の一つもつきたくなります。こうして一緒に歩いているだけでも色々なリスクがあるわけですよ。まったく、幼馴染というポジションを呪いたくなりますね本当に。
「無視か? 無視なのか? 泣くぞ?」
ちょっと無視されたくらいで泣くって幼児ですか貴方は。むしろ泣いてみて下さいよ。写真を撮っておけば高値で売れそうですし。
「なぁ、無反応が一番傷つくんだかんな? てか、ミコは俺にもっと構えよ。さっきの電話だって……あ、そうだよ、何あの淡々とした電子音! 俺の着信だけ! 愛が足りねぇ!」
あぁ、着信音に関してはそのうち何か言われると思ってましたよ。
他の人には結構細かくそれぞれのイメージに合わせた着メロ・着うた設定してるんですよね私。でもモハだけ着信音1。正面から悪意をぶつけられるより、そういう地味な嫌がらせの方がダメージ受けるタイプですよねモハって。
愛? ははっ。薄ら寒い事言わないでくださいよ。ほら、鳥肌が立ってしまったじゃないですか。
「おいこら、いい加減声聞かせろや」
口に出して応えるのも面倒なので読み取ってください。どうせ読心術くらい軽く会得してるんでしょう?
「いやいや、そんなハッキリと読み取れる程じゃねーから。口に出してくんねーと、細かい部分は伝わってこねーし」
本当に会得しているとは。
いや、うん、想定内ですよモハですからね。うわコイツまじ神、ですよ。
こうなるともうあれですね。無になるしかないですね。
…………。
「ちょ、そんなスルっと無になれるってすげーな!?」
…………。
「ミコ?」
…………。
「……」
……ああもう。
「抱きつくな」
これ以上貴方の信者どものヘイト集めたくないのでやめてください本当。
「ミコが無視するからだろ?」
「わかったから離れろ。頼むから今すぐ離れろ。離れて下さいマジで」
全力で足を踏みながら頬を抓り、さらには思いっきり髪を引っ張っているというのに平然としてやがりますよ。その涼しい顔を踏みつけてやりたいですね。
「じゃあ約束な。次無視したら、一日このままで過ご……」
「もう二度と無視しない事をここに誓います」
ああもう本当に面倒くさいなこの生き物は。