金曜日
黄昏時。
私が図書室の扉を開けたのと、何やら黒いモヤを背負った人物が片手で黒い物体を握り潰したのはほぼ同じタイミングでした。
潰れた黒い物体が一瞬で灰になり、私と、その人の間をサラサラと流れて行きます。
ばっちりと目が合ってしまっているのに無視をするのも気が引けたので、軽く会釈して横をすり抜け、カウンターの返却スペースに本を置きました。
長い黒髪の隙間から見える真っ赤な瞳がじっと私の一挙一動を追っている事には気かないフリをしておきます。
困惑しているようなので、出来れば私が帰るまでそのまま大人しく困惑し続けていただければと……
「おい。お前、俺の事が見えているな?」
「あ、はい」
まあ、そう都合良くはいきませんよね、やっぱり。
それに、失敗しました。見えてちゃいけないタイプの存在だったようです。
会釈とかしなければ良かったですね。
「悪いが、忘れてもらうぞ?」
「あ、はい。分かりました」
あ、よかった。
黒いモヤとか背負っている割に、平和的な人だったみたいです。
「……」
では、どうぞ。と頭部を軽く相手側に傾けてみたのですが、動きがありません。
ちらりと見上げれば、じっと此方を凝視していたようで、再びばっちりと目が合ってしまいました。
「抵抗、しないのか? 普通、もっと、取り乱すとか、怯えるとか、するものでは?」
「まあ、はい。そういうの、もう面倒くさいので」
「そう、か。変わった人間が居たものだ。……ふむ、お前なら良いか」
これは何か良からぬ方向に転んでしまったようだぞ、と気付いた時には、すでに『変化』は終わってしまっていました。
黒いモヤがその人の全身を一瞬包んだかと思うと、ぱっと霧散し、次の瞬間そこに立っていたのはクラスメイトの男の子……兵藤イツキ君でした。
「う、あ、おい、何でこのタイミングで!? あーもう!」
兵藤君はあわあわと手をばたつかせた後、ガバリと頭を抱えて蹲ってしまいました。
成程。変身モノ、ですか。雰囲気的に憑依系ですかね?
「閂さん、これは、あの、えー、うぅ」
兵藤君の事情についてぼんやりと予想を立てていると、蹲ったままの兵藤くんが困った顔で見上げてきました。
ちょっと不幸顔の兵藤君は、そういう表情が良く似合いますね……と少々失礼な事を考えつつ、私は神妙な顔を作って兵藤君を見下ろしました。
一生懸命私への言い訳を考えてくれているのでしょうが、すみません、そういうの大丈夫です。
「兵藤君」
「はいっ!?」
「とりあえず、帰って良いですか?」
「え。あ、うん……えぇ?」
「じゃ、また月曜日」
反射的に頷いてしまってから、困惑に目を瞬かせている兵藤くんを置いて、私はさっさと図書室の扉を開きました。
このまま留まっていると、説明に困った兵藤君が結局全部ぶっちゃけてくれてしまいそうなので。
「あっ」
「はい?」
振り向けば、兵藤君が『あああっ! このまま何も聞かずに帰ってもらえるならその方が助かるのに、とっさに呼び止めちゃった! どうしよう』という顔をしていましたが、そのへんの事は何も気づいていない顔をしておきます。
「や、違、何でもない。気をつけて」
私は何も聞きませんよーだから無理に何か言おうとしなくて良いんですよーというか何も言わないでくださいねー。という私の願いが届いたのか、兵藤君はぎこちなく笑って、手を振ってくれました。良い判断です。
「はい。兵藤君たちも」
「……うん」
私も小さく手を振り返し、複雑そうな顔の兵藤君に背を向け、ぱたり、と図書室の扉を閉めたのでした。
よしよし、素直に流されてくれて助かりました。
私は何も見なかったという事にしておきますので、兵藤君サイドもそういう方向で処理していだけると助かります。
では、また来週。