第706話 まだ危機は去っていないけれど
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代官屋敷には庭と屋内の二箇所に井戸がある。
小高い土地で井戸を掘るのは大変だったと思うのだが、前の代官が費用を無視して掘らせたものらしい。
鎧の類は脱いで上半身裸になり、井戸から冷たい水を桶でくみ、頭からざっとかぶる。
もう一度、今度は水桶に布を浸して体の各所を擦っていく。
そのまま屋内に移動して暖炉の前で体を乾かす。
暖炉の前には、キリクが先客でその見事な体躯を晒していた。
なんとなく、少し緩んできた気がする下腹と見比べてしまう。
「代官様、使いますか」
キリクが香油の入った陶器の瓶を渡してくる。
血の匂いを消すためだ。
それを手首、耳の裏、目や鼻の下に軽く塗ると、少しスッキリとした気分になる。
香油には目の飛び出るような高級品から、その辺りに生えているハーブを磨り潰しただけの日用品まであるが、今使っているのは、その中間品だ。
元は革通りで職人たちが使っている匂い消しを、材料に植物油を加え、革通りの産業で使われている豊富な熱源を流用して精製度を上げたものだ。
一番に金のかかる材料と熱源と加工を自前でこなしているので安いが、それなりの品質であると言ってもいいだろう。
今日は随分と死体を触った。
保湿クリームを塗るように、指の先、爪の間まで丹念に塗り込んでいく。
視線を感じ、ふと顔をあげると扉のところから、こちらを心配そうに覗き込んでいるサラと目があった。
「なんだ、のぞきか?」
「そんなわけないでしょ!」
少し顔を赤らめつつ、ずかずかと部屋の中に入り込んでくると「貸しなさい!」と香油の瓶を取り上げて背中側に塗り込みはじめた。
「お、おい・・・」
最初は躊躇していたが、手が届かない場所に塗ってもらうのは正直なところ有り難い。
サラが小さな手で懸命に押すように香油を塗ってもらうとマッサージのようで気持ちがいい。
そうしていると死体漁りで長時間無理な姿勢で作業していたせいか背中の筋肉がだいぶ凝っていたこと気がつく。
最も、単に机仕事が長かったせいかもしれない。
「代官様、お先に」
なぜかキリクがそそくさと暖炉の前から立ち去ってしまい、サラと二人きりで残される。
バチバチと暖炉の薪が爆ぜる音が妙に大きく聞こえる。
しばらく無言で背中を擦ってくれていたサラが口を開いた。
「ケンジは代官様なんだから、無理しちゃだめよ」
「無理はしてないさ。臨時の代官様だからな」
今回は、敵の出方を待ち受けている方が危なかった。
情報を収集し、作戦を立て、リスクを最小限にして、結果的に危険の種を取り除くことができた。
だが、まだ危機は去っていない。
「そろそろ行くか」
乾いた衣服を身につけると、サラと一緒に執務室へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
執務室では、キリクに加えて、ゴルゴゴとパペリーノも篭っていた倉庫から出て待っていた。
「まずは敵の攻撃の第一弾を退けることはできた。全員の協力あってのことだ。感謝する」
顔を見渡しながら礼をいうと、全員が頷いてくれた。
「では手はず通り防御計画の第二弾を発動する。全員、準備にかかってもらいたい」
これは想定通りのシナリオだ。
村に入り込んだ連中のほとんどを殲滅することはできた。
だが1人は逃してしまった。それに、彼らが村に入り込んでいる連中の全てではない可能性もある。
中には村人に金を渡すなどして、情報をとっている連中がいるかもしれない。
つまり連中を強襲した時点で、こちらが気がついたことは敵方にバレたと言ってもいい。
敵方がそれで諦めてくれればいいが、別の可能性もある。
それは、増援を連れての強襲だ。
誘拐や窃盗などという迂遠な真似はやめて、大人数による襲撃を行う可能性がある。
もちろん、こちらも教会と剣牙の兵団に応援を依頼している。
だから、この代官屋敷を盾にして増援が来るまで耐える。
それが基本方針だ。
幸いなことに、この屋敷は農民達の反乱を怖れた前の代官のおかげで、ちょっとした城塞並の防御力が備わっている。武器もある。食料も山ほどある。きちんと防備を固めれば、時間稼ぎくらいはできるだろう。
問題は人員の不足だが、迂闊に人を増やすわけにはいかない。
村人や出稼ぎ農民達に連中の息がかかっている者がいないとは言えない。
それくらいなら、防衛線を狭めて籠城する方がいい。
だから問題はない、はずだ。
計画に従ってキビキビと動き出す全員を頼もしく眺めつつも、一抹の不安は捨てきれないでいた。
明日も更新します。
このところ活動報告で「出版までの遠い道のり」というエッセイを書いています。
出版の声をかけていただいてから出版まで右往左往したお話です。
想定よりも長くなっているのと、好評をいただいているようなので来週月からエッセイとして投稿します。




