第676話 助けることと救うこと
「錯覚、ですか?」
「そうだ。確かに全ての問題は解決していないように見えるかもしれない。女子供に小麦を渡したところで、男達が暴力で取り上げるかもしれないし、村の中の仕事を与えても出稼ぎ農民と村民の交流は進まないかもしれない。いつまでたっても問題は解決しないかも。ならば問題の解決に意味がないかも、とか考えているんだろ?」
図星をさされたのか、パペリーノは生真面目な顔に狼狽の色を浮かべた。
「そう思われますか。ええ、そう思っています」
「だろうな。自分も同じようなことを思ったことがある。だがな、それは傲慢というものだ」
「代官様も・・・いえ、それよりも傲慢、ですか?」
意外そうにこちらを見るパペリーノに、頷いてみせる。
「そうだ。全ての問題を解決できると思うのはいいが、信じるのは傲慢というものだ。
我々は為政者であり代官であるからには、領民たちの暮らしを良くする責任がある。そのために全力を尽くす。だが、最後は彼ら自身の問題なんだ。援助はする。仕事も与える。それに順応してくれれば、それでいい。
一方で、彼らが不満を覚えて窃盗に及んだり暴力沙汰に訴えてきたら、代官として治安を守るために鎮圧し、法に則って裁かざるを得ない。働かないのであれば援助を最低限にするし、仕事を回すことはできない。
要するに、我々は彼らを助けることはできるが、救うことはできない。
救うのは神の役目だ。我々は人間の分際というものを守って、役割の中で全力を尽くすだけだ」
聖職者は官僚的に振る舞うものがいる一方で、神の僕として全身全霊で仕事に打ち込んでくれる者も多い。
それは非常にありがたいことではあるが、人間の限界を超えた役割を自身に課すものもいる。
パペリーノに、そうなってもらっては困る。
「ですが、代官様は普通の代官としての役割を超えて、頑張っておられるように思いますが・・・」
「それは、あれだ。代官の役割をどう考えるか、という話だ。ニコロ司祭に任されたからには、この領地を豊かにし、領民には良い暮らしをさせてやりたい。新米代官としては、そのために出来ることをしているだけだ」
「なるほど、どういう役割を己に課すか、ということなのですね。・・・良い機会ですから、いろいろと考えてみることにします」
何か自分に折り合いをつけることができたのか、若い聖職者はしきりに頷いた。
それから屋敷に戻るまで、パペリーノは一言も口をきかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだか、あの光景を見た後だと飯に文句を言う気がなくなるな」
「そうね。食べられるだけありがたいわね」
パンと煮豆だけの軽い昼食であるが、出稼ぎ農民達の状況を見た後だからか、キリクも珍しく不平を言わずにもくもくと食べていた。それでも俺の倍の量は食っていたが。
何かが胸につかえて会話も弾まない。
「なにか、あたし達に出来ることはないの?」
とどめに、哀しそうな目をしたサラに言われれば仕方ない。
午後の予定は全てキャンセルすることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
農婦は困惑していた。
屋敷の主人達が昼食を終えるとすぐに「屋敷中の掃除道具を集めたい」などと言い出したからだ。
屋敷は広く往時は大勢の召使を雇っていたためか、掃除道具の数に不足はない。
鍋釜に至るまで目ぼしい財産を没収した教会も、掃除道具までには関心を示さなかったようだ。
積み上げられた箒や盥を検分してた主人が、奇妙なことを言い出した。
「デッキブラシはないのか?」
「でっきぶらし?」
何かの植物の名前だろうか。
怪訝な顔をしたこちらの様子を見てか、主人は身振り手振りを交えながら、掃除道具の説明をはじめた。
どうやら、長い柄のついた床を強く擦るための道具だということは理解できた。
「そういうときは、縄の切れ端で擦るのよ!ケンジったら何も知らないのね」
となりの赤毛の若い娘さんが嬉しそうに主人に教えている。
「そうか。考えてみれば毛を植えるのに機械が要りそうだもんな・・・。それで石鹸に余りはあるか?」
魔物の脂を使った質の良くない石鹸であれば、かなりの数がある。
まとめられた掃除用具を前にして屋敷の主人が「それじゃあ、出かけるとするか!」と号令すれば、赤毛の娘、若い生真面目な感じの聖職者、それに顔に傷のある大男が「「おう!」」と窓を震わせる程の大声で応え、農婦を大いに驚かせた。
明日も12:00に更新します




