第667話 仕組みか人か
漁業権を分けることに同意が取れた後、具体的な方法を検討する段になってキリクから物言いがついた。
「輪番にするといっても、この村の人数だと憶えておくのは無理がないですかね」
「なぜ憶えるなどと?屋敷か教会にでも順番を書いて張り出せばいいのではないですか」
キリクの懸念に、パペリーノが答えた。
「だから育ちのいい聖職者様は困るんだよ。農民達が字が読めるわけないだろう?」
「それは・・・ですが、張り出すのは名前ですよ。教会では生誕名簿に名前が記されるわけですし、憶えているに違いありません!」
どちらの言い分も、ありそうな話ではある。
実際のところは、読める者も読めない者もいる、というあたりだろう。
そして、漁業権の輪番制度は村人全員を対象とした福利厚生制度のようなものであるから、名前を読める読めないで差がつくべきではない。
要するに、名前を読めない人間に合わせて制度設計されるべきである。
「ならば、名前が読めない者もいるという前提で仕組みを考えよう」
そうまとめると、パペリーノは不承不承うなずいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、名前の字が読めないとなると・・・どうしますか」
字が読める者にとって、字が読めない状態というのは想像にしにくい。
まして教会という知的階級の中で育ってきたエリートの聖職者であるパペリーノには、とりわけその傾向が強いようだ。
「そうだな。例えば木札を下げておくとか」
「それだと、名前が読めないのは同じではないですか?」
「そこは、割符方式にする。この村の全員の名前を書いた2枚1組の木札を作る。2枚の札を跨ぐように大きな印を押して、その位置が合致すれば本人だとわかる」
イメージとしては契約書の割り印である。
生誕名簿を見ていて気がついたのだが、農民の名前は同じような名前が多い。
家名がない上に、聖人や有名人の名前をもらって、そのままつけているらしく名前が同じ者が大勢いるのだ。
「それに、個人の名札があれば豆の配布もやりやすい」
なにしろ、本人が取りに来たかどうか、木札をチェックするだけで済むのだ。
俺達のように、村人一人一人の顔もわかっていない新参の代官には、個人を特定できるというのはとてつもないアドバンテージを生む。
個人が特定できる木札は、言ってみれば簡易な住基カードのようなものであり、豆の配布以外の施策でも活躍する場面は多いだろう。
「始めは手間がかかるだろうが、導入できれば効率が段違いなハズだ」
と力説するも、パペリーノは大きく頷いたが、キリクは少し納得できない顔をしていた。
「サラならどうする?」
先程から議論に加わらずに懸命に頭を捻っている様子の娘に話を振ってみると、意外な答えが返ってきた。
「あたしなら、そうね。子供にお使いをしてもらうかな」
「お使い?」
「あたし達とか、教会の人なら字を読めるでしょ?順番を決めたら、毎朝子供に来てもらって、その日の権利がある農家にお使いに行ってもらうの。そうしたら、その子にお小遣いもあげられるでしょ?」
サラのアイディアには、思わず意表を衝かれた。
たしかに、農民に自分の漁日を知らせるだけであれば、こちらから知らせをやれば済む。
そして出稼ぎ農民の子供を使えば、雇用対策にもある。
思うに、サラの発想は靴工房で雇った橋の下の2人組の少年から来ている。
駆け出し冒険者として挫折して食うや食わずでいたところを拾った子供達を、サラはよく可愛がって小遣いをやっていたし、彼らもよく応えて連絡係としてよく駆け回ってくれた。
新任の代官として情報を伝えるのに文字や掲示板という仕組みで対処しようとした自分と、人間を雇って対処しようとしたサラ。
どちらが正しいと言うことはない。
だが、導入の初期コストの安さと運用の簡便さ。
何より、そのわかり易さには差がある。
「どうも、サラの考えの方が優れてるな」
そう評価すると、赤毛の娘は満面の笑みを浮かべた。
少し落ち着いてきました。明日は12:00に更新します




