第651話 畑の秘密
サラと話している婦人を見れば、貧農という印象からは程遠い。
庭先に豆を植えていることで、食事に不自由していないからだろうか。
徴税額が畑の面積の割に大きいのは、小麦に手をつけずとも暮らしていけるからなのかもしれない。
「少し、土を見てもいいでしょうか」
豆を植えることは土壌に良い、と聞いたことがある。
膝をついてしゃがみ、レンズ豆の株の根本の土を指でそっとさわってみる。
水やりをよくしているのだろう、指先から伝わる感触は僅かな湿り気を帯びている。
盛り上げられた畝は土が黒々として、いかにも栄養がありそうだ。
「ん・・・なんだ」
少しだけ畝をいじっていると、妙なモノを見つけた。
「以前から、豆は植えていましたか」
農婦に豆を植えた時期を確認する。
前の代官が失脚してから植えたにしては、豆がよく育っているように見えたからだ。
「はい。前の司祭様からはよくしていただきまして。夫がなくなってから、いろいろと相談に乗っていただいたのです」
前の司祭に相談か。
たしかに、あの司祭は交渉事に弱かった。
特別に悪人というわけではなかったが、前任の代官の暴走を止められなかったせいで、今は辺境の教会に異動させられている。
この畑についても、ある種の懇願と目溢しがあったのだろう。
「ところで、ここの土は良い土を使っていますね。自分たちで作っているのですか」
「はい、代官様。食べかすや落ち葉などを混ぜて肥やしておきますと、良い肥料になります」
「ふむ。それはいい。ところで一つ聞きたいのですが」
一度、言葉を切ってから土の中で見つけたモノを摘んで見せる。
「これは魚の鱗に見えますが、どんな魚を獲っているのですか?」
確認の言葉を投げかけると、農婦は真っ青になって立ちすくんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
領地において、領主の権利というものは幅広く保護されている。
領主以外の猟を禁じる狩猟権、領主以外に木の伐採を禁じる伐採権、そして領主以外が魚を獲ることを禁じる漁業権などは、その最たるものだ。
名目としては、領主には領地を与えてくれた王や教会に対し果たすべき義務があり、その原資として税の徴収の権利が認められ、代官はその代行者として領地に赴いている、ということになっている。
つまりは、魚を勝手にとることは漁業権を犯す行為であり、領主の財産権の侵害でもある。
「それは!」
事態を悟ったのか、パペリーノが早足で建物の裏手に向かって行き、いくらもしないうちに「魚籠がありました!」と報告する声が聞こえてきた。
真っ青になった農婦を見つめると、がくりと膝をついて懇願してきた。
「お、お許し下さい。息子夫婦には子供が生まれたばかりで、滋養のつくものが必要だったのです」
そういえば、息子夫婦がいると言っていたな。
子供は畑に連れて行っているのだろうか。
「いや、お立ちください。咎め立てしているわけではないのです。私は新任の代官ですから、そのあたりの事情に疎いのです」
手を伸ばして、膝をついている農婦を立たせる。
身内以外に誰も見ていないとは言え、年かさの農婦に懇願させる絵図など、外聞が悪すぎる。
どのみち、一家族が魚を密漁していたところで、資源的には河の大きさを考えればどうということもないだろう。
問題は、この領地の権利関係がどうなっているかだ。
「パペリーノ、この地の漁業権の扱いはどうなっているんだ?」
麦藁で出来た長い籠を持ってきたパペリーノに問いただす。
「領主たる代官と、認可された漁師、これは村長一族のものでしたが、追放されましたので今はおりません」
「つまり、誰も漁をしていない」
「そうなります。漁をできるのは、代官様だけです」
なるほど、目の前に河があり、飢えた孫がいて、誰も漁をしていない。
それでは密漁もしたくなるだろう。
「ところで、この河では何が獲れるんですか?」
好奇心から聞いてみると「たいていはナマズや川海老です・・・季節が良ければパーチや鰻が獲れることも・・・」という答えが返ってきた。
あまり淡水魚については詳しくないが、食べられそうなことはわかった。
小麦だけでなく、豆や魚を食べていれば、それは健康でいられるだろう。
領地の法を犯すことで、この家族は良い暮らしをすることができていた。
そうであれば、今後の方針は明らかだ。
「それで、今回の件についてなのですが」
目をぎゅっと閉じ、手を体の前で固く組み、震えて判決を待つ農婦に持ちかける。
「もし良かったら、代官の屋敷で働きませんか?」
明日は18:00更新予定ですが、ズレ込むかもしれません




