第650話 農家の庭先
2軒目の農家は、河の近くにあって広い庭と白塗りの漆喰の壁、赤く塗られた屋根を持つ、小さいけれど瀟洒な建物だった。
建物には生垣があり、遠目にもよく手入れされた建物であり、庭であった。
「すごく綺麗なお家ね・・・」
思わず、という感じでサラの声が漏れる。
たしかに、村長一族が追放された後で、これだけ豊かそうな農家が残っているのは意外だった。
門のあたりで佇んでいると「あら、新しい代官様かしら」と中から柔らかい声がかけられた。
「その通りです。領地の視察をしています。少しお話を聞かせてもらえませんか」
俺に代わって、パペリーノが応対する。
相手を怯えさせないようにするのに、聖職者の格好は抜群の効果がある。
「何もないところですが」
と庭に招き入れられつつも、その応対や言葉遣いに農婦らしからぬ所作が目につく。
よくよく見れば、その容貌も髪に少し白いものが混じっているほかは、凛とした佇まいに加え、ピンと伸びた姿勢といい、若い頃にはさぞかしモテたことであろう。
「ご家族は家にいらっしゃいますか?」
先の農家での失敗からか、パペリーノは最初に家族構成を聞いた。
教会で生誕名簿を見せてもらうか、昨年の人頭税の記録を事前に確認すれば見当がついたのだろうが、あの記録の山から目指す資料を探すのは、今は無理だ。
こうして、直接に聞いた方がずっと早い。
「息子夫婦が、畑に出ております。夫は随分と前に亡くしましたので」
「それは失礼を申し上げました」
家族が3人。それにしては家計に余裕があるように見える。
しかしどう切り出したものか。
「ずいぶん余裕がありそうですね」
などと言えば、税金を巻き上げるために難癖をつけているようにしか見えないだろう。
良い農法なり管理手法なりを知っていれば、有償で村に広めて欲しいだけなのだが。
そうして煩悶していると「このお庭、すごく綺麗ですね」とサラが会話を始めていた。
たしかに、他の農家と異なって、この家の庭は綺麗に耕され、区画されている。
「お屋敷の庭も、こんな風にできたらいいのに」などと話題も弾んでいるようだ。
「これ、レンズ豆ですね。教会の資料で見たことがあります」
パペリーノが、膝ぐらいの高さまで、もっさりとした茂みの緑を指して言う。
「ほう、豆か。いいじゃないか」
街では、あまり豆は出回っていなかった記憶がある。
何となくだが、小麦が一番の作物という雰囲気があって、工房の赤毛の娘も、あまり豆を食べたがらない。
「いえいえ、お恥ずかしいところを」
農婦は恥ずかしそうに否定する。
どうも自宅の庭先で豆を植えるというのは、恥ずかしいことらしい。
救荒作物的な扱いなのだろうか。
「先の農家で庭先に植えていなかったのは、それが理由なのか?」
「いえ。おそらくは税の問題かと思われます。確か、定められた農地以外での耕作を禁ずるという名目で、各戸での農作も含む、との記載があったように思います」
「滅茶苦茶だな」
「先の代官の統治の最後には、ありとあらゆるものに税をかけておりましたから」
パペリーノが補足してくれる。
各農家の庭先での耕作までも税をかけていた、ということか。
まったく、本当にいろいろとやってくれる。
「その種の税は統治を代行した教会の方で撤廃したはずだが」
「それを周知するところまでは統治者の義務ではありませんから」
パペリーノが当たり前のように述べたことに、少しのあいだ言葉を失う。
法律を定める権利はあるが、周知の義務はないということか。
それに加えて農民側の識字率が低いわけだから、何が正しくて何が誤っているか判断の基準を知る術がない。
それでは教会や代官などの統治者は、やりたい放題ではないか。
代官が怖れられるわけだ。
「まずは、各農家の庭先に豆を植えさせるか」
「・・・それぐらい具体的な指示の方がいいかもしれませんね」
税金の何々が撤廃された、などと説明をしても教育水準を考えれば「それが何か?」と言われるのが関の山だろう。
最初のうちは、具体的に「なになにをしろ。税は取らない」と命令と損得を伝えるのが良いかもしれない。
歩いて回れば回るほど、課題も見つかるが、解決のヒントも見つかる。
そう信じ、歩いて回るしかない。
明日は18:00に更新予定ですが、ズレ込むかもしれません




