第638話 村の財産
ある程度の情報は収集できたので、農家の訪問は切り上げて農村の視察に移る。
「ほら、代官様なんだから胸をはって!」
横からサラに小声で励まされる。
そんなに失望した顔をしていただろうか。
前任の代官のせいとはいえ、各所で悪代官の扱いをされることは、地味に元気を削っていたらしい。
「どうする?代官の屋敷に戻る?」
「いや、視察は続ける」
戻れば戻ったで書類や屋敷の整備をするなど仕事はいくらでもあるが、今はまず村内の正しい情報収集に力をいれなければならない。
現実が不愉快なものであっても、正確な情報収集なくして、正確な情報判断はない。
信頼できる統治の仕組みが出来上がっていない以上、自分の目で見て回るのが一番効率がいい。
「代官になる前と後では、景色が違って見えるな」
「そうね、それはあたしもそう思う」
この領地には、何度か視察に来ていたが、どちらかといえば製粉所の建設予定地を選定するためであり、農村の暮らしについては二の次にしていた部分もある。
そもそも領地の統治方針として、農業の梃入れは最低限にして、基本は製粉所への事業開発投資を通じて税収を増やす、というものであったから、農地開発そのものへの関心は低かったのだ。
だが、代官になってみれば、見方も変わる。
領地の主人は農民であり、農民にとって農地は生き方であり、農地は農民の家族たち全員が乗る大きな船のようなものである。
統治者である代官は、まず農地を守るという役割が期待されている。
それを放り出して「農地は儲からないから製粉業で」というのは通らないだろう。
領地を巡回しながら河べりまで歩けば、涼やかな風が髪をあおる。
河の水量は豊かで幅広く、ゆったりと流れている。
「いい河ね。あたしの村にも、このぐらい水があったらなあ」
この領地には、豊かな水がある。
下流の領地との水利権の調整があるので、取水口の幅などには制限があり無尽蔵に汲み上げるわけにはいかないが、水車動力として使用する分には下流の水量に影響は与えない。
水車動力を活用した製粉所の事業を興したのは、そうした水利権の間をついた事業という側面もある。
「それに橋も立派ね。すごく大きくて綺麗じゃない?」
河幅の大きな河には、橋がかかっている。
石造りのアーチの大きな、ちょっとこの領地にはそぐわないほどに立派な橋だ。
「綺麗なのは、代々の領主が税で橋を立てて、通行にも税を取っていたからだな」
橋税自体は、インフラを維持するために必要であり、他の領地でも導入されている。
だが、普通は領民以外の通行に対して課する税であることがほとんどだ。
であるのに、前の代官は領民からも税を取るようになり、農民たちはそれを忌避して無理やり河を渡っていた。
「危ないじゃない!こんな幅も広いのに!」
「そうだな。河を渡ろうとして、何人も死んでいたらしい」
「ひどい・・・」
「ひどいな」
全く馬鹿げた話だ。人道的な問題だけでなく、純粋に経済的な問題としても馬鹿げている。
農民というのは領主にとって財産である。その財産を損なう行為は、領主としての背任行為でもある。
河の近くには、元の村長達の邸宅と農地がある。
水利の良い豊かな土地には、有力者が抑えている、というわけだ。
だが、その豊かな土地は今、耕されることなく放置されている。
「その割には、きちんとしていない?」
サラが疑問を持つのはもっともで、所有者がいなくなったはずの小麦畑は、綺麗に区画され、青々とした穂を風になびかせている。
農地というのは手がかかるもので、放置された農地は雑草でアッという間に荒れるのが自然である。
であるのに、この農地の様子はどうしたことか。
「教会の方で人手は出してくれていたのかな?村長宅に寄ってみるか」
村長宅に寄ってみると門は閉ざされており、羊皮紙が打ち付けられている。
「何て書いてあるの?」
少し単語が難しいからか、よく内容が読み取れなかったサラが内容を聞いてくる。
「ええと、これは教会の張り紙だな。いろいろ書いてあるが、村長の財産一切は教会の管理下にあるので持ち出し禁止。持ち出した場合には、手を切る?罪に処する。連絡は村の教会まで」
手を切るというは、ちょっと傷つけるという意味ではあるまい。
庶民に慈悲を説く教会だが、財産のこととなると話は別らしい。
おっかない。
最近は1日2桁ポイント程度の伸びでしたが、昨日は500pt以上が入っておりました。
急な伸びの理由はわかりませんが、評価ありがとうございます。
本日は2話更新してみようと思います。
18:00にも更新します




