第632話 代官の館は
今後の拠点となる代官の館について、少しばかり説明したい。
代官の館は地上3階建ての瀟洒な白塗りの建物である。
1階建ての農家が並ぶ中では、とりわけ目立つ作りと言っても良い。
背の低い石垣に囲われた広い庭があり、多くの客を迎え入れることができる開放的な城館である、ように見える。
しかし便宜上は館という言い方をされているが、よく見ればこの建物は城館ではなく城塞である、ということがわかる。
根拠はいくつかある。
城館が目立つのは建物が高いということもあるが、小高い土地の上に立てられているからでもある。
高地の建物は周囲を見渡しやすく、敵の攻撃を退けやすい。
館の周囲の背の低い石垣は、人が乗れるだけの厚さのある胸壁である。
そのおかげで攻城兵器や騎馬が城館に近づきにくくなっているし、戦ともなれば、胸壁上に板塀を築くだけで城塞の防御力は格段に上がるだろう。
。
半地下の1階は分厚い石造りの壁が漆喰で固められており、税として収穫された小麦を略奪から守っているし、井戸は屋内含めて数カ所あるので長期にわたる籠城が可能である。
2階より上は木造となっているが、階段を焼き落とせば簡単には上がってこれない構造になっている。
まさしく、城塞と言えるだろう。
「なんで、こんな城みたいな館にしたんですかね」
とキリクがぼやいたが、俺には理由がわかる。
前任者は、領民を弾圧しつつも、怖かったのだ。
高い税を私腹を肥やすために取れば、領民から恨まれる。
復讐を怖れるあまり、金をかけて守りを固める。
さらに高い税を取る必要がでてくる。
どうしようもない負のサイクルだ。
だが、そうして病的な保身の妄想の上に築かれた城塞は、有事の際に結果的に領地の農民達を守ってくれるかもしれない。
もちろん、そのようなことが起こらないに越したことはないが。
◇ ◇ ◇
館の中は、調査のために訪問したときよりも、ずいぶんと風通しが良くなっていた。
邸内に飾られていた贅沢品、絵画、タペストリーの類は、前任者の不正蓄財の証拠として教会に没収されてしまったからだ。
ただ、それらの有価物は教会の財産として計算され、この領地に投資されることになっているので、現金化されたと言えなくもない。
これから製粉業を興すのに資金は幾らあっても足りない。
その意味では、かえって手間が省けたというものだろう。
街間商人に運ばせてきた各種の設備や道具を下ろしていけば、すぐに最低限の暮らしはできるようになるだろうが、暮らしを軌道に乗せるまではなかなか苦労しそうだ。
そんな状況でも全く堪えていないどころか、むしろ生き生きとしている者もいる。
「井戸もあるし、竈もあれば、ベッドもあるでしょ?十分じゃない!」
掃除が終わると、サラは人を指揮して邸内の環境整備に乗り出した。
工房で職人達をまとめている間に、人に仕事を割り振ることが得意になってきたらしく大変に頼もしい。
考えてみれば、サラは農村の暮らしの方がずっと長いのだ。
心なしか、生き生きとして見える。
「あたしね、ここの庭でいろいろ育ててみたいの!野菜とかハーブとか・・・」
「いいんじゃないか」
農地は農民のものだが、代官の館の庭は代官のものだ。横から口を挟まれるおそれはない。
「あとね、鶏も育てたいの。そうしたら卵も食べられるでしょ?」
「そうだな。毎日、卵が食べられるかもな」
「毎日!それって、すごくぜいたく!」
製粉業が稼働すれば、小麦を製粉した時にでる、ふすま、を活用した養鶏業も起こせるだろう。
先行テストだと思えば、多少の出費と喧しさも我慢のうちだ。
「工房の暮らしも良かったけど、農村の暮らしもいいわね!」
領地に来てからのサラは、本当に嬉しそうだ。
その笑顔が、俺には単純に嬉しい。
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