第631話 領地再訪
目を覚ますと、天井が低い。おまけに体の各所が痛い。
「そうか、馬車の中で寝たんだったな」
久しぶりの野宿は風邪を引きそうだったので、豪華な馬車の車中泊に切り替えたのだが、いかにクッションが効いていても、ベッドに寝ているときと同じようにはいかない。
隣ではサラが涎を垂らして寝ている。
クッションを汚した、などと後で怒られないといいが。
サラを起こさないように、そっと扉を開けて外に出ると、既に朝食の準備が始まっている。
火の番をしている男に鍋から湯を一杯もらえるよう頼むと、銅製のカップにハーブの入った湯が運ばれてきた。
「すごいな。何だか偉くなった気分だ」
「それはもう。代官様ですから」
ペコリ、と挨拶をして男が去っていく。
これが権力というやつか、と奇妙な感慨を持つ。
自分の中身が変わったわけではないが、所属する共同体が変われば人々の見方も変わる。
これまで、巨大な街の巨大な組織の下っ端であった自分が、領地という小さな社会のトップになるのだから、周囲はそのように扱うようになる。
具体的には、特に何もしなくとも周囲が配慮をしてくれ、利便性や快適性を図ってくれるようになる。
いつか、この感覚を当然だと思うようになるのだろうか。
よほど自覚して自制していないとお山の大将になりかねない、との危機感もある。
それにしても昨夜は静かでよく眠れた。
単に疲れていただけかもしれないが、いつも野宿をすると聞こえてくる魔狼の遠吠えも聞こえなかったように思う。
見張りに立っている人間に聞くと「最近は、ほとんど見ませんね」と言う。
これまで冒険者の依頼で見逃されがちだった、領地と領地の間の土地での怪物駆除も、積極的に成されているようだ。
「街間で輸送をしている自分たちからすると、商売が楽になっています。ありがたいことです」とのこと。
話をしていると、サラが朝食の準備ができた、と呼ぶ声が聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
半日ほど馬車を進めると、何度も通った領地が見えてくる。
青々とした小麦畑の道を登った先の小高い土地に建つ城館。
それが、今後の俺の拠点となる代官の館だ。
「ついたー!!遠かった!」
馬車が止まるや否や、サラが飛び出して腰に手を当てて伸びをはじめる。
「なんだ、依頼なら何日でも歩くだろ?」
苦笑しながら冒険者時代のことを指摘すると
「自分の足で歩くのと、馬車で運ばれるのは全然ちがうの!」
と口を尖らせる。
「一休みしたら、館の大掃除をしないとな。街間商人の連中が他所へ行く前に、手伝ってもらうか」
農作業の忙しい時期に、領民を着任の挨拶もなしに働かせるのは外聞が良くなかろう。
公私の区別ができない経営者が自宅の草むしりをさせているような感覚になるので、それはやりたくない。
「誰かお手伝いしてくれる人を雇わないとね」
「まあ、そうだが。それも後の話だな」
普通は館の管理をしている土地の人間がいて、代官が交代しても仕えてくれるものだが、前任者の不正一掃の煽りでまとめてお縄になったので、現在の館の管理者は不在である。
財産の持ち出しなどがあるといけないので、村人の出入りも禁止されている。
一応、臨時の管理者である教会の人間が空気の入れ替えなどをしてくれているかもしれないが、さぞ、掃除のし甲斐があるだろう。
「さて、井戸はどこかしら!」
張り切って腕まくりをするサラに、しばらくは陣頭指揮を任せるのが良さそうだ。
若干の腰痛や筋肉痛と引き換えに、今夜は屋根の下、綺麗な部屋で眠れそうだ。
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