第629話 出立の朝
教会の主導権争いのとばっちりを避けるため、しばし領地の方に滞在することになる。
方針としてはそれでいい。
あとは靴工房を自分が不在の状態でどう運営していくか、ということで新人官吏達を含め相談をしているわけだが。
「あたしはついていくから!」
何も言わないうちから、サラには断言されてしまった。
確かに俺を除けば靴工房の業務を一番理解しているのはサラなのだが、人質に取られて困るのも彼女である。
ということで、サラ以外の代理者を探さなければならない。
「では、クラウディオに任せるか」
新人官吏達のリーダーのような働きをしてもらっている聖職者のクラウディオの名前をあげると、特に異論はでない。
最近は秘書的な動きをしていてもらったので仕事が不便になるが、教会との連絡を保つためにも街に残しておいた方がいいだろう。
教会関係者も、教会の人間に危害を振るうのは躊躇するかもしれないし。
「それはいいのですが、いつ頃に戻られますか。現状の維持と多少の問題であれば自分で処理できますが、長期になると支障があります」
「それはそうだな」
クラウディオの指摘はもっともであるけれど、どれくらい教会内の暗闘が続くかなど、俺のほうが教えて欲しい。
「まずは30日だな。それだけ様子を見る。それ以上かかるようであれば、体制を見直す。それでどうだ?」
「それくらいなら」
クラウディオが同意するのを見て、今度はキリクに向き直る。
「不在時の警備は剣牙の兵団に任せたいが。スイベリーとの打ち合わせの段取りをつけてくれ」
「了解です。まあ、これだけ守りを固めてあれば多少の私兵が来ても跳ね返せますわな」
「魔術師はどうする」
「あれはまあ、団長と相談してみますわ」
確かに、魔術師対策は専門家に任せるしかない。
「それと、ゴルゴゴだが」
「・・・やはり行かんと駄目かのう」
「その方が安全だな」
ゴルゴゴは、今のところ街で一番の印刷技術者である。
教会の過激派や跳ね返りの標的になる可能性は、実はこの中で一番高い。
「しかし、いろいろと置いていくのものう・・・」
ゴルゴゴが工房の一角を占拠した各種の道具に未練をみせる。
ほとんどが作りかけのガラクタだが、改良中の印刷機のように重要な器械もある。
「まあ、工具と設計図だけ持っていくことにして、他は置いていってもらうしかないな。それに、領地に行けば製粉所の設計図が見られるぞ」
「おお!それはいい!」
領地では各種の専門家が先乗りして工事現場にいる可能性がある。
ゴルゴゴが望んで止まない、最新知識を持った技術者との交流が叶うわけだ。
そうなってからのゴルゴゴは一切の不満をあらわさなくなった。
現金なものだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「済まないが、しばらくの間は領地に滞在することになった。代官としての勤めというやつだ。何か困ったことがあればクラウディオを通じて連絡が取れるようになっている。仕事と賃金に影響はないので、安心して今まで通り働いて欲しい」
翌朝、朝食の時間に職人と家族達にしばらく留守にする旨を説明すると、彼らは多少の不安を見せたものの基本的には了承してもらえた。
「小団長様は、いずれ貴族様になられると思っていましたから。僕たちは大丈夫です!」
と下働きの子供が大きな声で言う。
たしか、トマだったな。例の万引きした職人を捕まえた気の利いた子供だ。
ただ、少しばかり気が利きすぎてお世辞を言うのは良くない。
やんわりと否定しようとして、子供の真っ直ぐな目に思わず言葉が詰まる。
この目には覚えがある。
俺が冒険者ギルドに訪ねると、駆け出し連中がこちらに向けてくる強い憧れの目だ。
どうも、この目には弱い。
つい、理想の大人というのを演じたくなる。
「そうだな。いずれ貴族になったら、みんなもいい暮らしをさせてやるからな」
しゃがみこんで目線を合わせながら頭をなでてやると、少年は顔を真赤にして大声で主張する。
「いいえ!今でもすごくご飯をたくさん食べられて、父ちゃんと母ちゃんと働けて、いい暮らしをしています!」
「そうか。だが、俺達はもっといい暮らしができるようになる。貴族っていうのは、そのためにいるんだからな」
少年は一瞬、きょとんとしていたが「はい!」と元気のよい返事をしてきた。
領地の開発が順調に進めば、この工房で働く連中にもう少しいいものを食わせてやれるだろうか。
それぐらいの役得と甲斐性があってもよかろう。
下のものを食わせるために働く。
それが貴族の役割というものだろうから。
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