第617話 麦酒とパンと祭り
サラの提案もあって、急にお祝いとやらを開くことになったのだが。
「何だか、えらい人数だな」
革通りの工房前は、田舎町の祭りのような人数が集まり、ごった返していた。
工房の職人全員と家族を足した人数よりも多いような。
よく見れば、ガヤガヤと集まっている顔ぶれに革通りの他所の工房の職人達や、なぜか剣牙の兵団の連中まで混じっている。
奴らは抜きん出て体格が良いし、揃いの印がついた鎧を着ているのですぐにわかるのだ。
「キリク、こいつらはなんだ?」
なんだ、と言われてもキリクも困ったのだろう。
「兵団の連中ですが……どこかで、酒の匂いを嗅ぎつけてきたんですかね」
キリクでなければ、警備の連中から本部の方に連絡が言ったんだろう。
「まあいい。革通りの出入口だけ警備を増員して、関係者以外は通すな。酒は飲ませるから、仕事はしろ」
了解です、と手配に向かうキリクを見送ると、サラがパタパタと足音を立ててやってきた。
「小麦粉の手配、終わったわよ!あと、職人の奥さん達にも集まってもらってるから!」
「肉と卵の方の準備はできそうか?」
街中で肉や卵は手に入りにくい。まして、急に祭りのために使いたいと言っても、日頃の取引関係や信頼がなければ、金銭があっても注文には応じてもらえないのが普通だ。
「それは、あたしじゃ手に入らないから、剣牙の兵団の人にお願いしたの」
なるほど。剣牙の兵団の連中の情報源は、サラか。
「どうかしたの?」
顔を覗き込んでくるサラに「なんでもない」と返事をして、臨時に増設されたキッチンに向かう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
工房の職人達は平均年齢が若いので、料理の手伝いとして集まってくれた職人の奥さん達も若い。
その中でも、一際若い金髪の女性が進み出て深々と頭を下げて挨拶をしてきた。
「いつもいつも、うちの夫がお世話になっております」
「いや、シオンはよくやってくれてますよ」
若手の新人管理の新妻に挨拶を返したが、つい顔をまじまじと見つめてしまった。
青い頭巾から覗く薄い金色で編み込まれた髪、深い緑の瞳、抜けるように白い肌と、小さな口からみえる白い歯。
舞台女優をしているアンヌほどの派手さはないが、なかなかの美人だ。
彼女を見たら、他の独身の新人官吏の連中が見たら荒れるな、とついおかしくなった。
「ケンジ」と注意してくるサラの声が、少し尖っている。
「ああ。それじゃあ、パンの指示はサラがやってくれ。パスタは、とりあえず捏ねるところまではパンとあまり変わらないよな。一緒にやってもらおうか」
パスタの方には卵が入っていて、パンの方はイーストが入るぐらいだろう、といい加減な知識を元に指示をすると、サラの方で、パンを作る班とパスタを作る班に人を分けてくれた。
パスタについては俺のほうが知っているが、パンづくりについては、サラの方がずっと詳しい。
好きこそものの上手なれ、というやつで、サラの奴はパンの種類や焼き加減やらには、いろいろとうるさいのだ。
最近は工房の運営を任せていたこともあって、奥さん方への指示も堂に入っている。
こちらで3人ほどに手伝ってもらって、卵、小麦粉、塩、植物油を混ぜては捏ねてをやっていると、大量の丸い生地ができた。
生地はしばらく休める必要があるので、それまでは手持ち無沙汰になる。
「小団長、早くきてくださいよ!」
事務所の外から、しきりにこちらを呼ぶ声がする。
急に決めた祝い事なので、手順もバラバラで、すぐに指示を求めて呼ばれるのだ。
おそらく、現場で細かな指示をするべき若手新人官吏の連中は、酒を呑むか肉を食うかで夢中になっているのだろう。
それで、少しでも明日から元気を取り戻してもらえるのなら、それでいい。
肩をすくめると、足早に工房の外へ向かう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
革通りの工房前は、さらに人数が増えていた。
その原因は、樽でどんどんと運び込まれ、注がれ続ける麦酒だ。
荷車から下ろす暇もなく、道を埋める人々が捧げ持つ杯にどんどんと景気良く注がれる。
サラのやつ、ずいぶん派手に注文したな、と少しばかり懐を気にしながら、その光景を眺めていると後ろから聞き覚えのある声がかけられた。
「心配するな。あれは剣牙の兵団からの差し入れだ」
そこには珍しく鎧をつけずゆったりとした長衣に剣を履いただけの、剣牙の兵団の団長が杯を持って立っていた。
「またやらかしたようだな、ケンジ」
あいかわらず、口が悪い。
そして、やることが芝居のようだが、それがまた似合っている。
「お前さんに比べたらまだまだだよ、ジルボア」
お世辞ではない。剣牙の兵団の連中は、俺と比較すれば誰でも遥かに腕が立つが、その中でも序列はある。
ジルボアと周囲の外征軍団は、草を刈るように強大な怪物を打ち倒している兵団の最精鋭なのだ。
なんだかこいつ、ますます人間離れしていくな。
明日の更新は22:00頃になりそうです




