第594話 ピンはね男
数日も経つと駆け出し冒険者の騒動も落ち着きを見せたので、今まで放り出していた案件の処理に追われる日常が戻ってきた。
もっとも、領地開発については既に現場の人員手当など実務者のレベルで事業が動き出しており、監督と報告の体制を整える以上のことはしていない。
早いうちに現地の代官屋敷を接収し、滞在しながら仕事を遠隔で管理するための仕組みを整えたいものだが、今は教会と印刷業に関する打ち合わせを持つための準備で精一杯でもある。
そうして先々のことについて事務所で計画書を書き散らしていると、サラがお茶を淹れてくれる。
仕事に集中していると声をかけてこないが、休みなさい、という合図だろう。
あるいは、何か話したいことでもあるのか。
案の定、仕事を中断しお茶の手に取ると、サラが話しかけてきた。
「それで、あいつはどうしたの?」
「あいつ?」
あいつと言われても、咄嗟に誰のことかは思いつかなかった。
今の俺の頭の中は、先々の計画のことで過去のことを考える余裕がない。
「もう!あのピンはね男よ!」
ピンはね男。
元冒険者のマルティンも、酷いアダ名をいただいたものである。
「たしか・・・今は街回りの真っ最中のはずだ。あんなケチ臭い商売のわりに、雇ってた数は通しで300人近くになるらしいからな。足取りがつかめないのもいるだろうし、まだまだかかるだろう」
「300人・・・冒険者の数字じゃないわよねえ」
「ああ。何でも食い詰めた連中には片端から声をかけてたらしい。それで、片端から逃げられてたわけさ。自業自得だな。まあ、酒を抜くには丁度いい運動さ」
誰でもできる低賃金労働だとして、採用も待遇も適当にやった結果、ブラックな職場となって年中人手不足に喘いでいたらしい。
まあ、経営なんかを学んだことがなければ、そうなるのも仕方ない。
「途中で逃げ出したりとかしないの?」
「治療費を借金として契約してあるからな。それに膝の装具と杖の代金もつけてある。その種の契約を守る奴に見えるから、大丈夫だろうさ」
結局、膝が完治したわけではなかったので、ゴルゴゴと革通りの職人に頼んで膝の動きをサポートする装具も作ってもらった。当然、代金はマルティンもちだ。松葉杖も、先を膠で固めた滑りにくいものを作ってやった。
その代金も、マルティン持ちだ。
「ちょっとケンジ、少しひどくない?」
「なに言ってるんだ。あれは相当よくできてる装具だぞ。王都にだってない代物なんだから、正当な対価だ」
なにしろ、前の世界でリハビリに使われていたような器具を、革や金属の鎧を作る職人に依頼して制作したのだから技術と金がかかっている。
「そういうもの?」
「とりあえず俺は見たことがないな」
杖と三角巾ぐらいは見たことはあるが、膝のサポーターや義足となると、ほとんど見かけない。
おそらく街の外で足を負傷した冒険者は、街へ辿り着く前に死んでしまうのだろう。
「それに剣牙の兵団から監視の団員もつけてある。走って逃げたりでもできないさ」
マルティンがやったようなピンはね商売を許さないという姿勢を示すために、監視を兼ねて剣牙の団員も一緒に街を回っている。
「あとは、字が読めるって話だから、酒が抜けたらギルドの中で読み役でもやらせるさ」
椅子に座って依頼書を読むぐらいなら、今のあいつでもできるだろう。
そうして信頼できるようなら、もう少し仕事を任せてもいい。
話していると、サラがなんとも複雑な表情でこちらを見る。
「その・・・ケンジはなんで、あいつに親切にするの?」
言われるほど、親切にしているだろうか。
俺がマルティンにした親切を数え上げてみる。
イカサマ商売を潰した。
治療の借金を負わせた。
その上で、こちらの仕事をやらせようとしている。
親切だろうか。まあ、サラの目に親切に映っているのだから親切ということにしておこう。
少し考えをめぐらせ捻くれた本音を茶化して答える。
「なに、ああいう生意気な若いのが嫌いじゃないのさ」
だが、せっかくの答えは「ケンジって、変よ!」とサラに片付けられてしまった。
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