第570話 身分が足りない
聖職者の思わぬ言葉に、俺は少しばかり呆然としていた。
ただ、ミケリーノ助祭の共感と信頼には応えたい。
それが、言葉にも出た。
「私も、忘れたわけではありません。あの親子を減らすことは、私にとっても一つの目標です。農村が豊かになれば、結果的に冒険者として死んでいく若者が減ります」
「あなたなら、そう言うと思いましたよ」
ミケリーノ助祭は深く頷いてから、ふと話題を変えてきた。
「ところで、ケンジさんの靴工房では、子供も雇用しているそうですね」
「ええ。試験的にですが、工房の掃除や準備などをしてもらっています」
新人官吏から詳細な報告書が行っているだろうから、隠しても意味はない。
児童労働について小言を貰うかもしれないが、素直に答える。
「中には、街の通りで暮らしていた子供もいるとか・・・」
「お詳しいですね。ええ。ただ、その子は街に市民権のある子供でして、事情があって家出していたようなのです。今は工房で喜々として絵を描いていますよ」
「ですが、その事情がわかったのは引き取った後なのですよね?」
「そうなります」
「ならば、その徳は十分に讃えられることでしょう」
子供の話題は非難ではなく、保証人のいない状態で子供を引き取って働かせたことに対する賞賛だったようだ。
このあたりの感覚には、なかなか慣れない。
そして、今の話題も考えをまとめるための雑談だったらしい。
ミケリーノ助祭は手を組んで向き直り、少しばかり改まった口調で話し始めた。
「さて。肝心の印刷業をどうするべきか、という点についてですが、私個人の意見としては、やはり教会の外に置いたほうが良いと思います。ただ、教会も全く手を離すというわけにはいかないでしょう。印刷は大きな利権になるでしょうから、私の個人的な意見とは別に、組織として印刷業を所有したい、と考えるはずです」
「そのあたりの事情は、理解できます」
ミケリーノ助祭がいかに理解を示しても、また高潔な人格者であったとしても、教会としての組織の論理は別にある。そういうことである。
「ですが印刷業は教会では管理しきれそうにないですし、するべきでない、とも考えます。ケンジさんが貴族か聖職者であれば、いっそ話は早いのですが」
「その場合は、どうなるんですか?」
どちらにもなるつもりもなく、またなれもしないが、仮定の話としては興味深い。
「あなたが聖職者であれば、部門を立てて印刷業を任せます。もし貴族であれば、教会から働きかけて一家を立ててもらいます。そこの家業とするわけですね。そして、書類上は教会に所属する聖職者ということにしてもらいます」
前者は理解できるが、後者の理解が追いつかない。昔の武士が仏門に入るようなものだろうか。
要するに、どちらも聖職者になる、ということまでは理解できるが。
聖職者にするために金銭でも払って利権と相殺するのだろうか。
教会と貴族社会は対立しているように見えて、昔から存在している組織同士、それなりにうまくやる政治的な手続きが存在しているのだろう。
「ただ、代官では少し身分が足りませんね」
身分。また身分か。
俺は冒険者としては破格にうまくやっているし、平民としてもわりと成功している方ではあるが、貴族や教会の利権が正面から絡む問題となると、身分の問題がまたぞろ頭を出してくる。
「ですから、ケンジさんに期待するわけです。また何か知恵をお持ちでしょう?」
「まあ、ないことはないですが」
教会に利権を残しつつ、印刷業の自由度を持たせる。
そうした難題に、どのようにアクロバティックな回答を出すか。
またしても知恵の見せ所、というわけだ。
本日の22:00更新は難しいかもしれません
⇒すみません。急用のため18:00に更新できませんでした。22:00は更新します




