第553話 靴職人の発想
「ジルボアの英雄譚か・・・売れるな」
怪物の跋扈するこの世界、ジルボア以外にも英雄的な力量を持つ人間は各地にいるだろう。
だが、その評判はこの街の庶民の俺にまでは聞こえてこない。
反対に、ジルボアの評判も、他の街の庶民にまでは聞こえていないだろう。
つまりは、情報の伝達がこの世界では、それだけ難しく、価値があるということだ。
名声とは情報の伝達そのものだから、高い名声にはそれだけ価値がある。
教会や貴族は独自の情報網を持っているので、他の街についても情報を握っており、それが彼らの権威と権力を支えている。
貴族同士で社交を行うのも、その際に行う情報交換が大きな目的の一つと言っても良い。
他の貴族からジルボアに婚姻などの話が持ち込まれるのも、貴族同士のつながりが基にあるわけだ。
そこに、ジルボアの英雄譚が冊子としてもたらされると、どのようなことが起こるのか。
冊子のような新規の情報伝達の媒体が権力のネットワークを無視して市井に流布するということは、情報伝達を基にした権力構造に楔を打ち込む行為になり得る。
そうして、ジルボアは冒険者として初めて王国中に自分を演出するメディアを持つ平民出身の英雄となるわけだ。
それは、これまで大組織を持つ教会以外が手にしたことのない種類の影響力であり、権力だ。
杞憂かもしれないが、そこまでのことをして構わないのだろうか。
ジルボアが望んでいることとは言え、本人にそれだけの心構えがあるだろうか。
「これは、ジルボアと話し合う必要があるな」
一応の結論はつけて、次のアイディアに移る。
◇ ◇ ◇ ◇
「サラは・・・最後にするか」
「なんでよ!」
途端に、サラが口を尖らせる。
「たぶん、言いたいことが沢山あるだろう?」
「そっ、それはそうだけど・・・」
「まずはシモンから聞くか」
シモンは工房の職人から、ただ一人、新人官吏に引っ張ってきた人間だ。
年齢も一番下で、他の経験を積んだ官吏達からすると、その人生経験と職業経験は限られており、文書を書いたり主張をするのは得意でないので、6人の官吏の中では影が薄い。
だが、俺は個人的にシモンには一番期待している。
職人として働いているときから、シモンは何かと目端が利いた。
俺が導入した新しい製造工程にも、人一番早く順応した。
シモンは賢い。だが、それを人前で表す訓練が不足しているだけなのだ。
この種のエンジニア気質の人間が組織にいると、絶対に役に立つ。
口数が少ないからといって、考えている量が少ないとは限らない。
同質の人間による議論が詰まった時に、思いもかけない発想を出してくれるのは、このタイプだ。
だから、管理者は目先のことだけを考えず、じっくりとこの種の人材の成長と成果を待って、ときに組織内で軽んじられるのを庇わないといけない。
「ええと。はい。自分は、靴事業のことしか知りませんから、その靴を印刷してしまえばいいんじゃないかと・・・」
「靴を?」
「はい。冒険者の靴の注文を、そうやって取るんです。今、靴を扱っているのは少数の街間商人だけですよね?もし靴の注文書に靴の図が印刷された冊子のようなものがあれば、きっと便利だと思ったのです」
カタログ販売か!
俺はシオンの発想に舌を巻いた。
明日は12:00に更新します




