第543話 変化の種
改めて教会と印刷技術の状況について打ち合わせを持ちたいという言葉に反応する者がいた。
「印刷技術については、以前、報告しておりますが・・・」
クラウディオが言う。
以前、ミケリーノ助祭に呼び出されて、技術の買い取りを依頼されたことがあった。
その時のことを言っているのだろう。
たしかに、その時から比較すると綺麗に印刷できる範囲が少し大きくなっただけのように見えるかもしれない。
手の平サイズの詳細印刷が、書類サイズに拡大しただけではないか。
「たしかに、そういう見方もある。技術が飛躍的に進歩したわけではない。ただ、用途は飛躍的に広がったのだから、それに備えないとならない」
「用途、ですか?」
人の想像力には限界があるし、出来上がっていないものについて想像しろというのは難しいのかもしれない。
自分が偉そうなことを言えるのも、印刷物が溢れていた元の世界から知識を引っ張りだしてきているだけなのだから。
それだから、確信を持って言える。
「ああ。この印刷機は、世の中を変える可能性がある」
「はあ・・・」
ゴルゴゴが開発したということは、世の中の他の誰かがいつ開発してもおかしくない。
その時に備えて、教会は体制を整えるべきだ。
変化を抑圧する側でなく、主導する側になってもらいたい。
それが、これまで教会から受けてきた幾多の恩に報いる俺なりの礼でもある。
ニコロ司祭であれば、それだけの想像力があると期待しても良いだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それにしても、ゴルゴゴが印刷機の改良に真っ先に成功したのは、なぜか。
その要因について考えてみると、幾つかの環境が作用したものと思われる。
まず、本人の資質として、改良や発明が大好きな職人であったこと。
革通りで単独で工房を構えていた頃から、商売が傾いて結婚した妻に逃げられるくらい工夫に入れ込んできたのだ。
そのくらい、新しい技術となると目の色を変えて取り組む姿勢は印刷機の改良でも遺憾なく発揮されている。
次に、元になる印刷機を自分の手でつくったこと。
ワインの圧搾機を改良したものではあったが、俺のいい加減な知識を元に、原始的な銅版画を自らの手で作り上げたことで、印刷技術に関する見識が高まったこと。
いつの時代も、手を動かしている人間が最も物事を理解しているものだ。
それから、靴の工房が儲っていてゴルゴゴが印刷機の改良に血道を上げている余裕があり、それを俺が許してきたこと。発明家にとって、支援者の獲得はいつの時代も最大の課題だ。それを労せずして獲得し、目の前の課題解決だけに全力で長期間、臨むことができたこと。
まだある。革通りには、怪物の原皮を革に処理するために、様々な溶液を工夫する職人が数多くいる。銅版画の改良のために必要な溶液についても、処理に困ったらとりあえず溶液につけてみる、溶液の成分を工夫するという、革職人の行動が役に立ったのだろう。偶然かもしれないが、発明や発見とは往々にして偶然に支えられている。
そして、この工房で作業していることで、工房を尋ねてくる様々な専門家の知見に触れることができたこと。
個人的な資質、技術的な素養、経済的な支援、周囲の産業的支援、知的創発の環境が揃ったわけだ。
「これは改良が進んで当たり前だよな。どうしたものか・・・」
思わず声が漏れる。それが感嘆なのか、諦観なのかは自分でもわからない。
視線の先では、こちらの気苦労も知らずにゴルゴゴが相変わらず見習いの少年に指示して、自分で手をかけた印刷機の周りを忙しく走り回っている。
むさいオッサンだというのに、まるで大きな子供と小さな子どもが大きな玩具を作って遊んでいるかのような様子に、思わず笑みが漏れる。
工房の片隅で起きている小さな変化の種。これを、より良い方法で世の中に出してやりたい。
それが技術を支援した者の責任というものだろう。
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