第538話 印刷物の用途
「もう少し精度が上げられるといいのだがね」
ゴルゴゴは、こちらの困惑など構わず印刷の話を続ける。
「男爵様からいただいた絵を、この小僧が模写するようになって試験の回数が増やすことができたのでな。その絵も男爵様の直筆でなく模写じゃよ。銅板に鋼の筆で絵を書くと周囲がバリバリとするのだがな、革なめしの液の配合を変えたものにつけると、そのバリとヒダが取れるんじゃな。おまけに彫った部分の絵がクッキリとする効果もあってな。大分、見やすくなったと言えるじゃろうな」
「・・・そうか」
「うむ。それと印刷機はもう少し改良の余地があるな。四隅を抑えつつ上からグッと抑えるようにしているのだが、もっとこう、グリグリと押し付ける仕組みにしたいのだな。水車を使うわけにはいかんだろうが、あのように回る仕組みや歯車が使えるような気がするのだが・・・」
「うん?水車の話はどうやって知ったんだ?」
ふと気がついて問いただすと、ゴルゴゴは露骨に目をそらした。
「ゴルゴゴ」
「う・・・うむ。なに、少しばかり話を聞いて回っただけじゃよ。客が大分来ておったじゃろう」
たしかに専門家達との面談は工房の角で行っていた。
同じ建物の中で印刷機に取り付いていたゴルゴゴであれば、耳を澄ましていれば内容は自然に入ってきたことだろう。
「はあ・・・これはこちらの失敗だな。だが、もうするなよ」
注意はしたが、ゴルゴゴが結果を出したことは間違いない。
人の好奇心を殺すことはできないし、ゴルゴゴのような職人は、他人の技術を盗み見ることで技術を上げてきたのだから、本当に悪いとは思っていないだろう。
改めて冊子を手に取ると、確かによく出来ている。
怪物の線の一本一歩までが、綺麗に縁取られており、インクの滲みもない。
「これは、どのくらいまで大きく印刷できるんだ?」
元の印刷機はワインの圧搾器を改良したものであって面にかける圧力が不足しており、せいぜいハガキより少し大きいサイズの印刷が精一杯だった。
「ああ、今はこう、このくらいじゃな」
ゴルゴゴが無骨な掌を動かして作ってみせた四角形は、一般的な書類のサイズぐらいまで拡大していた。
つまり、今の精度で書類サイズの絵が印刷できるということだ。
「・・・何か言われる前に教会に相談すべきか」
今回の領地の話が来た時に、怪物対策マニュアルの試験版を領地の教会に置こうと企んでいたわけだが、それは精度の粗い小冊子の備品としてのものであり、ちょっとした美術品として代替できるサイズの印刷が可能であれば、また事情が違ってくる。
「このサイズであれば、男爵様の著作を普及させることもできるな」
技術が進歩すれば用途が広がる。
今では博物学者として名声を高めつつある男爵の著作を印刷してもいい。
豊富で精密な図の入った安価な冊子は、男爵様の業績を世間に広めるのに決定的な役割を果たすことだろう。
冊子を参考に怪物の生態について博物学的なアプローチをする人々が増えれば、怪物の脅威をこの世界から駆逐することに必ずつながる。
進歩した印刷技術という新要素をどのように領地開発に組み込むか。
あるいは単独で取り扱うべきか。
なかなかに悩ましい。
本日は22:00にも更新します




