第459話 後頭部の傷
「この怪物は、言わば体全体が麻痺したような状態になっておるのです」
男爵の説明は続く。
「ですから、剣で手足を刺したとしても痛みは感じず、動くことはありませんな。ただ、ご覧のように念のため特別に造らせた鉄の枷をつけておりますから、実際に手足を動かすことはできませんが」
男爵が説明する通り、分厚い棺の蓋をずらした中には、人喰い巨人の手足に重厚な鉄の枷が跳ね橋を動かすような太い鎖で括り付けられているのが確認できた。
こわごわと近寄ってきた貴族達も、その様子を見て安心したのだろう。
変人と名高い男爵の呼びかけに応じて集まる好奇心の強い人達なのだ。
間近で初めて見る人喰巨人を前にして、興奮を隠そうともしない。
「これが人喰巨人・・・なんと恐ろしげな牙をしているのか」
「あの腕の太さを見ろ、人間の胴体よりもあるのではないか・・・?」
「鼻孔はずいぶんと大きいな。嗅覚が発達しておるのではないか」
触れるのは怖いのか、さすがに接触する者はいない。
だが、先程よりも怪物に近寄り、その身体的特徴を確認しようと試みる人達も増えてきた。
その中の1人が言った。
「・・・あの鼻、動いていないか?」
ギョッとしたように、周囲の人間たちが動きを止めて人喰巨人の醜い顔を見つめる。
人間の倍はある大きな頭。四角い顎。上に向かって生えた鋭い牙。
そして、上向きに潰れた鼻は、たしかにヒクヒクと微かな動きを見せている。
「う・・・動いている!!」
誰かが叫ぶと、観客達は再び潮が引くように、さあっと棺から距離を開ける。
それが大きな騒ぎになろうとするところを、男爵が右手を上げて注意を集める。
「いやいやいや。ご心配なさらず。ご覧の通り、こいつは死んではいません。息はしております。ですが、目をさますことはありません。その証拠に、捕らえてからずっと水も食事も取らせておりません。目を覚まさないからです。胴体を見ればおわかりのように、段々と肋骨が浮き出てきております。こやつは、もうすぐ飢え死にしようとしておるのです」
「飢え死に・・・」
眠ったまま飢え死ぬ。人喰巨人と言えば、その底知れぬ食欲で、出会う人間の全てを食らうと言われるところからついた名前を持つ怪物である。
そんな怪物が飢えて死ぬまで目を覚まさない。そんなことがあるのだろうか。
「秘訣は、これですな」
男爵はおもむろに両腕を棺の中に入れ、苦労して人喰い巨人の頭を横に向け、観衆達に巨人の後頭部が見えるようにする。
「管・・・?それに縫い目?」
人々が目にしたのは、巨人の後頭部から首にかけて、何らかの刃物で切り開いた後に太い糸で縫い合わせたような跡と、首から生えた管であった。
そして、管は巨人の首筋から棺の中に設置された壷の中へと続いている。
「この壷には、先程話した痛み止めを数倍に濃縮した薬が入っております。それを、この細い管を通じて怪物の頭に直接入れておるのです。この管は、とある吸血する魔物の触手でしてな、血が逆流せぬ仕組みがついておるので、こういった用途には向いておるのですな」
男爵の淡々とした説明と、目の前に示されている神をも怖れぬ所業に、先程まで男爵を賞賛していた貴族達も何と評するべきか、言葉を失っているようだった。
明日は18:00に更新します。22:00の更新は難しそうです。




