第444話 宴の後
まだ薄暗い内に、事務所の扉の向こうから、ガヤガヤと人が立てる音がする。
甲高い子供の声と、それをたしなめ、叱りつける静かな女性の声。
あれは職人達の奥さんが子供とやって来て、職人達の朝食を準備する音だ。
つまり、朝か。
眠い目をこすって起きようとすると、頭部に鈍痛がはしる。
おまけに瞼の裏が重い。
「あ、ケンジ起きたの?」
一足先に起きていたサラが、元気な声で呼びかけてくる。
いつもは安心するその声が、頭の芯まで響いて、脳を破裂させようとする。
「朝食は?」
「いや、いい・・・」
要するに、ケンジは酷い二日酔いと共に目を覚ましたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
事務所から体を引きずり出すようにして朝食の卓に向かうと、既に職人達は食べ終わろうとするところだった。
「「小団長!おはようございます!」」
手伝いに来ている子供の高い声が、この朝ばかりは憎い。
「ああ、おはよう」
それでも挨拶はしっかりと返さなければならない。
年若い職人を、挨拶も含めてきちんと躾けることも、職場教育の一環だからだ。
朝来たら挨拶、退勤のときも挨拶を徹底する。
この手の統制的な教育を学生時代の自分は嫌いだったが、実際問題、荒れた工場や新規工場の立ち上げをしようと思えば、挨拶をすることから徹底しないと上手く行かないのだから仕方ない。
「なんですか、二日酔いですか?」
目敏い奥さん連中の目は誤魔化せない。
「ええ。剣牙の兵団の連中に、しこたま飲まされましてね。日が昇る直前まで彼らの事務所で宴会だったんですよ」
「まあ。それじゃあ、あの喧嘩騒動も終わったのですか?」
「ええ、まあ」と、俺は言葉を濁した。
喧嘩騒動か。
たしかに、職人達から見れば、そう見えたかもしれない。
職人も、その家族達も、昨日の出来事を詳しくは知らない。
先日の革通りの門を挟んで起きた前代官が雇ったならずもの連中との激しい戦いは、剣牙の兵団の圧倒的な勝利で、しごく短時間で終わったために騒動の割に目撃者が少ない。
それに夜間は帰宅していた職人達は、ごく僅かな血糊以外の怪我人や死体を見ていない。
もちろん、その後の私設小法廷に呼ばれたことや、そこでの一連のやり取りも知らせていない。
彼らには、どこまでの事情を知らせたものか。
知ったところでどうにもできないし、そもそも裁判の内容を理解するためには素養が必要となる。
あの危うい駆け引きややり取りを、この和やかな朝食の席に持ち込みたくない。
朝から麦粥をスプーンで勢い良くかきこむ子供、その口元を拭こうとする母親。
かと思えば母親同士で何かを相談し、子供同士で自慢しあっていたりする。
こうした何でもない朝の光景が、自分にとっていつの間にか大事な守るべきものとなってしまっているらしい。
「はい、じゃあ今日も仕事を頑張りましょう!」
ただ、サラの威勢の良い掛け声が、今朝ばかりは頭の芯に響くのだけは勘弁してもらいたい。
この後には、新人官吏達との詳しい打ち合わせが待っている。
スケジュールが詰まったので仕方ないこととは言え、溜息をつきたくなる。
明日は12:00に更新します




