第363話 王様の耳はロバの耳
法律や文書の記録でない証言に価値が有るのか。
クラウディオが投げかけた問には、結局、サラが代表して答えるようだ。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど」
と前置きをしてから、話し始める。
「農村の人とか、冒険者の人、街の職人の人も、ほとんど字は読めないの。だから、世の中の人は、お貴族様や聖職者様をのぞいたら、ほんとうに少しだけの人しか字が分かる人がいないと思うの。なのに、そういう沢山の人達の意見は無視しろっていうの?あたしは、それは違うと思う」
「しかし、彼らのような字の読めない人々は統治される側の人々であり、守られる側の人々です。学もなく、責務のない彼らの意見を集めても、正しい統治は行えません」
サラの意見に対し、クラウディオは胸を張り傲岸に言い放つ。
そして、この世界の教育水準と身分制度から見れば、クラウディオの意見の方が貴族や聖職者階級の中では一般的でもある。
信仰を守る階級としての聖職者、民を守る階級としての貴族階級、守られながら生産に従事する民衆、という建前としての身分制は常識や倫理観として抜き難く教育を受けた上流階級の中に、強く意識されている。
だが、それは統治する側の価値観でしかない。
「でもあたし、守ってもらったことなんてないよ?」
と、サラが答えたように、この世界には冒険者がいる。
身分制度の外に飛び出して、世界の脅威である怪物たちから民衆を守り、暮らしを立てる者たちがいる。
小はスライムを狩って小銭を稼ぐ少年から、大は龍を屠る英雄まで、様々な人間が冒険者として生きている。
庶民の実感としては、そういうことだ。
「それに、あたしは弓でたくさんゴブリンをやっつけて村の人も守ってきたんだから。あなたは何を守ってきたの?」
若いクラウディオとしては、聖職者の存在意義に正面から反論する庶民という存在に面食らったようだ。
咄嗟に言葉が出てこない。
「わ、私は、聖職者として信仰を守るための研鑽を重ねてきました。いまだ修行中の身ではありますが・・・」
「じゃあ、魔術で治療できるの?」
「あ、あれは触媒も高価ですし、治療は教会の秘儀です。私のような修行中の身では未だ・・・」
「でも、法律だとか、税金で農民を苛める勉強はしてるんでしょ?」
「別に苛めるわけでは・・・」
「まあ待て。議論が焦点からズレているぞ。字が読めない人を、統治ではどう扱うべきなのか。そこに立ち戻ろうか」
クラウディオが庶民の価値観に触れて衝撃を受けているように、サラも統治する側の価値観に触れて衝撃を受けている。その衝撃が、単純な意見の対立に留まらず、感情的な相手の否定へと向かっているように見える。
中立的な立場を守って、論理で議論するという行為に慣れていないと、意見の否定が人格の否定へとつながってしまうことは、よくあることだ。
意見は意見、議論は議論、と切り分ける大人な議論をするためには時間と場数が必要なので、適宜、こちらで誘導してやる必要がある。
「そうね。あたしが言いたいのは、字が読めない人の意見は聞いたほうがいいってこと。特に、冒険者の意見は聞いたほうがいいと思うの」
「それはなぜですか?彼らは村にとって余所者でしょう?」
「その余所者だからよ。村ってすごく狭いから、誰かに言ったら、すぐにみんなに伝わっちゃう。それが領主様の耳に入ったら家族まで大変な目に遭うかもしれないでしょ?だから、みんな言いたいことがお腹の中に貯まってるの。だけど、余所者なら話をしても、すぐに出て行くから文句とか不満とかも話せるの。あたし、冒険者で村に寄った時にいろいろ聞いたもの。それでね、ケンジには、そういう悪口を言われるような代官様になって欲しくない、って思ったの」
王様の耳はロバの耳、ということか。冒険者は土にあけた穴、ということだ。
官僚組織というのは仕事をこなす単位であると同時に、情報伝達のための階層組織でもある。
上位階層の情報処理が飽和しないように、各階層で情報の絞込を行うわけだが、その途中で情報が劣化することもよくある。
この世界のように、字を書けるものが圧倒的な権力を持った状態だと、それが顕著に表れやすい。
自分も、よほどに気をつけて組織や業務の設計をしないと、気がつけば裸の王様になりかねない、との想いを強くする。
本日は18:00にも更新します
 




