第344話 諮問
葡萄酒の器械を取り寄せている。
要するに「印刷事業のことは知っているよ」と言いたいのだろう。
秘密にしていたつもりはないが、それにしても耳が早い。
革通りは閉鎖的な場所であるから教会関係者が入り込むのは難しいとは思うので、ミケリーノ助祭周辺にでも情報を漏らす人間がいるのだろう。
もちろん、革通りの人間が買収されて喋ったという可能性もあるが、周囲の人を疑うと際限がないので、それは考えない。
それに、銅板を用いた印刷事業は、まだまだ始めたばかりであるし、技術的にも体制的にもこなれていないものであるから秘密が漏れたところで問題ない。
むしろ、どんどん真似して広めて欲しいぐらいだ。
だから、俺の表面上は平然とした反応に不満があったのか、声をかけてきた聖職者は少し不満そうな顔をして離れていった。
別の聖職者が、食事の手を止めて聞いてくる。
「ところで、教会の印を管理するという、新しい部門があるのですが、ケンジ殿はそれをご存知で?」
「はい、ニコロ司祭様より伺っております」
俺としては、そう答えるしかない。
「教会の印とは、聖なる印。その使用を許可することで金銭を得る。その行為の是非について、教会でも議論があるのですよ。ケンジ殿は、枢機卿の靴に印を刻印し、それを以って教会に喜捨を為さると聞き及んでおります。ケンジ殿は、いかがお考えで?」
そう正面から問われて、何となくこの祝宴の目的が見えてきた。
これは、ある種の諮問なのだ。わかりやすく言えば、圧迫面接だ。
居並ぶ聖職者達の名前はわからないが、何れも枢機卿の派閥であることは間違いないだろう。
ニコロ司祭の政敵かどうかはわからないが、少なくともある程度の協力関係にある者達のはずだ。
そうでなければ、この祝宴に招かれないだろう。
「行為の是非は教会の皆様が決定なさることでございますが・・・」
そう前置きしてから続ける。
「教会の印が尊いことは、議論をするまでもございません。その尊さの価値は、教会の印を掲げる聖職者の皆様の尽力の結果であり、容易に金銭に換算して良いものでないことも、議論するまでもないことでございます」
カネになるんだからいいじゃないか、という議論は避ける必要がある。教会という組織にとって、金銭は力であり出世の手段になるが、それが組織の目的ではない。
「それだけに、教会の印は慎重に守られなければなりません。泥にまみれさせるわけにはまいりません。教会の印が教会の高く、奥まったところに設置されるように、民の日常で使用されるのであれば、それは尊さが保たれる対象のみに限られるべきです。間違っても、厠の履物などに刻印されるべきではありません。そして、それを決定するのは教会であるべきです。喜捨は、その調査費用だと考えております」
「なるほど、尊さを保つためには調査が必要、というわけか・・・」
俺の説明の論理に納得したのか、その聖職者も引き下がった。
それからも、他の聖職者による雑談という名の諮問は果てしなく続いた。
最近の開拓事業について、どう考えるか。
教会による貴族への投資効率の改善についてどう考えるか。
冒険者ギルドと教会の関係性の構築について、どう考えるか。
いずれも、俺がやらかした事業についてであるから、説明自体に苦労することはなかった。
と、同時に、ここまで広く教会に把握されているとは思わなかったのが本当のところだ。
ミケリーノ助祭を通してニコロ司祭に直接報告していたので、何となくニコロ司祭のところで情報が独占されている印象を持っていたのだ。
あるいは、単にニコロ司祭が派閥内で出世して周囲と調整する必要が出てきたのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そうして主観的には数時間に及んだ聖職者達からの質問が途切れると、ニコロ司祭が周囲を見回して
「さて。それでは皆様。宜しいか?」
と厳かに確認し、聖職者達は頷いた。
ようやく解放されるのか。
表面上は平静を保ちつつも、俺はすっかりヘロヘロになって、一刻も早く祝宴が終わらないものか、と心の中で念じていた。
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