第314話 大商人ジャコブの疑問
ジャコブは伯爵領で10本の指に入る大商人である。
数代前の先祖が小麦の売買から酒の販売へと商売の手を広げることで家産を増やし、それを代々、堅実な経営を続けることで身代を守り続けてきたのだ。
その資質はジャコブにも受け継がれ、それに加えて人あしらいの上手さや計数の確かさで、1等街区の大商人や貴族達にも敬意を払われている。
その堅実な大商人たるジャコブが、しきりに首を捻り続けている。
「父さん、どうかしましたか」
ジャコブの長男であるナザールが、そんな父の様子を見かねて声をかける。
ナザールから見て、父は必ずしも即断即決の人ではないが、それだけに決断と行動には根拠と論理性があり、傍らで補佐し、次代の経営者を目指す彼にも理解できる場面が多い。
その父が、小半時も悩みつづけている。
らしくないことだった。
「うむ、この手紙だが」
と、ジャコブが机上に広げられた羊皮紙を長男にも見せる。
ジャコブは長男の若さと発想力を買っている。
自分では理解できない内容も、あるいはナザールなら理解できるかもしれない、と考えたからだ。
若干の緊張と共に羊皮紙を覗き込んだ長男は、そこに知った名前を見つけて気の抜ける心地がした。
「なあんだ、父さん、妹の旦那のスイベリーからじゃないですか。それも、葡萄酒を絞る器械がないか、だなんて」
昨年、4つ年下の妹が結婚した相手は、街で売出中の剣牙の兵団の副長であるスイベリーである。
最初に父から話を聞いた時、可愛い妹の結婚相手が冒険者風情とは、と頭に血がのぼったものだが、広場で依頼を達成するごとに行われる凱旋式を見て、その意見をすぐに翻すことになった。
恐ろしげな怪物の首を前に、夕闇の中、篝火に照らされ整列した剣牙の兵団は、騎士団とはまた別の規律の高さと揃いの装備で周囲を圧倒していた。あれは、断じて一介の傭兵団に納まる集団ではない、とナザールは思った。
特に、団長の男のカリスマは尋常ではなかった。
あの男は、英雄になる。ナザールはそう感じたし、父のジャコブの意見も同じだった。
そうして大商人ジャコブは、親族としての縁を剣牙の兵団と持つことになったのだ。
だから、スイベリーから父に依頼の手紙が来ることに不思議はない。
資金援助や人員の派遣の要請など、過去に何度もあったことだ。
それでナザールは肩の力が抜けてしまったのだが、父であるジャコブはそうではなかった。
「それはそうだ。しかし、なぜ葡萄酒を絞る器械が必要なんだ?」
「それは・・・」
答えようとして、ナザールは言葉に詰まった。
「もし手元に器械がなければ、種子油を絞る器械を売ってくれる商人を紹介して欲しい、とも書いてあるな」
油の商人?種子油を絞る?いったいなぜ?ナザールは、ますます混乱した。
「その、理由は書いていないのですか?なぜ必要なのか、と」
「本人にも理由はわからないらしい。大事な義理の息子の頼みであるから手配はするが、いったいぜんたい、何に使おうというのか?」
そう言ってジャコブは再び首をひねったが、結局、その疑問に答えが返ってくることはなかった。
本日は22時にも更新します
ちょっと実験的に書き方を変えています




