第313話 男爵様でなければ描けない絵
すっかり肩を落とした男爵様に、俺は話を持ちかける。
「ところで男爵様。次の素材収集の準備ができるまでの時間を活かして、こちらの素晴らしい絵を、より広めてはいかがかと思うのですが」
すると現金なもので、ジルボアに要求を断られて丸まっていた男爵様の背筋が、とたんにしゃんと伸びた。
「ほう?広める?そういえば、1000枚の絵を描く、と言っておったの?」
「正確には違います。教会を通じて王国全土に1000冊の怪物に関する冊子を置くことを計画しております。その際には男爵様の絵に署名を入れて載せさせていただきたいのです」
男爵様は自分の絵が教会を通じて王国中に広まる、という想像図に顔をほころばせた。
1000冊といえば、この世界では神書を除けば、王国始まって以来のベストセラーと言っても良いだろう。
「そうか、そうか!うむ!ついに私の絵が王国中に認められる時がきたか!」
「ところが、一つ難しい点がございまして・・・」
一度持ち上げてから、申し訳ない顔をして切り出すと、男爵様は釣り込まれたように問いかけてきた。
「ふむ?いかがした?」
「男爵様はご存知ないかもしれませんが、地方の村々というのは貧しいものです。一方で、冊子は高価なものです。それをなるべく安価に配ろうと思えば、冊子が小さくなってしまうのです。すると、そこに描かれるべき絵も小さくなるもので・・・」
「うむ、それは問題だな。よく知らんが農民が冊子を買ったという話は聞かぬからな。だが、絵が小さいのは問題だな。どのくらいの大きさなのだ?」
「試験的に作りましたものは、こちらに」
そう言って、俺は懐から冊子のサイズに切り出した羊皮紙を取り出した。
A4用紙の半分より、やや大きい程度である。
この世界の高級品である冊子の基準からすると、凡そ4分の1程度の大きさ、といえるだろう。
「小さいな」
案の定、男爵様は難しい顔をした。
「ええ。この小さい場所にゴブリンの絵姿や、足跡などを描こうと思えば、余程に繊細な筆使いが必要となります。特に無知な村人にも理解できるよう、現物に近い絵姿を描ける方となると、男爵様をおいて他にいらっしゃらないと思うのです」
男爵様の気が変わらぬよう、一生懸命に持ち上げてはいるが、言っている内容は事実である。
少なくとも、俺の知っている範囲で、これだけ写実に忠実で、怪物を実際に見聞きしたことのある絵描きを、俺は知らない。
「ふうむ。まあ、確かに現物を見たことのある、まともな描き手は、他におらんだろうな」
「はい。ゴブリンの絵、魔狼、足跡など、各1枚だけ、男爵様に描いていただければ、あとはこちらで何とかいたします」
そう言って頭を下げると、男爵様は不審気に聞いてきた。
「1枚だけか。1000枚は不要なのか?」
「はい。男爵様のお手を、それ以上わずらわせるわけにはまいりません」
「まあ、それくらいなら別に構わんだろうが・・・本当にそれだけで良いのか?」
「あとは、こちらで何とか致しますから」
「腕利きの筆写師でも抱えておるのか?だが、まあ良かろう」
男爵様はイマイチ納得できない様子ではあったが、こちらの要請に応じて怪物の絵を描いてくれることを了承してくれた。
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