第293話 アンヌの紹介
確かに、貴族階級のサロンに出入りしているアンヌなら、同じようにスポンサーを求めてサロンに出入りする若手の画家と知り合いでも不思議はない。
その縁は非常に有り難いが、こちらとしても注文はある。
「絵を描ける人間と言っても、こちらの言うことを聞いてくれない芸術家じゃ困るんだが」
俺が条件をつけると、アンヌが片眉をあげて、先を言うように促してきた。
それにしてもこいつ、やけに口紅が赤いな。
「要するに、俺が欲しいのは、天上の神様や戦場の勇ましさ、貴族社会の華やかさを数ヶ月かけて描く芸術家ではないんだ。泥地に刻まれた卑しいゴブリンの足跡や、牙の生えた醜い姿を、ありのままに、最小限の線で描ける職人が欲しいんだよ」
自分でも無茶な要求をしている自覚はあるが、とりあえず言ってみた。
それで見つからなければ、また別の人間を探すまでだ。
さすがのアンヌも困惑したのか、目を閉じて顎に指をあてて考え込んでいる。
「まあ、いないなら仕方ない。他を・・・」
「いるわよ」
あっさりと、アンヌは言った。
「そういう派があるの。泥臭いの描くのが好きなんですって。あんまり今の流行りじゃないけど、そういうのを描いている人達を、知ってるわ」
「ほんとに?紹介してくれる?」
思わず切羽詰まった婚活女子のようなことを言ってしまったが、アンヌは、また、あっさりと頷いた。
「するわよ。そうしないと、靴がまた遅れるんでしょ?」
今だけの錯覚かもしれないが、あの拝金主義女のアンヌが神々しく見える。
「でも、ゴブリンは見たことないかもしれないわね。街から出たことなさそうだから」
「この街の市民なのか?それはありがたいが」
絵描きのような文化人は、自分のスポンサーとなってくれる貴族の庇護を求めて、街から街へと移るのが普通である。アンヌも今でこそ自力で稼ぐ目処がついたので、この街を拠点として活動しているが、それまでは劇団のスポンサーを探して街から街へと渡り歩いてきたのだ。
そうした旅の経験がないということは、この街に生まれ育った人間だということを示している。
この街に家があるなら、ある日、急にいなくなったりすることがないので仕事を継続的に依頼しやすい。
冊子の制作にあたり、配布には教会にも全面的に協力してもらう予定であるから、話を持ちかけた後で、絵を描く人間がいなくなりました、となっては困るのだ。
困るというか、首が物理的に飛ぶ。
「市民というか、貴族様ね」
「えっ?」
アンヌの言葉に、俺は絶句した。
貴族は、ダメだろう。
アンヌは貴族社会に浸りすぎて常識が麻痺しているのかもしれないが、俺達のような下々の人間の言うことを貴族の人間が聞いてくれるはずがない。
俺の方でイメージする成果物が明確にある以上、絵の出来に妥協はできない。出来上がったものに注文はつけるし、描き直しだってさせる。なにしろ、配布された先の農民の暮らしや命がかかっているのだ。礼儀には気をつけるつもりだが、仕事となればいい加減なことはできない。
「まあ、とりあえず会ってみなさいよ。変な人だから」
そんな俺の気持ちも知らぬ気に、アンヌは軽くつけ加えた。
明日も12:00と18:00に更新します




