第292話 絵を描く人
「あんまり頼みたくはないが、これも教会に依頼するか・・・」
教会ならば、宗教画を描く人材を抱えているだろうし、ひょっとすると聖職者の一部にその手の教育を施しているかもしれない。真剣な顔でイラストを描くニコロ司祭など、想像もできないが。
「そういえば、大聖堂には綺麗な絵がたくさん描いてあったものね!最初から、そうすれば良かったじゃない?」
街の大聖堂の天井や壁には神書の一場面を切り取ったらしき大きな宗教画が至るところに描かれていた。
つまり美術や絵画の工房が街のどこかにあり、それに対して教会がスポンサーになっていることを示している。
絵の技法についてはよく知らないが、写実的でフレスコ画というのだろうか、そういう感じで描かれていたのを憶えている。
「だけど、あれを羊皮紙に描けるか?」
俺がそう問い返すと、サラは黙ってしまった。
求めているのは、小さなスペースに単純な線で構成されている、こちらが求めるイメージを短時間で描けて、修正要求に頻繁に応じてくれるイラストレーターの技能である。
大聖堂の壁や天井に描く作業というのは、高度に分業化された大規模プロジェクトを回すようなものだろう。
求めている仕事の規模や種類が全く違う。
描いて欲しい内容も、ゴブリンなどの怪物の絵姿、足跡の絵、などである。
そんな題材を描いてくれるものだろうか。
できれば、そういった怪物を実際に見た経験があると、なお良い。
俺とサラが二人で腕を組んで悩んでいると
「なに辛気臭い顔してんのよ!絵ぐらい、うちの団員に描かせるわよ!」
と、いつの間にか工房の事務所まで入り込んできた派手な格好をした女が言った。
「アンヌ!久しぶりね!」
「サラ、元気にしてた?」
久しぶりに見るアンヌは、すっかり身なりが洗練されたものになっていた。
これまでも豪華な服を身に纏ってはいたが、どことなく古臭いというか、古着めいた雰囲気があったのだが
俺のような素人目にも、この世界の最先端の格好を身に着けている、という女の自信がアンヌから伺える。
「何だか、随分といいものを着てるな」
「あら、ありがとう。でも、もっと中身を褒めてくれてもいいのよ」
そう言って羊皮紙の束を渡してきた。
「はい、これが注文票。細かく書いてあるから、この通りに作ってね」
アンヌから渡されたのは、貴族から受け取った靴の注文票だった。
注文票を軽くながめみると、名前、家族構成、注文の意図、サイズ、飾りの追加、包む箱の素材の指定など、様々な情報が書かれている。
「これは、なかなか大したものだな」
思わず唸ると、アンヌは得意気に羽のついた扇で口元を隠しながら
「そうね。苦労したのよ」
とだけ、言った。
これだけの情報を取るには、相当に深く顧客の懐に入り込まないといけない。
アンヌは貴族社会の中を泳ぎまわりながら、貴族の趣味嗜好までしっかりと把握して注文につなげているようだ。
「また何か、お金にならないことをやってるの?絵を描く人間ぐらい、いくらでも手配してあげるから、さっさと靴をつくりなさいよ!」
というのが、久しぶりに会ったアンヌの主張だった。
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