第258話 あの日の焚火
その夜、事務所で外部に依頼する仕事をより分けている時に、サラが話しかけてきた。
「ねえ、ケンジ。最近、クワン工房に行かないのね。今回も、あそこに仕事を出さなかったでしょ?何か理由があるの?」
サラも帳票を見て外注のチェックをしながら気になったようだ。
経営に携わる人間として、とても良い傾向だと思う。
「そうだな。幾つか理由はあるが・・・。まず、あそこは高級品の販売方法を検討しているとき、会社からの要請を断って来たから、その罰則の意味がある。信頼を裏切ったら、その報いがあるべきだ。違うか?」
「まあ、そうね。ケンジって、わりと根に持つもんね」
サラが俺の性格について誤った印象を持っているようだが、それには取り合わず理由の説明を続ける。
「信頼関係は大事ってことだよ。それと、もう一つの理由は、奴らは基本的に金に困ってないからだ。だから、会社が仕事を出しても恩を感じてくれない。むしろ面倒くさいことを押し付ける嫌な客だ、ぐらい思ってるさ」
俺とクワン工房の間の取引内容を思い出してのことだろう、サラは頷いた。
「そうね。そう思ってるかもね」
そして、もう一つ、最後の理由を説明する。
「それに、彼らは結局、貴族社会の金の流れの中にいるんだ。彼らが扱う製品の素材は高級品だから、このあたりの工房から買われることはないし、そこで働くには高い教養と技術が必要だから庶民を雇用したりしない。貴族から払われた金が、貴族の間で回るだけさ。だけど、最近の革通りの人達の様子を見たろ?聖職者や貴族から金を受け取って、このあたりに仕事や賃金として少し支払うだけで、こんなに皆の暮らしが良くなるんだ。俺は、金持ちから仕事で金は貰いたいが、金持ちに仕事で金は払いたくはない、そう思ったのさ。何しろ、効率が悪いからな」
「言いたいことは何となくわかるけど、効率って?」
経済学的には効率ではなく、効用というのだが、それをここで解説しても仕方ないので、言い換える。
「金持ちは金貨1枚じゃ幸せになれないけど、庶民は銅貨1枚で幸せになれるだろ?子供だったら賤貨1枚で一日中、喜んで走り回ってられる。そういうことさ」
「なんだ、見てたんだ」
サラがはにかんで笑う。
「ああ、坊主に何を言ってたかは工房の中にいたんで聞こえなかったけどな」
「あのくらいの年頃の子を見てるとね、村に残して来た弟を思い出すの」
サラが少し遠くを見る目をして言う。
そういう時のサラの目には、大きくなった今の弟でなく、まだ小さくて、自分の後をよちよちと、懸命についてきていた頃の姿が映っているのだろうか。目の奥には母親のような優しい光がある。
「わかるよ。活発で、いい職人になりそうじゃないか」
「そうね。うちの弟も、農家で食べられなくなったら、こっちに呼ぼうかしら」
サラは冗談めかして言うが、実際のところ、サラは給金のほとんどを実家に持って行っているらしいから、そんなことにはならないだろう。だが、森辺の村の暮らしは不安定だ。また怪物の暴走が起きたりすることがあり得る。ただ、今なら吟遊詩人の誘惑に乗って冒険者になる必要などない。会社で働けばいいのだ。
「そうだな。冒険者なんてヤクザな商売につくより、会社で働いて、手に職をつけた方がいい。サラの弟さんなら、きっと真面目だろうしな」
「そうね!私も、あの子に冒険者になって欲しくはないわね。きっと心配でたまらないもの。でもね、私、冒険者の生活は怖くてつらかったけど、焚火を囲んでる時間は嫌いじゃなかったわ」
その日暮らしで命の危険が大きい冒険者の暮らしは厳しかった。それが多少なりとも楽しく思えるのは、想い出の合理化、という奴だろう。だが、不思議と反対する気にはなれなかった。俺も、あの頃の暮らしに、少しの郷愁を感じていたからかもしれない。
「そうだな。サラが鳥を獲ってくれて、肉も焼いて食えたしな」
冒険の合間には、サラが自慢の弓で野生の鳥を獲ってきてくれたものだ。
それを手早く捌いてたき火で焼いて食べるのは、あの頃の俺達には御馳走だった。
「そういえば、最近は自分で鳥を獲ってないわね」
サラが、自分の両掌を見ながら言う。
俺もサラも、この先、冒険者として暮らすことは、もうないだろう。
俺が剣を握りしめていたタコは消えかけているし、サラも弓の弦を引く指がやわらかくなってきた。
それでも、冒険者であった時分のあの焚火の光景を憶えている限り、冒険者のままである部分は消えないだろう。
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