第250話 癖
俺が胸の内で、どんな不満を抱えていようと、多忙なニコロ司祭は、一切斟酌するつもりはないようだった。
「ケンジよ。枢機卿のお披露目についてだが」
「はい」
「他所の街からも参加を希望する聖職者が多い」
「はい?」
「そのつもりで用意できるか」
ニコロ司祭の言葉は説明が足りないが、街中の司祭達を集めて行う開拓事業への協力依頼、という名目の靴のお披露目に、他所の街からも参加希望者が大勢いる、ということらしい。
「それだけの人数を集めるとなると・・・」
「そうだ。ここ、大聖堂で行うことになる」
これはもう、教会内の政治工作として内輪で行う説明会やお披露目、というレベルの話ではない。教会の祭事であり、公式な儀式と見なされる規模の集まりだ。
「なぜ、そんなことに?」
「なに、少しばかり噂に尾鰭がついたようでな。どこの教会も、時流に乗り遅れまいと必死なのだろうて」
どう考えても、噂に尾鰭をつけたのも、自派に乗り換えなければ時流に乗り遅れる、と吹き込んだのも自分であろうに、ニコロ司祭は、しれっと宣った。
「どの程度の数を、いつまでに必要ですか」
それだけの規模になると儀式の運営に俺が口を出せることなど何もないことは、ニコロ司祭もわかっているだろうから、必要なのは枢機卿御用達の開拓者の靴を増産しろ、ということだろう。
「300足を2月で」
そう言われて、素早く頭の中で計算する。冒険者向きの守護の靴の生産を絞り込めば、生産に限れば対応可能な数字だ。
「どうだ」
ニコロ司祭は気が短い。素早い回答が求められる。
「できます」
まずは、そう答える。こと、ここに至って、できない、という回答は、ありえない。
「2点、解決すべき課題があります」
ただ、無条件に可能なわけではない。それくらいはニコロ司祭も理解しているだろう。
見通しもなく安請け合いをするのは、できない営業のやることだ。
「1点目は費用です。300足分の原材料となれば、かなりの高額になります。途中でのお支払いをご検討下さい」
まずは、費用の話である。実のところ、製造原価を極限まで下げられているのでキャッシュフロー的な問題は解決しているのだが、お偉いさんは命令すれば下々の者は霞を食べて生きていけるものと勘違いすることが多くて困る。
自分達の資金が持ったとしても、発注先の工房や職人が飢えてしまうような仕事をするわけにはいかない。
こういった支払い面の交渉をするのは、大きな仕事を請ける元請けの義務でもある。
「よかろう2点目は?」
そのあたり、枢機卿の派閥を仕切り資金管理なども担当してきたであろうニコロ司祭は理解が早い。
先のやり取りは、ニコロ司祭というよりも、彼の下で実務と担当する聖職者への牽制のようなものである。
「足のサイズです。事前に、この街の司祭様達の足サイズを測る許可を頂きたく思います」
枢機卿のための靴を製作する時に、参考のために聖職者達の足の形を計測したのだが、これまで作って来た守護の靴を履く冒険者とは、かなり足の形が異なっていた。ほとんど別の人種と思えるほどだ。
具体的には、聖職者の足は冒険者と比較して足が細長く、土踏まずが低く、指が細い。また、甲もやや低い傾向があった。
つまり、これまで会社で蓄積してきた守護の靴のための足型データが役に立たないわけだ。
であるから、聖職者の足型のサンプルをとにかく数を集め、聖職者向けの開拓者の靴の標準モデルを作る必要がある。
「ほう。この街の聖職者分で良ければ直ぐに許可は出せるが、それは余所の街の物についても役立つのか」
ここで統計や標準偏差のためのサンプル抽出の考え方について説明しても良かったが、端的な回答が求められている場面なので、表現を変えて答えた。
「人には職業によって体の癖がございます。いつも粉を捏ねるパン屋の手は大きく、熟練の弓手は左右の腕の長さが異なると聞きます。同じように足にも癖がございます。聖職者様達の足を多く調べて癖を掴むことで、より快適な靴を作ることができるのでございます」
「ふむ。なかなか興味深い話だ」
俺の短い説明から、その裏の理屈を何となく感じ取ったのか、ニコロ司祭の眼が鋭くなった。
だが、今は余程時間がないらしい。
後ろを振り返り、ミケリーノ助祭に何やら指示をすると、また会合の方に戻って行ってしまった。
とりあえず、用事は済んだから帰れ、ということらしい。
本日の22:00更新は遅れそうです




