第174話 グールジンの面子
事務所に戻ってからは、もう一人の株主であるグールジンのことを、どのように説得するか考え続けていた。
ジルボアの「面子と利益」に気をつけて交渉しろ、という忠告が耳から離れない。
思えば、靴の流通を任せた時から、グールジンは事業を自分の思い通りに運びたがっていた。靴の秘密と利益を独占するために、冗談で俺を攫う、と口にしたこともある。そして、隊商の部下には荒っぽい元冒険者の部下が100人近くいる。力づくで言うことを聞かせられる相手ではない。
事実関係だけを整理すると、会社は3年後を目途に業務を大幅に拡大を予定している。そのために生産だけでなく流通も大幅に拡大する必要がある。教会も関与するし、街間商人に別の承認と契約する必要もある。
それだけである。
だが、グールジンからすると会社が、まだ影も形もなく、俺が1足だけの継ぎ接ぎの試作品の靴を持ち込んできた時から成長を支えてきた、との自負もあるだろう。そこに、新たに同業者を加えた上に、靴の増産で販売単価も下がるとなれば、裏切られたとの想いを抱くであろうことも、想像に難くない。
成長に伴って増えていく利害関係者を、どのように整理し、納得させるか。
業績が良ければ良いなりに、悩みの種は尽きないものだ。
結局は、グールジンと話し合って妥協点を見つけるしかない。
まずはこちらで妥協可能な幾つかのシナリオを検討して、相手の要望をできるだけ聞くことが誠意というものだろう。
俺は数日をかけてシナリオを検討した後、グールジンを訪ねることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街外れにあるグールジン達のような街間商人の常宿を訪ねるのは久しぶりだった。
場所が遠いこともあるが、街間商人は大抵、余所の街を巡る街道上にいるからだ。
護衛には副長のスイベリーに来てもらっている。キリクの腕がスイベリーに大きく劣るわけではないが、奴の得意武器は斧槍なので、体格を生かしたハッタリが効く街中の護衛ならともかく、本当に剣の腕が必要となる場面では魔剣を持つスイベリーの方が頼りになる。それに、スイベリーとグールジンは顔見知りなので、その方面での効果も期待している。
常宿の中でも、ひときわ大柄で大声のグールジンは目立つ。
こちらを見つけると、片腕をあげて呼びかけてきた。
昼間だと言うのに、仲間達と大声で騒ぎ、少し酒も入っているようだ。
「おう、久しぶりじゃねえかケンジ。どうかしたか?あの嬢ちゃんはいねえのか?」
「ああ。彼女は、ちょっと仕事が貯まっていてな。街中の事務所にいるよ」
嘘ではないが、事実でもない。万一、交渉が拗れて暴力沙汰になった時の事態を考えて、今回は連れてこなかった。彼女には護衛としてキリクについてもらっている。それに事務所には20人からの職人達もいる。滅多なことはないだろう。
「ちょっと儲け話と、込み入った話がしたいんだ。できれば酒抜きがいい。少し話せるか?」
そう呼びかけると、グールジンは周囲の部下か同業者らしき連中に断りを入れ、荒々しく人を掻き分けて、こちらにやってきた。
「儲け話ってんなら、逃すわけにはいかねえな。なあに、このくらいの酒は飲んだうちに入らねえよ」
そう酒臭い息を吐いて、凄んでみせた。
「まあ、儲け話には違いないが、面白くない話かもしれないぞ」
俺はグールジンの期待が間違った方向に膨らみすぎないよう、釘を刺した。
話そうとした相手は、酒が入っている上に、儲け話で目がギラついている。
話す前からこの様子では、先が思いやられる。
スイベリーが、やや成り行きを懸念する目で俺を見る。
俺は、頷きを返しつつ、ここ最近、滅多に使っていない腰の剣帯の重みを意識した。
交渉で、済めばいいのだが。
明日の18:00と22:00に更新します。




