第169話 英雄の日常
サラとの同意は取り付けたとはいえ、ここで終われば社内の与太話にすぎない。
工場設立に必要なものは、数え上げれば限りがないが、最低限必要なものはある。
必要な資源から考えてみる。まず資金、それから権力、そして地縁。
良い設立計画も必要だし、設備も人材も必要だ。
だが、何よりも必要なのは意思統一された経営陣だ。ビジョンの共有と言っても良い。
人間は1人では何もできないのだから、多くの人を説得し、賛同者を増やさなければならない。
わが社にとっては、2大スポンサーの剣牙の兵団のジルボアと、街間商人のグールジンがそれである。
さしあたり、この2人を説得する必要がある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
久しぶりに剣牙の兵団の事務所に赴く。とは言え、2週間ぶりぐらいか。
命を狙われていた頃は、この事務所に寝泊まりしていたものだが、随分と昔に感じる。
団長室にジルボアが待っている、というので手伝いの娘さんに案内してもらった。
初めて訪れた時から比較すると、この事務所もスッカリと垢抜けたものだ。
受付には女性がいて、問えば案内をしてもらえる。
事務所は綺麗に掃除され、壁にはタペストリーや絵画まで飾られている。
通路には小さな壺に花まで活けられている。
だからと言って、兵団の連中が軟弱になったわけではない。
事務所にいる団員達の表情からは自信と規律が窺えるし、体格も大きくなっているようだ。
おそらく新入団員を体格で選抜し、肉を中心とした食事を与え、厳しい訓練を施すだけの余裕があるのだろう。
鎧や武器の装備も、以前よりも更に良くなっているように見える。
以前は、やや乱雑に配置されていた装備類が歴戦の冒険者達の屯所という雰囲気を漂わせていたものだが、今は種類別に綺麗に整理され、武装の表面も薄く油で磨かれているように見える。
ここは冒険者の事務所なんてものではなく、もはや軍隊の基地だな。
ジルボアの奴は、相変わらず派手にやっているようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
団長室に案内されると、ジルボアが妙に腕の長い鍛冶職人風の男と、新しい武器について打ち合わせをしていた。
クロスボウの威力強化と連射力を上げる仕組みについて、議論をしているようだ。
よく見ると、鍛冶職人はクワン工房のガラハドだった。
以前、靴の量産設計を依頼した時の印象が強烈だったので憶えていたのだ。
「なんだ、ガラハドじゃないか」
と、俺が思わず声をかけると、腕の長い異相の職人は関心の薄い顔で俺を見た後、足元の靴を見て記憶中枢を刺激されたようだった。
「ああ、なんだ。あの靴を頼んできた奴だったな。なんでこんなとこにいる」
なんでここにいる、と聞きたいのは俺の方だったが、
「なに、靴のことで相談があって来たのさ。剣牙の兵団に守護の靴を提供しているからな」
と用件はボカシて伝える。
剣牙の兵団がうちの背景にいることは知れ渡っているが、株主の仕組みまで教えることはない。職人のガラハドは、その手の仕組みには関心はなさそうだが、営業のアノールに伝われば厄介事になりかねない。あれは、油断のならない奴だ。以前、靴を作り始めた頃の情報漏洩は、あいつからではないか、と今でも疑っている。
話を何となしに聞いていると、議論はクロスボウで撃ち込む太矢の形状についても、拡がっていた。
怪物の勢いを止める衝撃力、怪物の厚く硬い皮膚を貫く貫通力、怪物の継戦能力を奪うための毒注入や出血を促すための特殊鏃など、いろいろと考慮する点は多いらしい。
驚くべきことに、最近の相手には空を飛ぶ連中が増えてきたので、翼だけを傷つけるために複数の細めの矢を一斉に打ち出す、といった散弾か矢型子弾のような方式についても、検討しているようだ。
こいつら、正しく幻想世界の英雄譚の中で生きているんだなあ、と、英雄になれない我が身を振り返り、その差異を少しだけ羨ましく感じた。
本日は18:00にも更新します。




