第165話 人に仕事を渡すには
目標は大きく持つとしても、仕事は小さくするべし。
まず自分が抱え込んでいる最終検品作業を小さく分けて、人に任せることにしよう。
仕事の手順を、順番に細かくして見ていくのだ。
この作業工程を細かく分解して考えるという技能は、サラやゴルゴゴにも、いずれは理解して欲しいので、一緒に説明しながら考えることにする。
ゴルゴゴは、最初は参加を渋っていたが「面倒くさいことを他人に任せる技術だ」と言ったら、それまでの態度を翻して参加を表明した。わかりやすいやつだ。
会社を立ち上げて最初の靴を生産するまでは、俺が1人で悩んで全ての工程やラインを作ってしまっていたが、それではこれ以上に会社は大きくなれない。人を指導する前に、自分の意識を変える必要があるかもしれない。
「まず俺がやっている検品作業を、最初から説明しながら見せるから、わからないことがあったら質問して欲しい」
そうサラとゴルゴゴに言うと「わかった」と返答があったので先に進める。
「最初に外見を調べる。昼の決まった時間帯に、明るいところで見るようにする。
検査する点は、表面の革に傷がないか、革はきちんと寸法通りに切れているか、色の塗りむらはないか、靴底に傷がないか、スパイクがきちんと寸法通りに配置されているか、各部品を貼り合わせた膠がはみ出ていないか、縫い合わせたステッチの幅が一定になっているか、守護の靴の印章の傾きや位置にズレがないか、という点を重点的に見ている」
「それくらいなら、私達でもできるかな」とサラ。
「うちの職人にもできるな」とゴルゴゴ。
「それから内部を見る。靴の中に敷いた兎の毛皮のサイズが合っているか、内側の靴底色合いはどうか、きちんとアーチがでているか」
「それもできそう」とサラ。
「最後に、実際に靴を履いてみる。靴を履いた時の違和感や靴紐を力一杯引いたときに、手応えに不安を感じないか。踏み込んだときに靴底に違和感がないか。ここまでで、靴現品の検査は終わり」
「足の合う人に任せれば同じことができそうじゃない?」とサラ。
「まあ靴下をしっかり履くように指示すれば、職人でもできるじゃろう」とゴルゴゴ。
ここまで説明して、なんだか自分でも不思議になってきた。
絶対に人には任せられない、と意気込んでいたが、作業を分解してみたら、誰でもできる気がしてきた。
俺は、いったい何で絶対に任せられないと思ってたんだ?
「なんか、職人さんにもできそうじゃない?」
というサラの言葉が全てのように思える。
俺は結局、靴の事業が自分の手から離れるのを嫌がっていただけなのかもしれなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とりあえず、自分は現場仕事から手を離すという方針を立てることにした。
もっとも、全てをいきなり手離すのは実務的に怖いので、移行期間を設けて検査マニュアルを整備した後に全品検査からは手を離し、抜き取り検査だけは自分でやる。という切り分けで、手を打つことにした。
抜き取り検査であれば、製品からランダムに一定数を抜き取って検査するだけだから、作業時間は少なくて済む。
もっとも、抜き取り検査という行為は、統計的には正しいのだが現場からは評判が悪い傾向がある。たまたま目に入った不具合に文句をつけているように見えるからだ。検査を受けた方も、反省するよりも、運が悪かったな、という印象を持ってしまう。実際には、たまたま目に不具合が入る確率から全体の不具合の確率を計算しているのだが、感情はそれをよしとしない。このあたりは、人間の認識の面白く、ままならないところだ。
ふと、元の世界で、工場長や偉いさんが、ときどき生産現場に文句をつけに来ていたのは、これかな、と今にして思う。
あの当時は、普段ろくに現場に出てこないくせに、好きなときに出てきて文句だけつけやがって、と思っていたし、また、その指摘がある程度は当たってるのが腹立たしかったものだ。
当人にしてみたら現場から手を離すのが心配で指導のつもりだったのだろう。ようやく気持ちがわかった。
しかし、全品検査はともかく抜き取り検査の統計を、どのように説明したものか。
統計の教養を教えるのは、ハードルが高すぎる。
まあ、しばらくは「ケンジって細かいね」と文句を言われるのを甘受するしかないのだろう。
本日は22:00にも更新します。




