第144話 教わる文化
ニコロ司祭との面談から1月が過ぎ、約束をした事業評価の手法について伝える機会がきた。
そのためのテキストは、こちらでも十分に練り上げている。
場所は、貴族達から秘密を守るため、2等街区の、ある教会内で行うこととした。
1等街区では貴族の目が厳しく、また1等街区の門の出入りは必ず記録が行われるため、秘密が漏れやすいからだ。
同じ理由で、ニコロ司祭本人は参加が出来ず、彼が選んだ3名の優秀な若手が参加することになった。こちらからは、サラだけが秘書として参加する。
教会内の一部屋を小さな教室とし、俺が正面の大きな机に座り教師役、3名が対面の小さな椅子に腰かけて生徒役である。小さなゼミ室を想像すると良いだろうか。
聖職者の若手3人は何れも若く、聡明そうな顔をしている。それだけに、俺は危惧を覚えた。
どいつもこいつも、これまで失敗なんてしたことない、って顔をしている。
おまけに冒険者風情に何が教えられるのか、と侮る様子がありありと見えている。
この状態では、講義が混乱することは目に見えている。
そこで、最初にきちんと学ぶ上でのルールを定めることにした。
「皆さま、私はケンジと申します。私が教えている間は、皆様はどれほどの身分があろうと、生徒です。それ以外の関係を持ち出された場合は、ニコロ司祭に報告します。
私と議論することはできますが、私に命令することはできません。その場合もニコロ司祭に報告します。
やる気の見えない方は、時間の無駄なので交代していただきます。その場合もニコロ司祭に報告します。
この事業には教会の未来がかかっていると私は考えています。その認識のない方に教えることはできません。お互いの時間の無駄となりますから今すぐお帰り下さい。
その場合はニコロ司祭に報告することは致しません。出口はあちらです」
そう言って、出口を指さす。
まさか平民の冒険者風情に、ここまで対等な、彼らの主観からすると無礼な口を利かれるとは思わなかったのだろう。若手達は、ポカンとした表情の後、途端に怒りで真っ赤になった。
だが、俺は帯剣をしたままなので殴りかかるわけにもいかず、こめかみに筋を浮かばせながら俺に議論を挑んできた。
「ケンジとやら・・「まず、名前をお名乗りください。それが、議論の礼儀というものでしょう」
機先を制して、相手の無礼を咎める。ニコロ司祭とのやり取りを大上段からの斬りあいとするならば、これからすることはチンピラの殴り合い程度のレベルの低い論戦だが、それだけに負けるわけにはいかない。
「・・・クレメンテだ。ニコロ様の下で助祭をつとめている」
「それではクレメンテ様、発言を認めます。何でしょうか」
「お前は・・「あなたは、と言い直してください。それがお互いに学ぶものの礼儀ではありませんか」
クレメンテは怒りのあまり赤い顔が殆ど黒く見えるほどになり、言葉を絞り出した。
「・・・あなたは、ニコロ様の元に届けられた報告書を作成したと聞いた。それに相違ないか」
「はい、相違ありません。もっとも、あれは報告書の写しだったようですが」
「あの奇怪な棒や円で表された数字の記号は、あなたが考案したと聞いたが、それは事実か」
「わたしが考案したわけでなく、別の場所で使われていたものです。それがどうかしましたか?」
すると別の若手が意見を挟んできた。
「だが、おかしいではないか!あのような・・「お名前をどうぞ」
「・・・アデルモだ。助祭を務めている。あの報告書にあるような数字の表現を、私は見たことがない!おかしいではないか!私は教会の図書館の貴重な古書の管理をしていたこともある。それなのに、類書を見たことはなかった」
「それを、たかが平民の冒険者風情が書いたとは、とても信じられぬ、そうですか?」
無言が、その肯定だった。バカバカしい。俺は3人の聖職者の顔を眺めながら言った。
「あの程度のことは、初歩の初歩にもかからぬ只の小手先の話です。これからお教えする内容は、そんなことは問題にならぬ複雑な内容となります。皆様では理解できそうにありませんから、どうぞお帰り下さい」
そう言って、手で出口を指した。
ちょっとやらかしてしまったかもしれないが、この程度のことに耐えられない連中と一緒に仕事はできない。
ニコロ司祭なら、もう少しまともな連中を送ってもらえるものかと思っていたが。
彼のような大物には目の前の連中のような小物の気持ちがわからないだけなら良いが、そもそも、この世界には、学問を発展させるためには自由な議論が必要だ、という大前提がないのかもしれなかった。
もしそうであれば、とても困ったことになった。
明日も12:00と18:00に更新します




