穏やかな日々の中で
色々あって時間がとれず気がつけば一年以上経過......まさかこんなに間が空くとは!!まだ待っていてくださっている皆様、少しでも楽しんでいただけたら幸いです♩
注)今回少し孤児やホームレス等に関する記載があります。不快な表現や台詞があったら申し訳ありません。
「 フィーネお姉ちゃん!!これ持ってきたよ!」
ここ数ヶ月で聞き慣れた声にラフィーネは振り向く
真っ白い洗濯物をその小さな両腕いっぱいに抱えて、元気いっぱい駆けてくるサナに思わず笑みがこぼれる
「ありがとう、サナ。でも走ると危ないわ。気をつけてね」
洗い立ての洗濯物を受け取りながらも足下を見ずに走って来たサナに注意するのも忘れない
「はぁ〜い、ゴメンなさい。フィーネお姉ちゃん」
ここに住む子供達はみなとても素直だ
親に捨てられたり、死に別れたりと辛い経験をしているにもかかわらず
スレたりひねくれたりする子は誰もいなかった
それはひとえにこの孤児院を運営している院長であるシスターエレンのおかげなのだろうと思う
彼女はここに住む全ての子供達に本当の母親のような優しさと厳しさを持って接している
そこには同情も哀れみも決して存在しないのだ
だからこそ、褒められれば嬉しいし、叱られれば真剣に反省する
貴族社会では、親との関わりはそれほど親密ではない
子育てを自らする母親はほとんどなく、ラフィーネの母親も同様である
褒められたことも叱られたことも殆ど記憶にはない
小さい頃はそれが少し寂しくもあった
両親に会えるのは朝食と夕食の時 あるいは夜会や各種行事のときのみ
嫌われているとは思わなかったが、時々自分という存在の不確かさのようなものを感じていたのも確かだ
私は本当にこの家にとって必要な人間なのか、と
(お父様とお話してからは不思議とその思いを持つこともなくなったのだけれど)
父との会話以来、ラフィーネは自分があまりにも狭い世界で生きていたことに気がついた
積極的に働きかけてくる者は「貴族社会」においては稀だが、だからといって気にしてくれる人がいない訳ではないのだ
見ていてくれる人は必ずいる
父との会話後、数日で領地であるグランヴェール伯爵領に発つことができたため、父とシェザード様やマリーがその後どのような話し合いをしたのかは全く分からない
けれど、いずれにせよ婚約解消を願い出たのがこちらである以上、今後どのような事態になろうとも最早ラフィーネに口を出す権利は無いと思っている
ーーー今はまだ、、、もう少しだけ時間が欲しい
「フィーネお姉ちゃん、干さないの?」
サラの不思議そうな声に、思いがけず思考の渦にはまっていたことに気がつきはっとする
「ごめんなさい、少しぼんやりしてしまったわ。」
「お姉ちゃん大丈夫?疲れてる?」
下から覗き込むように不安そうな表情を見せるサラにしゃがんで視線を合わせ首を横に振る
「いいえ、大丈夫よ。お日様があまりにもぽかぽかとして気持ちよかったから、ついのんびりしちゃっただけなの。サラ、心配してくれてありがとう。」
素直で純粋な子供達
けれど過去の経験からか、人の感情の機微や身体の不調に対する不安感は強い
大丈夫と笑顔で言い続けた両親の突然の死や失踪
それらは間違いなく幼い子供達の心の傷となっているのだ
だから、とびきりの笑顔で元気いっぱいに答える
私は大丈夫、どこにもいなくなったりしない、その気持ちを込めて
「うん、お日様とても気持ちいいもんね。サラもお日様大好き!」
ラフィーネの言葉に嘘はないと信じられたのか、ふにゃりと笑うサラ
そっと片手を伸ばして頭をなでると嬉しそうにはにかむ
「さ、洗濯物を干してしまいましょう!サラ、手伝ってくれる?」
「うん!!」
自分のことばかりだった
大変なことはもちろん沢山あった
けれど、今日食べる物に困ったことも無ければ寝る場所に困ったことも無い
それがどれだけ恵まれたことだったのか、この年になるまで気づきもしなかった
グランヴェール伯爵領は父ランドルフとその意志を継ぐ兄レナードの統治により、国内でも治安が良く無理な徴税もしていないため領民から支持もあり、住みやすく人気の高い地として有名である
けれどその伯爵領でさえ、闇が全く無い訳ではなかった
ラフィーネが伯爵領に到着して、兄が一番最初に連れて行ってくれた場所
それは領内にあるいわゆる貧民窟と呼ばれる場所だった
危険が伴う視察だったため、領民が使用するような簡素な馬車での道行き
窓からそっと伺うだけの世界ではあったけれども
それは間違いなくラフィーネが初めて見る社会的な闇だった
「ラフィーネ、見えるかい?ここがグランヴェール伯爵領が抱える一番深い闇だ。」
路上に寝そべる薄汚れた布を纏う人々、ラフィーネの感覚では服とさえ言えないまさに布切れ
最後に湯を浴びたのはいつなのか、想像もできないほどの汚れ
けれど何より衝撃的だったたのは彼らの目だ
どんよりと曇り生気が感じられない
ただただ絶望し、日々生きることさえも否定しているようなーーー
兄の言葉に頷くことも、視線をそらすことさえできない
「父上も私も、もう何年もこの闇と戦っている。新しい事業を立ち上げ労働力として雇ったり、週に2回の教会や広場での炊き出し。けれどいっこうにこの場所はなくならない。多少の増減をしながらもずっとここにあり続ける。」
悔しさの中に少しだけ疲れたような雰囲気をにじませながら、それでも兄は決して目をそらすことはなかった
「彼らとてこの領地に住まう者達だ。領主家として我々は彼らにも人並みな生活と生きる希望を与えなければならない。」
握りしめられた拳にぐっと力が入る
その強さに、兄の意志の強さを感じさせられた
ラフィーネが小さく狭い世界で自分のためのみにあがいていた時
父と兄はこれほどの難問と正面から向き合い、試行錯誤し、それでも結果へと繋がらない悔しさに打ちのめされてきたのだ
それでも下を向くこと無く、何度でも立ち上がってきた
領主として、国王から預けられた領地を、そこに住む人々の生活を守り少しでも改善させていくために
その強さが、うらやましい
何度でも立ち上がり前を向く二人のその強さが、自分も欲しいと---
そっと頬を拭う兄の指に、自分がいつの間にか涙を流していたことを知る
そのまま兄へと視線を向けると、少しだけ困ったような、けれどどこまでも優しく暖かいまなざしでこちらをみていた
「お兄様......」
「ラフィーネ、できればお前やマリアーネにはこんな闇を見せること無くどこまでも優しい暖かい世界で生きていて欲しいと、父上も私も思っていたんだ。いずれ嫁ぐお前たちを、今後はきっと夫となるものが守っていってくれる。ならば何も暗い闇など知ること無く、純粋に愛し愛され、幸せに満ちた生活を送っていて欲しいと。
......けれど、今のお前にはこの現実を知っていて欲しいと私は思う。」
真剣な兄の様子に、小さく頷く
「ラフィーネ、お前は本当に良くやって来たよ。父上も母上や私の前でよく褒めていたんだ。本当に自慢の娘だと。父上の性格から、お前には直接は言っていなかったかもしれないけれどね。......あれほど努力し頑張って来たのだから、幸せになれないはずが無い。けれど、この次に幸せを手にするときには、小さく狭い限られた世界の中でではなく、より大きく広がった世界であって欲しい。領地にいる間にできるだけ沢山のものを見て、触れてご覧。それはきっとこれからのお前にとっても、とても貴重な財産となると思うよ。」
あれから、ラフィーネは領内にある孤児院での労働を希望した
伯爵令嬢として様々な知識技能を身につけては来たものの、ここでは殆ど役にはたたない
せめて幼い頃に感じたような寂しさを子供達が感じなくてすむように
こんな自分でも何か手伝えることがあるのでは無いかと考えたからだ
兄に話す前に、院長であるシスターエレンには全てを明かした上で了承を得た
自分の足で歩き、見、そして選んだ初めてのこと
シスターエレンには普通の労働力として、他の勤務者と全く同じ扱いを約束してもらっている
ここにいる間は、伯爵令嬢ラフィーネではなくただのシスター見習いのフィーネだ
それが少しくすぐったい
誰もが気さくに話しかけ、笑いかけてくる
発せられた言葉は、ただそのままの意味であり
言葉の裏を読まずに済むこの暮らしは人のぬくもりがすぐ傍に感じられて暖かい
傍らには一生懸命に洗濯物を干しているサラの姿がある
その真剣な様子が愛おしい
ラフィーネは青い空をあおいだ
ー真っ白い洗濯物が風にふかれてそよぐ景色も、太陽の陽を浴びて身体を動かすこともこんなにも気持ちがいいものだったのね
目を閉じると石けんの香りに混じって優しい緑の香りがする
ーお兄様、私の世界は少しずつ広がっているでしょうか
例えばそれは小さな広がりかもしれませんが......でも、お兄様がおっしゃったようにそれはまぎれも無く 私の財産であり宝物となっています
「さぁ、サラ、次はお買い物だけれど、サラも一緒に行くかしら?」
干し終わった洗濯物を満足そうに見回すサラに手を差し出す
「うん!!行く!」
つながれた小さな温もりがどこまでも優しく感じられて
ラフィーネは花の様な笑顔を見せた
少しでも楽しんでいただけたら幸いです♫