第5話「狼頭狂王」
新市街への帰還は特に何の問題も起こらず、静かなものだった。
狼頭戦を行った近辺でもチェリマは何も言わず、ただ新市街に着くまで手を合わせて黙祷していた。
俺は内心でチェリマが遺体を回収しようと騒ぐのではないかと心配していたが、それが無理であることは理解しているようだった。
新市街に着くと、あとで酒場で落ち合うことを約束して班を解散する。テリンベクタールはハラド軍駐屯所に、ピアネッテはさっそく酒場に向かった。
ふぅ、と俺は深呼吸する。
「チェリマ、ここまで来れば気を抜いても大丈夫だよ。」
チェリマは俺と同じように深呼吸をする。
「ここがフイタルミナス新市街……」
チェリマは辺りを見回しながら感心しているようだった。
「すごい活気ですね」
すでに夕刻になり、空は茜色に染まっていた。それでも、いや、だからこそというべきか、仕事終わりの冒険者や土木作業者で新市街は活気に溢れている。酒場や食堂はこれからがかきいれ時だ。どこかから飛び交う怒号や笑い声が耳に入る。
「街って人が創るものなんですね。当たり前のことなのに、何故か初めて知ったみたいです」
チェリマが言う。
冒険者や行商人ならともかく、普通の人間にとって街とは当たり前に存在するものだ。だから、生まれたばかりの新市街が新鮮に思えるのだろう。
その後、馬丁のロクウェンじいさんからクンドが協会に向かったことを聞いた。
俺とチェリマは協会に戻ることにした。
そして、そこで俺は意外なものを目撃することになる。
さすがにこの時間となると、協会の広間は閑散としている。それでも明日の仕事を探す幾人かの冒険者が、依頼を張り出している掲示板を真剣に眺めていた。
そして、受付には美人受付嬢エシアさんではなく、漆黒のローブに身を包んだ副指令リアンテが座っていた。
その姿はいつもと変わらず不気味なオーラを発していたが、表情は心なしか楽しそうだった。実はやってみたかったのだろうか……、受付嬢。
「あの……、将軍。この探索なんですけど……」
一人の冒険者が依頼書をリアンテにおずおずと差し出す。なんだかやり難そうだな。
リアンテはその依頼書をちらっと見ると、別の依頼書を冒険者の方に返した。
「それ……危険。こっちにしなさい。『樹海のキノコ採り』」
「ちょっ、ちょっと何してくれてるんですか!」
俺は慌ててリアンテから依頼書をひったくると内容を確認した。特に受託制限や指定もないし、ちゃんと俺の検収済みのサインも入っている。俺は冒険者に依頼書を返して、遂行許可を出した。
「何って……、受付嬢」
「そういうことじゃなくて、うちの冒険者を甘やかさないでくださいよ。彼らも生活が掛かってるんですから……」
「大丈夫……。キノコ美味しい」
「美味しいとか、自分で食べちゃったら任務失敗になっちゃうでしょうが! しかもカロリーゼロだよ!」
思わず俺は突っ込んだが、リアンテは「美味しいキノコ……」と呟いた後、デュフッ、デュフフフフッというくぐもった笑い声を上げるのだった。横を見るとチェリマがどん引きしている。無意識かどうかはわからないが、指で浄化の印を紡いでいた。
チェリマ……、この人は不死族じゃないから……。確かにオバケっぽいけど……。
「リアンテさん、ところでうちの受付嬢はどうしたんです?」
「エシア……、医務室に行った……」
リアンテはそれだけ言うと、キメ顔をしながら姿勢を正した。どうやら、エシアさんが医務室に行っている間、リアンテが留守番をしていたようだ。
しかし、この人は協会の受付業務を何か勘違いしているんじゃないだろうか。
このまま受付にリアンテを置いておくのは不安が残るが、とりあえず俺たちは協会付属の医務室に向かった。
新市街には一応治癒院が存在する。治癒魔法の使えない冒険者は負傷した場合治癒院を利用するのだが、この時間では閉まっている。だからクンドは協会の医務室を利用したのだろう。
でも大丈夫なんだろうか。エシアさんなら腕は確かなんだけど、料金を結構高額に設定してるんだよね。そうでもしないと、エシアさん目当ての患者で一杯になってしまうから。
まあ、本当に重症の人間から、ぼったくるようなことはしないが……。
医務室にはエシアさんの他に、クンドと樹海で瀕死になっていた兵士がいた。二人は俺たちに気付くとベッドから身体を起こす。
樹海で倒れていた兵士は俺より年上だろうか。前に見たときは血塗れでよくわからなかったが、よくみるとなかなかのイケメンだ。
「お兄様!」
イケメン兵士を見たチェリマは、飛び付くと同時に大声で泣き出した。今度こそ本当の意味で緊張の糸が途切れたのだろう。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして泣き続ける。
「お兄様……か」
そういえばチェリマは大切な人と言ってたな。肉親だったのか……。
チェリマに抱きつかれている兵士もクンドも、エシアさんの治癒魔法で完全回復しているようだった。
兵士はしばらくチェリマを抱き締めていたが、チェリマを離すと俺に声を掛けてきた。
「あなたが俺たちを助けてくれたそうですね。礼を言います。私はヘレンド・コット。チェリマの兄です。クンドはもうご存知ですね」
クンドは手を上げて挨拶する。
「あ、これはご丁寧にどうも。俺はアラン・メリルです」
ヘレンドに色々話を訊いたが、事情があり詳しい身元は明かせないようだった。ピアネッテ曰く、フォロスタール帝国の兵士とのことだったが、俺も深くは突っ込まなかった。
協会としても個人的なことならともかく、政治的な事情が絡むようなら関わるわけにはいかない。
「狼頭ごときと、舐めていたつもりはなかったんですが、なにせ数が多くて、それから……」
と、続けてとんでもないことを言い出した。
「変異種ですかね。2メートル以上の巨躯の狼頭と遭遇しまして……」
「ちょっ、なんでそれを早く言わないんですか!」
思わず怒鳴ってしまうが、ヘレンドにそれを言うのも酷かもしれない。
普通の狼頭は150センチ程度の体長だ。2メートル級の狼頭など、知られている限り狼頭狂王しか存在しない。そして狼頭狂王は迷宮の縄張り主であることが多いため、冒険者以外には存在が知られていないからだ。
「ヘレンドさんたちが出会ったのはおそらく狼頭狂王でしょう。非常に危険な魔物です。エシアさん、各所に通達お願い。もし狼頭狂王に遭遇したら無条件撤退を指示して。旧市街の外で遭遇しているのが気になる。今は討伐より協会に情報を持ち帰ることを優先とする」
俺の指示でエシアさんが医務室を出ていく。
「俺もちょっとだけ席を外します」
ヘレンドの予想通り、狼頭狂王は狼頭の突然変異体だ。狼頭の群れを引き連れて現れるリーダー的存在で、配下の狼頭の攻撃性を高める厄介な能力を持つ。
その体躯から生み出される一撃は巨人族が繰り出すそれと同等のものがあり、しかも鈍重な巨人とは異なり、動きがきわめて速い。
狼頭狂王は単体であってもやっかいな存在だが、群れとして現れると恐るべき魔物となる。狂王配下の狼頭はなぜか通常より凶暴になるからだ。狂王の名の由来である。
とはいえ、そこそこの冒険者であれば狂王率いる狼頭の群れを倒すことが可能だ。
だから協会では、狼頭狂王を“危険指定”ではなく、ランクが下がる“注意指定”の魔物にとどめている。ただし、これは対狼頭狂王用の討伐準備をきっちりした上で対峙した場合の話だ。
“注意指定”とはいえ、狼頭狂王は決してたまたま遭遇していいレベルの魔物ではないのだ。
俺は事務所に向かう。今日は運良く、こんな事態に最適な人間が協会で仕事をしている日だ。
「おーい、ヒーナ! いるか!」
「兄貴! 帰ってたんですね。さっきエシアの姐御がすっ飛んできたけど何かあったんですか?」
事務所の奥から、人懐こそうな顔した小柄な少年が顔を出す。俺のことを兄貴と呼ぶこの少年は協会の正規職員のヒーナだ。協会の総務全般を任せている。
ヒーナの行動スタイルは俺とは随分異なるが、同じ盗賊職だ。
俺は単独行動が主だったこともあり、戦闘に関わることが多かった。しかし、ヒーナは同じ盗賊であっても後衛専門で、戦闘に参加することはない。
実際の剣技も、とある技能を除けば素人に毛が生えた程度で、とても使い物にはならない。
それでもヒーナは歴としたBランク冒険者だ。つまりそれだけの実績を持っていることになる。事実、協会ではエシアさんに劣らず敬意を集める存在なのだ。
ヒーナの卓越した技能、それは隠形だ。戦士でも魔法使いでもあり得ない、盗賊という職業を象徴するようなその技能を、ヒーナは徹底的に鍛え上げていた。
ヒーナはこの技能を生かし、迷宮深層で遭難した班の発見や救助を何度も成功させている。こと探索からの生還ということに関して言えば、ヒーナの存在は多少の剣技や魔法などものともしない戦力となるのだ。
しかも幼さを残す可愛らしい顔立ちで、歳上の女性冒険者に密かな人気がある。そういう意味でも協会にとっては非常に重要な人材だ。
「樹海で狼頭狂王の出現報告を受けた」
「えっ!? 旧市街の外ですか?」
「ああ。ヒーナはエシアさんの指示に従って、現場が樹海の依頼書を冒険者から回収してくれ。それが終わったら、任務中の班への警告を頼む。もう暗いから、すぐ近くにいる班だけで構わない」
「わっかりましたー!」
ヒーナはビシッと敬礼する。
「わかっていると思うけど、魔物に遭遇しても戦おうとするなよ」
「兄貴、心配しなくても大丈夫ですよぅ。自分、逃げ足の速さだけは誰にも負けませんから」
「なんだと! 逃げ足の速さなら俺だって負けないぞ」
俺は笑いながら言い返す。
「適当なところで切り上げてくれ。報告はいらないから」
俺はヒーナが飛び出していったのを見届けてから医務室に戻った。
「どうも、失礼しました」
「大変な状況なんですか?」
ヘレンドが訊いてくる。
「まあ、大変は大変だけど。ここではちょくちょくあるんだよね。こういうの。」
なんせ『神に見棄てられた地』だからな……。
ヘレンドたちは行くあてもなさそうだったので、俺は新市街の各施設について説明した。
もう少し時間が早ければ、仮設住居やテントの使用状況を調べることもできたが、さすがにこの時間になると宿屋ぐらいしか宿泊できる場所がない。少し値の張るところだが、ヘレンドたちには宿屋を紹介して別れることにした。
「そうだ。俺はこれから打ち上げに行くんですけど、ヘレンドさんたちもどうですか?」
「私は喪に服したいと思いますので……」
チェリマが先に断る。
「いや、チェリマ。お前は行ってきなさい。私とクンドはこれからのことを相談しないといけないから……」
俺は何か忘れている気がしたが、チェリマを連れて酒場に向かったのだった。
酒場の扉を開けると、どっと喧騒に包まれる。奥の方でピアネッテが手を振っているのが見えた。
俺は給仕にエールとチェリマのためのお茶を頼むと、席についた。
「おっさん、ピアネッテ、お疲れ」
「おう。坊主、それにお嬢ちゃんもお疲れ様、だ。狼頭狂王のことは聞いた。部下を旧市街に向かわせた。旧市街入り口で冒険者に警告を出す手筈になってる」
「よろしくお願いします」
「俺のとこより、副指令のところの方が大騒ぎしてたぜ。副指令自ら出ようとしたみたいでな」
「今からですか!?」
「ああ、キノコが危ないとか騒いでたな」
そういえば、リアンテが協会の受付で樹海のキノコ採取の探索依頼を配布していた。キノコの心配より冒険者のことを気に掛けてほしい……。
「将軍はキノコが大好きらからねー。キャハハハ」
ピアネッテの顔が赤い。
「こいつ、もうできあがってるのかよ」
「こんなの全然呑んでるうちに入りませーん。それより部長も呑め!」
ピアネッテがひたすらうざいキャラになっていた。テリンベクタールも苦笑している。
「とりあえず呑もう。任務完了と俺たちの無事を祝って……」
テリンベクタールはそう言うと杯を上げる。
「それとこれはチェリマを護って逝った者たちへの鎮魂の手向けだ」
テリンベクタールとピアネッテが杯を合わせる。俺も自分のマグカップを持ち上げたが、横からチェリマに引ったくられた。
「苦い……」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「鎮魂の杯と聞いたら、飲まずにはいられません!」
チェリマはそう言うと、泣き笑いのような表情を浮かべる。
「お酒が大好きな人たちでしたから……」
「チェリマは健気でいい子なのだー!」
ピアネッテがチェリマの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「おい、ピアネッテ。お前呑み過ぎじゃないか?チェリマも困ってるだろ」
「そうです!私は色々と困って大変なのです!」
チェリマはそういうと俺のマグカップをドンとテーブルに叩きつけた。表情を見ると、目が据わっている。おいおい、こいつもかよ。
「そうだねー、大変だねー」
俺はチェリマをなだめながら、こっそりとマグカップを回収しようとした。が、チェリマはがっしりと握って放そうとしない。
「部長は盗賊なのに修行が足りんぞー。キャハハハ」
「こんなお酒なんて、こうしてやりましゅ」
やりましゅ?
チェリマはそういうと、再びマグカップに口をつける。
「お嬢ちゃん、その辺にしとけよ。子供には毒だ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。だって私は魔法使いなんれすからね。それ、げろくまほー、キャハハハ」
冒険者のアイドルと、いいとこのお嬢さんが高笑いを上げている。なんだこのカオス空間……。
まったくこの状況をどうしたものかと困っているところに、エシアさんとリアンテが合流した。
エシアさんがチェリマの肩に手を置くと、チェリマは正気を取り戻した。
「すいません。取り乱しました」
チェリマはそう言ってうつむく。どうやらエシアさんは、肩に手を触れた際に解毒魔法を使ってチェリマの血中から酒精を除去したようだった。
「アラン……、信号……」
リアンテがぼそりと呟く。
「え……? ああ、信号上げるんですね。よろしくお願いします」
「よし、せっかくだから見に行くとするか」
テリンベクタールがジョッキを持ったまま立ち上がる。
「アランさん、何が始まるんですか?」
「任務中の兵士と冒険者に警告と帰還命令の信号を上げるんだよ」
酒場の外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
リアンテ配下のアンヌーン兵士たちがリアンテのことを待っている。
「今日はの仕事はこれで終わり。だから……絞り尽くせ」
言葉の内容とは裏腹にぼそぼそとリアンテが命じる。リアンテの命令に、3人の兵士が敬礼で応えた。
その兵士たちは片手を上げると、各々詠唱を始める。
「始まるぞ、お嬢ちゃん」
とテリンベクタールがチェリマに声を掛けた直後、耳をつんざくような轟音とともに火の玉が兵士たちの手から打ち出される。
火の玉は上空高く上がったところで炸裂し。夜空を業火で染め上げる。中規模攻撃系魔法の最高峰“大火球”だった。
フイタルミナスでは余裕があれば、この魔法を信号として使っている。まったく贅沢な使い方ではあるが、物資の乏しいフイタルミナスではこちらの方が安上がりだ。それにこれで仕事納めとなれば遠慮なくぶちかませるというものだ。
実際に戦闘で使用された場合、効果範囲のあらゆるものを焼き尽くし、衝撃波で粉砕する。 熱耐性を持つか、退呪できなければ死を免れない非常に強力な魔法だ。
今のを見る限り、アンヌーン軍には大火球を使える魔法使いが最低3人は存在することになる。今のところ、冒険者とハラド軍、アンヌーン軍は友好的な関係を築いているが、いつそれがひっくり返るかもわからない。きっと、使い手は3人どころではなく存在するんだろうなと思う。少なくとも、あと一人。ただでさえ攻撃的なリアンテ将軍が大火球を使えないはずがない。
「いやあ、相変わらずアンヌーンの魔法使いはすげえな」
テリンベクタールが素直に感心していた。いや、あんたはもう少し警戒しろよ。ハラドとアンヌーンで和平協定が結ばれていなければ、テリンベクタールとリアンテは戦場で敵同士として出会っていたかもしれない二人だ。
信号の打ち上げが終わり、見物していた野次馬たちも散っていく。
「中に戻ろう」
テリンベクタールが酒場に引き返した。その後、信号を見て帰ってきたヒーナも酒場に現れ、しばらく皆で飲み食いしてから俺は自分の部屋に帰った。
何か重要なことを忘れているような、もやもやした感じを残しながら、俺は眠りについたのだった。
そして次の日、俺は支部長執務室の床に膝をついていた。
そのまま、ゆっくりと腰を曲げながら両手を床に付け頭を下げる。いや、下げるどころか、むしろ頭を地面につけていた。
「誠にすいませんでしたー!」
モルクワさんに謝る。狼頭狂王出現の騒動のせいで何か忘れているような気がしたのだが、モルクワさんのことだった。
俺はモルクワさんに依頼書仕分けを頼んでいたことをすっかり忘れて、打ち上げに行っていたのだった。