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斑竜の棲み処

 

 ――バチン!


 迫りくる影は大きな音を立ててはじかれた。

 ソユーの結界のおかげで三人は無傷だった。ジアードは大きく息を吐いた。

 一方、衝撃で落下しかけた巨鳥は慌ててバサバサと翼を大きく動かす。そして、髪が巻き上がる程の風を残して上空へと戻っていった。

 

「あれは諦めてないね。今のうちに進もう」

 ダウィに促され、再び岩場を登る。

 そのあとも巨鳥は幾度か襲ってきたが、その度にソユーの結界に阻まれて跳ね飛ばされていた。

「すげーな……結界……」

「ここまでできるのはソユーだからだよ。普通の魔術師の結界では無理だからね」

「すげーな……婆さん……」

「すごいねー」

「おしゃべりしている暇があったらさっさと登りな」

「はーい」

「……おう」


 岩山の中腹あたりだろうか。見上げれば、踊り場のようにひらけて平らになった所に人間たちの到着を待つタイの姿が見える。

 まだ少し距離はあるが、暗がりを背景にしているので真っ白な毛並みが浮き上るように――


 ――暗がり?


 日はだいぶ傾いてきたものの、日没まではまだ時間がある。しかし岩陰と呼ぶにはずいぶんと暗い。


 ソユーの荷物を預かり、骨ばった手を引きながら最後の斜面を登りきる。

 暗がりと見えたのは巨大な洞窟だった。入口だけでも家がまるっと入るんじゃないかという大きさだ。

「でけえ穴だな」

「ここが目的地だよ」

 洞窟に近づくと巨鳥が襲ってくることはなくなったが、ソユーが結界を消さないので念のため結界からはみ出さないようにその背中を追う。

 ざっと見る限り洞窟の中に生き物の気配はしない。暗くて手前の方しか見えないけれど、少なくとも入口周辺は安全そうだ。

 この穴はどこまで続いているのか。

 目を凝らしてみても、相当奥まで広い通路が広がっていそうだということしかわからない。

 

 カチカチと音がして辺りが明るくなった。ダウィがランタンをつけたのだ。

 揺らぐように浮かび上がったのは真っ黒な岩肌。そしてその隙間でキラキラと光を反射させる――

「水晶、か?」

「魔力が結晶化したものだよ。俺たちは『魔石』って呼んでいる」

 灯りを巡らせるのに合わせて煌めきが波のように広がる。

 神秘的な光景に息をのんだ。

「ところで、体調は悪くない?」

「体調?」

「気持ち悪いとか頭が痛いとか」

「――ねえけど?」

 突然なんだと思ったら、魔力の話らしい。

「結晶化するほど魔力の溢れている場所だから、つられて体内魔力が乱れるんだよ。ちょっとでもおかしいと思ったら教えてね。念の為ソユーの結界から出ない方がいい」

 頷いて、ふと気づく。

「お前は、平気なのか?」

 ソユーの真後ろを歩いてきたジアードと違い、ダウィはすでに結界から出ている。

 先を駆けていったタイは言わずもがなだ。

「俺は大丈夫。『ザルの方がマシな虫ケラ以下』らしいからね」

 その科白を聞いて老婆が乾いた声で笑う。

 そういえば、魔力の無いダウィを揶揄してその悪口を言ったというのは彼女だった。

「タイなんてむしろ調子が良いくらいみたいだ」

 人間の言葉がわかるらしい犬はフンと鼻を鳴らした。


「それじゃあ、奥に行こうかね」

 ソユーがランタンを奪い、先に立って歩きだした。

 移動していく結界に導かれるようについていくと洞窟の奥には更に広い空間が広がっていた。

 そしてその中央に横たわる巨大な影。

 心臓が跳ねた。


「竜――!!」


 興奮か、感動か、それとも畏怖か。自分でもよくわからない感情が沸き起こる。

 歩を進めるごとに次第に露わになるその姿から目が離せない。

 ランタンの明かりが動くのに合わせて硬質な鱗が光を跳ね返す。

 以前海で見た海竜とは色も質感もまるで違う鱗だ。

 魔石の輝きのように白い体に、洞窟の岩肌と同じ色の斑点が広がっている。

   

 斑竜(まだらりゅう)――だったか。


 この斑点模様から名づけられたのか。

 尻尾を腹の前に丸め、長い首をその上に置いて目を閉じている。

 見上げる位置にあるその背はひどくゆっくりと上下に動いていた。

「……眠ってる?」

 声をひそめて問えば、普段と変わらぬ調子でダウィが答える。

「この竜は一年のほとんどを寝て過ごしているんだよ。ここで魔力を吸収しながら傷ついた躰を癒しているとか」

「怪我してんのか」

「数百年前の聖戦で大怪我したんだって」

 そんな事を言いながら彼はひょいひょいと岩場を越えて斑竜に近づいていく。飼い犬も飼い主の後を追っていった。

「おい――!」

 危ないのではとソユーの方をうかがうが、彼女は止める素振りを見せない。

 そうこうするうちに一人と一匹は小山のような竜の正面に立っていた。


「こんにちは」

 街中で知人にでも会った時のような挨拶が薄暗い洞内で小さく反響する。

 小山が揺れた。

 背中が大きく盛り上がり、首が持ち上がる。

 鼻先がこちらに向き、ゆっくりと瞼が開いた。

 薄い水色の、宝石のような瞳だ。

 眼だけでも大人の身長ほどもありそうなそれがダウィを映し、タイに向けられる。


≪大地の子か――≫


 静謐な声が頭に響いた。

 耳にではなく、頭の奥の奥に染みわたるような声だ。

「魔術師が結界の張り直しに来たんだ。今晩はお邪魔するよ」


≪承知した――≫


 竜はすでに興味を失った様子で再び目を閉じた。

 ソユーは鞄を下ろし、敷物の上に荷物を広げ始めていた。

 よく見れば、ソユーの前には文字だか絵だかが刻まれた石柱がある。これがメンテナンスの必要な結界設備とやらか。

 隣にしゃがみこんで、思ったよりも小さいそれを観察する。刻まれているのは呪文とかそういう言葉のようだ。線が絡まりあっている所は共通語と似てるような気がしなくもないが、読める文字は一文字もなかった。所々に色のついた石が埋め込まれていて芸術っぽいと言えなくもないが……

「やっぱりわからん」

「基礎になってるのは古い時代のもう失われた魔術だ。私らにだって未だ理解しきれていない代物さ。賢者連中なら少しはわかるのかもしれないけど、丁寧に教授してくれるような人たちじゃないからね」

 老婆はヒヒヒとひきつるように笑った。

「さて、私はここの魔力詰まりを治して結界を張りなおすよ。終わる頃には夜だ。あんた達は野営の支度でもしてておくれ」

「ここに泊まるのか?!」

「外で魔族に襲われ続けるより良いだろう?」

 それはそうかもしれないが。

 ちらりと竜の方をうかがう。

 やはり大きな背中がゆっくりと上下するばかりだ。安全といえば安全なのかもしれない。

 ジアードは荷物を抱えなおした。


 しかし、野営の支度と言われてもジアードはソユーの結界から出られない。

 どうしたものかと思っていたら、ダウィが左手を上げてハンドサインを出す。


 「待機」。


 久しぶりに見たイーカル王国軍流のソレに唇の端があがる。

 そう言えば辺境騎士団流のハンドサインというのもあるのだろうか。今まで使っていたものと似ているなら良いが、大きく違ったら覚えるのに苦労しそうだ……なんて事を考えている内に、ダウィは鞄の中から小箱を取り出し、蓋を開けた。

 中には宝石で飾られたペグのようなものが入っていた。

「簡易結界だよ。これを地面に刺して魔力を通すとその周囲に結界が張れる」

「地面に――」

 しかし、足元は岩盤だ。そんなもの刺せる場所がない。

 そう言えば、ダウィは笑顔でタイを手招いた。

 タイは呆れたようにため息をつき、ペグを口で受け取る。

 そしてダウィの足元に適当に突き立てた。

「刺さった」

 柔らかい土に刺すように力も籠めずに刺さった。

 そしてタイがペグの頭についた宝石に鼻を押し当てると淡い金色の光が広がる。

 広さは軍で使うような大き目の天幕一つ分くらいだろうか。

 三人と一匹なら余裕で寝転がれるくらいの空間がある。

「ジアードもこっちにおいで。

 息を止めて走れば大丈夫だと思うから」

 ソユーの結界からタイの結界までほんの数歩。

 言われた通りに息を止めて飛び出した。

 結界を抜けた瞬間、ぐわんと頭が揺さぶられる。

「なっ」

 思わず息を吸い、その瞬間になぜか息が詰まった。

 呼吸ができなくなり、パニックになる。

 倒れこむようにしてタイの結界に飛び込んだ。

 視界が明滅し、激しい耳鳴りがする。天地の感覚すらおかしい。

 何がなんだかわからないままに岩場に膝をつき、胸を強く打つ痛みとともに、意識を失った。



   * * *



 それは温泉に浸かった時のような、ゆるゆるとした流れに浸かっているような、不思議な感覚だった。

 全身を金色の光に包まれていた。だが、光の他は何も見えない。

 どこだここは――と考え出したところで、自分が目を閉じているのだと気が付いた。

 急速に全身の感覚が戻ってくる。布一枚隔てた所で誰かが話しているようなくぐもった声がする。ひやりと湿った空気が肺に流れ込む。堅い所に横たわっているのか、背中が痛い。それから――

 ジアードは重い瞼を持ち上げた。


「あ、気が付いた?」

 ダウィが顔をのぞき込んでいた。

 荷物を枕に寝かされていたようだった。

「急性魔力中毒だね。気分はどう?」

「二日酔いん時みてえに胸がむかむかする。あとは頭痛が少し」

「じゃあもう少しそのまま寝ていて。

 ソユーの結界ももうすぐ完成するみたいだから」

 ついとそれた視線をたどるとソユーが居た。

 敷物に宝石を並べ、一心に呪文を唱えている。

 その周囲では火花のように赤い魔力の光が宙を舞い、石柱に吸い込まれていく。

「ウクバの森でフアナがやってたあれか」

「んー……あの時フアナがやったのは解放の魔術で、これは封印の魔術だから」

「逆か」

「逆だね」

 素人が見ても違いはわからないが。

「やっぱり綺麗なもんだな」

 魔術の光を見ているのは結構好きだと思った。

 ぼんやりと眺めているうちに再び瞼を閉じていた。

 視界は暗くなり、今度は金色の光は見えなかった。



「ジアード、起きられる?」

 名を呼ばれて目を開ければ、もう封印の魔術は終わったらしい。

 ソユーもダウィの向こうで水筒を傾けている。

「食事にするけど、食べられるかな」

 先ほどまで感じていた不快感はもう収まっていた。

 ゆっくり起き上がり強張った首を回した。

 いつの間にか結界の中で焚火が炊かれていた。

「タイがとって来た木の実と、それから鳥肉があるよ」

「木の実はともかく鳥肉って」

「さっき空から襲ってきたやつ」

「食えるのか」

「内臓を傷つけないように捌けばね」

 内臓は猛毒だという。

 遠慮したかったが、背に腹は代えられない。

 串に刺して焼かれたそれにおそるおそる歯を立てた。

「――うまい」

 見た目は鶏肉によく似ているが、味はどちらかというと蛇肉に近い。

 あっという間に一本分を腹に収めると、右側から更にもう一本を差し出された。

「たくさん食べな。私は一本で十分だ」

 不愛想にそう言って、ソユーは自分の分の串にかじりつく。

 その向こうではタイが木の実をガリガリとかみ砕いていた。

 つかの間視線を感じた気がして顔を上げるが、やはり竜は目を閉じたままだ。

「どうかした?」

「いや、別に」



   * * *



 ぼんやりとした明かりがさした気がした。

 次第に意識が浮上していく。

 瞼の隙間から見えたのは光る岩。


 ――あれは、魔石。


 寝ぼけながら目を開いたり閉じたりしていて気が付いた。

 水晶のようにきらめくたくさんの石の中に、一つだけ自ら光を放っている石がある。それは斑竜の瞳と同じ色の光を放つ大きな石。

 その光る岩の前に大きな白い犬が座っていた。


≪ここは、落ち着く≫


 少年のような澄んだ声がした。

 竜がわずかに首をもたげ、静かに息を吐く。


≪――だろう?≫


 凪いだ湖面に水が一滴落ちるように、静かに沁みる声が応えた。

 話しているのは竜と――タイか。

 フアナと話しているのはよく見るが、声を聴くのは初めてだ。思っていたよりも若い。

 そういえば、時々小鹿と張り合ったり子供のような仕草を見せていたような気もする。


 タイがマズルを上げ、風の匂いを嗅ぐように、もしくは耳を澄ますように、目を閉じた。

≪この石から出てるのは純粋な魔力なのかと思ってたけど――違う≫

≪ここと繋がっているどこかの魔力なのだろう。我にもわからぬ≫

≪なんか知ってる気がするんだよな。これ、じゃなくて、もっと甘いのが混じった感じの……≫

≪知らぬ方が良い事もあるのだ。若い内には理解できぬ事やもしれぬが≫

≪どこかの爺みたいだ≫

 タイが岩場からヒョイと飛び降りて竜に寄り添い丸くなる。

 竜も首を下ろし、タイの体を包み込むようにしてから再び瞼を閉じた。

≪そろそろ眠れ。寝る子は育つという≫

≪もう大人だよ≫


 くぁ、と小さなあくびが聞こえた。

 その後はもう何も聞こえてくることはなかった。


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