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毛玉の糸

 その日、ジアードはユトと並んで商店街を歩いていた。

 憲兵本部へ書類を届けに行った帰りなので揃って制服姿だ。ジアードにとっては普段と変わらない服装でも、ユトが制服を着ているのは珍しい。彼は私服で過ごすことが多く、いつも神官服かそれに似たずるっとした服を着ている。楽だからというのがその理由だ。

 だから憲兵本部に行くなら制服でなければとなった時には「ベルトにネクタイに手袋に制帽にっていちいち面倒くさいんですよ」とぶつくさ言いながら着替えていた。その割に規定通りきっちりと着こなしている辺りがユトらしいというかなんというか。エンシオなぞ「第一ボタンなんて留めなくてもネクタイすればバレねえって」といつも誤魔化しているのに。

 

「ところで、昼飯はどうする?」

「結局食べそびれましたねー」


 ちょうど食堂へ向かおうとしていた時だったのだ。ヨタヨタと歩くエンシオとすれ違ったのが。

 窶れて目の下の隈もひどい。見咎めて声を掛けたら、相変わらず例の事件の始末で忙しいとぼやく。そのうえ、昼休み返上で憲兵本部へ要望書だかなんだかを届けに行かないといけないというから、ユトが封筒を取り上げて、ジアードが仮眠室へ押し込んだ。それくらいの雑用なら代われるからと。


 結果、二人は食事時を逃してしまった。


「どこか食堂にでも入りますか? この辺りは学生街で手頃な価格の飲食店が多いですから」

「そうだな」

 本屋に文具屋、若者好みの雑貨を売る店。そんな店々の間に軽食や定食の看板がちらほらと見える。

 さて何を食べようかと周囲を見回した。

 その時、路地の隙間で何かが動いた気がした。

 猫でもいるのだろう。大して気も留めず歩き出そうとした足を止めたのは、ふわり暖かそうな――茶色。


「フアナ」


 店と店都の隙間。道というより荷物置き場のようになったゴチャゴチャした空間の向こうで、『彼女』と同じ色の髪の毛がぴょこんと跳ねた。

 路地に積まれた木箱の間から気まずそうな顔が覗く。

「あれージアード? こんな所で何してるの?」

「こっちの科白だ」

 幼い子供ならかくれんぼだの探検だのと狭い場所に好んで入っていく事もあるだろうが、年頃の少女のすることじゃない。ジアードが半ば呆れた視線を送るとフアナは埃で真っ白になった袖をはたきながら立ち上がった。

「ローリーが逃げちゃったの」

「逃げたって――あの精霊が?」

 にわかには信じられず問い返した。旅に同行した時だっていつも放し飼い状態だったじゃないかと。

 あの小鹿は珍しい虫や木の実に気を取られる事はあっても必ずフアナの元に駆け寄ってきた。

「いじめたのか」

「そんな事しないわよ」

 頬を膨らませてフアナは再び木箱の隙間にしゃがみこんだ。

「今日はこの近くのお店にプレゼントを買いに来たの。来週お友達の誕生日だから。

 品物を見てる間、ローリーはずっと鞄の中で寝てたんだけど……ここを通りかかった時にいきなり鞄から飛び出しちゃって」

 フアナは建物と建物の間の細い空間に手を差し入れた。彼女の細い右腕がようやく入るくらいのわずかな隙間だ。

「ほら、ローリー、出ておいでー。こっちこっち……」

 首を伸ばし覗き込むと、壁に挟まれた薄暗いその場所の奥の奥に赤く光る眼が見えた。目を凝らせばぼんやりとシルエットがわかる。身体に似合わず大きな角が隘路に閊えそうになっているのに、それでもローリーは更に奥へと行きたがっているようだ。


「きゅい」


 小さく鳴いて、ローリーはまた首を向う側へ向けてしまった。

「ずっとあそこで『こっちに来い』って呼んでいるみたいなんだけど、こんな所に入れる訳ないじゃない!」

「子供でも無理だろうなあ……あとは餌で釣ってみるとか――あ」

「あ?」 

「奥に逃げた」

「ええ!?」

「この先は?」

「えーと、えーと……」

 パニックになった少女を見かねて、ユトが口を挟んだ。

「向こうの通りの古着屋の辺りに繋がっていると思います」

 その言葉に従って、一行は次の十字路を回り込んだ。

 ユトの言う古着屋はすぐの場所だった。入口の脇から建物の隙間をのぞき込む。やはり人が入るには狭い空間だ。

 薄暗いその場所を小さな茶色い影が過った。

「きゅい」

 やはり「ついて来い」と言っているような鳴き声が右手の方から聞こえる。

「今度は右だ」

「右? えっと」

「その赤い屋根の建物の方」

 ローリーを追いかけてさらに進む。

 目印にしていた赤い屋根の前までたどり着くと、裏手からローリーの鳴き声がする。

「キュィ!キュィ!」

 先ほどとは違う、どこか楽しそうな声だ。

「どこだ?」

「多分、その細い通路……」

「入れるか?」

「なんとか……」

 フアナは体を斜めにして声のする方に入っていく。



 やがて出てきたフアナの腕にはご機嫌な様子のローリーがいた。

「キュィ!」

「お前、あんまりフアナを困らせ――なんだ、それ?」

「……なんだろ」

 ローリーにくっつきフルフルと揺れる毛玉。大きさはローリーの体の半分くらい。薄汚れてはいるが、元は白に近い色だったのだろう。

「ローリーはこれを追いかけてったのか……これ、生き物か?」

 動いているのだから生き物なのだろう。しかし、よくよく覗き込んでも目や手足は無い。

 つついてみるとびくりと震え、動きを止めた。

「ネズミか?」

「なんだろ。何かの赤ちゃん? 顔どこかな?」

 ローリーの腹の方を探ってみるが、嫌がるように震えるばかりで一向にその正体はわからなかった。

「ユト、これが何かわかるか?」

 ユトは毛玉を指さしてから指先を上下に振った。。

「糸……?」

「なんだって?」

「いえ、その糸が」


 フアナが、今更気がついたようにユトを見上げ「誰?」ときいた。

 ユトは神官然とした余所行きの笑顔を見せる。

「辺境騎士団本部シーリア隊ユト・ラウリーと申します。現在ジアードの指導騎士を務めています」

「あ、えっと、『運び屋』のフアナ・フレサンです! ジアードとは、ええと――友達です!」

 思わぬ言葉に、ユトがこらえきれず吹き出した。

「ふくっ――失礼。ソユー先生のお孫さんですね」

「はい! 祖母のお知り合いですか?」

「幾度か任務でお世話になりました。それに、フレサン商会にも時々」 

「もしかして、原石持ち込みの騎士さん!」

 フアナがユトの鼻先を思い切り指さす。

「原石持ち込み……?」

 なんの話だと二人の顔を見比べる。

「ウチのお父さんの会社、フレサン商会っていうの。宝石とか装飾品がメインで色々やってるのよね。

 そこに宝石のカットをしてくれってしょっちゅう原石を持って来るお客さんがいて――それが」

「僕です。

 恥ずかしながら、魔力と相性の良い石を見つけるとつい持ち帰ってしまうという子供じみた癖がありまして」


「魔力が視える人ですか?」

「『意識すると視える』くらいです。

 ただ、平均よりは視えるほうなので気になってしまって。ほら、その生き物からのびる魔力の糸――」

 ユトはフアナの抱いた毛玉を指さし、そこからついと手を動かした。路地の隙間からわずかに見える空へ。そして東の方へ。

「あちらへ続いてますね」

「え、あ。本当だ……」

 つられて目を凝らすが、ジアードには勿論何も見えない。

「――行ってみましょう」

「お仕事中とかじゃ……」

「使い走りの帰りで急ぎの用はありません。それに、人の生活圏に現れた生物が『悪いもの』でないか見極めるのも仕事のうちですから」

 ユト得意の「神官スマイル」でフアナがわずかにのぞかせていた警戒心はすっかり氷解したようだった。

 

 最初は毛玉を引き取り、ジアードとユトの二人だけで調査に行こうとしたのだが、ローリーが毛玉から離れたがらないので結局フアナがローリーごと毛玉を抱いて三人で行く事になった。

 ぽつぽつとあたりさわりのない会話を重ねつつ、歩くこと半時。

 遠くで鐘が鳴った。

「どこまで行くんだ? このままじゃ町の外に出ちまうぞ」

 ぎゅっと詰まった街並みが次第に庭付きの家になり、畑付きの家になり――城壁のないこの町の境がどこなのか明確にはわからないがもう町はずれと言って良いのではないか。

「そうですね。でも、そう遠くないです。だんだん魔力の糸が濃く――太くなっていっている感覚があるので」

「多分……東の砦のあたり、かな」

 魔力の見える二人がそろって指す方向は葉野菜の並んだ畑の向こう。なだらかな丘の稜線のあたりだ。

「ああ、あの廃墟か」

「知ってるの?」

「歴史の本に載ってたから一度見に行った」

 途中足場の悪い所もあったが、あそこなら四半時もかからず着くだろう。

 


 丘の上に建つ半ば崩れかけた石壁。

 モルタルか何かで固められたそれは、遠い昔に砦を成していたものの一部だ。

 放棄されて三百年程だという。

 建物の天井はすでに失われ、辛うじて残った数枚の壁から入口や窓のあった痕跡が判別できる程度というほどに風化していた。

「ウォーゼル王城に比べて、なんつーか……粗削りだな」

 なんとなく漏らした感想を、ユトが拾う。

「あちらは戦争を想定して造られていますが、こちらはただの拠点だったそうですから」

「拠点?」

「ここ、辺境騎士団の旗揚げ地ですよ」

「そうなのか⁈」

「聖戦の時代に魔族対策の拠点としてここを使っていたのが辺境騎士団の前身です。

 その後、放棄された建物をウォーゼル王国軍が再利用して『東の砦』と呼ぶようになったそうですが、昔は『西の砦』と呼ばれていたとか」

「東と西じゃ全然違うじゃねえか」

「当時はここが文字通り『西の辺境』だったんですよ」

 そう言いながらユトは身軽に瓦礫を乗り越えていく。

 ジアードはローリーを抱えたままのフアナの様子をうかがい、少しマシなルートを探しつつ後に続いた。

「辺境騎士団を作ったのは、ここより東の人間だったってことか」

「正解です」

「アスリア人?」

 すぐ東側の国の名前を言ってみる。

「いいえ。アスリアはまだ建国前ですね。

 初代団長はソメイクの人間ですが、人類存続という目標のために色々な国の色々な民族が寄り集まって設立されたそうです」

「ずいぶん壮大な……いや、魔族相手ならそういうもんか――おっと」

 よろけるフアナを引き起こしたあたりで少しひらけた場所にたどり着いた。

 一息つく一行をよそに、首をもたげ、風のにおいを嗅いでいた小鹿が鳴き声をあげた。

 

「ぴーぃ。ぴーぃ」


 フアナの腕の中で、ローリーは小さな耳と鼻をひくひくさせている。

 何か見つけたのか。

 小鹿の視線を追って奥へ進む。

 メインの建物の端の方で、フアナが足を止めた。

 壁が折り重なるように崩れた場所だ。

 不意にローリーがフアナの腕から飛び出し、瓦礫の下にもぐりこむ。

「ちょっと、ローリー! 危ないよ!」

「ぴーぃ……」

 小鹿の声のする隙間を除くと、その奥にローリーに張り付いた毛玉と同じ色の毛が見える。

 しかし、あの毛玉よりずっと大きい。

「親?」

「崩れて閉じ込められたのかな」

 フアナが手を差し入れようとするのをユトが止めた。

「本当に崩れたばかりなら、何かの拍子にさらに崩れるかもしれません。

 ただ、これは最近崩れたものではなさそうな……この大きい方の個体は魔力に惹かれて入り込んで、出られなくなっただけではないでしょうか。この砦の地下に魔力溜まりがあるような話を聞いたことがあります」

「……本当だ、微かに魔力の匂いが……」

「わかりますか?」

「なんだろう、なんか変だな。自然のものっていうより、誰かがかけた封印の魔術から漏れ出している感じ」

「僕にはそこまではわかりませんが、魔術師連盟に調査依頼を出す必要がありそうですね。

 まずは目の前のこの……ネズミ、じゃないですよね。なんだかわからない生き物を引っ張り出してみましょう」

 ユトは上着を脱いだ。

「この倒れた壁をどかさないといけませんね」

「一度戻って誰か呼んで来るか?」

「いや、僕たちで大丈夫です。ジアード君、そちらを」

「……まじか」

 抱えられるくらいのサイズならなんとかなるかもしれないが、ユトの言うそれはまだ壁の原形をとどめた塊だ。

 絶体に無理だろうと思いつつも、ユトがやる気のようなのでジアードも上着を脱いだ。

 両端に分かれ、瓦礫に手をかける。

「いきますよ――せーの!」

 全力で持ち上げようと試みるがピクリともしない。やはりあと数人、できれば梃子になるようなものも欲しい。

 しかしユトは諦めていないようだ。

「……持ち上がりませんか。ちょっと待ってください」

 ポケットから革袋を取り出し、何かを口に含む。

 ユトの口の中でかちっと音がした。

「飴?」

「さっきフアナさんと話してた石ですよ。

 僕ら『大地の民』は魔力で身体能力を上げる事ができますが、恥ずかしながら僕は魔力のコントロールが苦手なので、補助に」

 少し口をひらき見せてくれたユトの舌の上には、茶色がかった透明な石がのっていた。 

「もう一度、いきます――せーの!」

 ユトの号令に合わせ、渾身の力で立ち上がる。今度は持ち上がった。

 すかさずフアナが灰色の毛を掴み、引きずり出す。存外大きく、フアナの身長ほどもある。

 その後ろからローリーもはい出てきた。

「やった!」

 フアナが小鹿に抱き着いた。

 同時に小鹿にくっついていた毛玉がぴょんと飛び出し、大きな毛の塊にくっついた。

 同じ色の毛だからもうどこにいるのかわからない。

 大きな毛の塊はやはり生き物のようだが、小さなそれと同じように目も鼻も口も、手足すら見当たらない。

 唖然と見守る一行の前で、毛の塊はぶるりと体を震わせ、ぽすっぽすっと軽い音を立てて飛び跳ねた。

 そしてローリーとフアナを撫でるように軽く触れ、毛の塊は大きく飛び上がった。

「うわ!」

 灰色の塊は空に吸い込まれるように遠ざかり、あっという間に視界から消えた。


「何だったんだ、あれは」

「普通の生き物ではなかったですね……悪意も感じませんでしたが……」

「最後、お礼を言ってるみたいだったね」

「きゅい!」

 


   * * *



「ああそりゃ、『毛玉』だねえ」

 魔術師連盟の前でばったり会ったフアナの祖母は、話を聞くなりそう言った。

「お婆ちゃん、知ってるの?」

「良く知らん。私の師匠は『毛玉』って呼んでたよ。魔力を餌にするから魔力溜まりに良く集まる。分裂したり結合したり、決まった形がない変な生き物だ。

 本来は魔界に住んでいる小さい虫みたいなのだって聞いたけどね」

「すっごい大きいのもいたよ。こーんなに!」

 フアナが両手を広げてみせると、ソユーは驚きもせず頷いた。

「あれは魔力を吸収して膨らむんだ。大方、瓦礫の隙間から入り込んで餌の食いすぎで出られなくなったんだろ」

 説得力のある説明だった。

「なるほどねー。

 あ、ジアード、ユトさん、今日はありがとうございました! 私はお婆ちゃんと一緒に帰るからここで――」

「ああ、そうだな」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 別れの挨拶を交わす三人をよそに、ソユーは胸に下げていたペンダントを両手で握った。


「そうか、東の砦の封印が弱っていたか……とうとうねえ……」




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