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朱房の略綬

 夜の静寂を割るように、男の苛立った声が通りに反響した。

 ジアードは声のした方へ胡乱な眼を向ける。少し離れた正面玄関でマリアと社員らしき男が押し問答をしているのだ。

 ごねてはいるが、マリアの提示している書類は正規の捜査令状なので、拒否することは出来ないだろう。男もそれはわかっている。時間稼ぎだ。

「こういうのはどこの国でも変わらねえな」

「様式美だと思って諦めろと言われました。……ところで、あの人は」

 傍らで見守っていたユトが囁いた。

「マリアと話してる男?」

「あれは、サザニア訛りですか?」

「……そうだな。今の『sh』の音やアクセントの位置からすると」

「わかってきました」

 ユトは満足げに頷いた。

「あ。そろそろですね」

 事態が動いたようだ。マリアがこの国の法律を読み上げ始めたところで、空気が変わった。

 ユトは嬉しそうに指先を動かす。手を握ったり開いたり。物騒な準備体操だ。なのに表情は変わらず穏やかさを保っているところが怖い。

「僕たちはあくまで『補佐』なので、憲兵について最後に入ります」

「おう」


 怒声を上げる男を押しのけ、マリア達が突入した。

 本隊はまっすぐに隠し階段のあると思われる社長室へ向かうようだ。 

 他に、店舗や二階より上の捜索を担当する班があるらしい――のだが、各扉や階段の下で抵抗にあい、行く手を阻まれている。

「とりあえず僕らはマリアの居る方へ」

 頷いて玄関ホールを抜けようとした時、何か視線を感じた。


 ――上! 


 吹き抜けになった二階部分から、男が階段下の騒ぎを見つめている。

「ユト! 小男ってあいつじゃないか⁉」

 先行するユトを引き留め、視線の方向を指す。

 地人ほどではないが、一般的な女性の身長より背の低い男。偽金貨を使ったという『小男』の条件には合致する。

 男はジアードと視線が合うと、即座に身をひるがえして奥へと走り去った。

「確保しましょう」

 即断し、ユトは階段の方に向かった。

「って言ったって、お前――」

 後を追いかけるが、その先にはバリケードを築こうとする社員たちとそれを排除しようとする憲兵が小競り合いの真っ最中。とてもじゃないが二階にはいけない。人垣の前で立ち往生だ。

「先に行きます」

 言うが早いが、ユトは手すりに飛び乗ってそのまま笠木を駆け上がる。

 道を塞ぐ男たちに止める閑も与えず、廊下の向こうに消えてしまった。

「仕方ねえなあ」

 無論ジアードにあんな真似できるわけがない。


「おら、どけ!」

 呆気に取られた様子で階上を眺める憲兵の襟首を掴んで道を空けさせ、行く手を遮る社員の肩口を掴んで階段から引きずり落とす。

 妨害しようとしてきた別の男を放り投げ、階段の上で飛びかかってきた男を体当たりで弾き飛ばす。

「――ちっ! あいつどこいきやがった」

 二階は左右に扉がいくつも並んでいる。

 確か以前聞いた説明によると、二階には事務室と応接室――

 扉に貼られたプレートに目を留めたその時、左手の部屋で何かがぶつかる音がした気がした。とりあえず手近な扉を開け放つ。

 薄暗い室内に漂うインクの臭い。事務室か。

 いくつもの机が並んだその一番奥にユトが居た。

 彼のいる場所へ至る道は随分散らかっている。小男が手近な物を投げて抵抗した跡だろう。

 倒れた椅子を避け、書類を踏みながらユトの元まで進む。


「あいつは」

「この向こうです」

 二人の前にはがっしりした扉が一つ。ノブを握って押し引きしてもガタガタ音を立てるばかりだ。鍵を探すか、それとも――

「体当たりでもしてみるか? 二人がかりなら……」

「蹴破ります」

 言うが早いが、ユトは右足を振り上げ扉に叩き込んだ。


 ――ドッゴン!


 重い音をたて、扉は向こう側に吹き飛んだ。

 踵の当たった部分など、硬い物がめり込んだ跡がある。ちらりとユトの足元に目を走らせた。ユトの靴底はジアードのものより随分と分厚い。鉄でも仕込んでいるのか。どこまでも見た目を裏切る男だ。


 二人は警戒しながら扉の枠を跨いだ。

 隣室は会議室だった。机や椅子以外に何もない。

 そこへ逃げ込んだ男はバリケードを作り立てこもるつもりだったようだ。明かりもない真っ暗なその部屋の真ん中で机を抱えて呆然としていた。こんな頑丈な扉が簡単に破られるとは思いもしなかったのだろう。

 素早く室内に視線を走らせる。扉は今ジアードたちが入ってきたものの他に廊下側に一つ。

 しかし、そちらはすでにユトが立ちふさがっている。

 そのままじりじりと距離を詰め、男を壁際へ追い詰めた。

「抗うと罪が重くなります。投降してください」

 諭すようなユトの声に耳も貸さず、男は窓に取りついた。


「逃がすか!」

 ジアードは慌てて床を蹴った。

 しかし、あと数歩足りない。あわや飛び降りるかというその時――


 ――タン!


 軽い音がしたと思ったら、男がひっくり返って室内に倒れこんだ。

 その肩から飛び出す一本の木の棒――いや、矢。矢だ。矢が深々と刺さっている。

「はあ⁉」

「エンシオさんです」

「嘘だろ……」

 この闇の中、狭い路地に一瞬だけ覗いたわずかな的を、たった一矢で。信じられない。

 しかし、確かにその矢羽は辺境騎士団の色に染められていた。


 ユトが拘束具を取り出すのを横目に、窓から身を乗り出してみる。路地の隙間からわずかに向かいの建物が見えた。だが建物のシルエットだけだ。ジアードの視力では、エンシオの姿はおろか、その屋上に人がいるのかすらわからない。

「これで当てたのかよ……」

「暗殺向きなんですよね、あの人」

 遅れて現れた憲兵に男の身柄を引き渡しながら、ユトが宣う。

「さて、次に行きましょう」

 二人はこの場を憲兵に任せ、今度こそ本隊と合流することにした。

 先ほど荒れに荒れていた階段付近にはすでに人影が無く、騒動の中心は事務室と一階奥の部屋に移っていた。階段を駆け下り、本隊の向かったであろう社長室を目指す。

「店舗の奥って言ってたな」

「声がするのはあっちですね」

 ユトの指す方へつま先を向けた、その時――


「地下だ! 地下室発見!」


 誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 乱闘の跡が色濃く残る店舗を抜け、社長室と書かれた扉から中を覗く。

「――暗ぇな」

「灯りが割られていますね。そこ、気を付けて」

 踏み出した足の下でガラスが砕けた。

「随分暴れたようだな。高そうな花瓶も真っ二つだ」

「証拠まで壊してなければ良いんですけど」

 軽口をたたきながら倒れた応接セットを跨ぎ、傾いだ衝立を避ける。

「地下室の入り口は……あれか」

 耳を澄まさずとも、壁にぽっかり開いた穴の向こうから罵声が響いていた。

 前を行くユトが穴に頭を差し入れ、先を確認する。

「とても急な階段があります」

「憲兵たちはこの先だな」

「ええ。僕らも下り――」

「ユト!」

 足を踏み出しかけたユトへ手を伸ばす。

 指先がその腕に届く前に、階段を駆け上がってきた何かがユトに激しくぶつかった。

「くっ!」

 不意を突かれたユトはバランスを崩したが、受け身を取ってすぐに人影を追った。

 ジアードも後に続こうとして足を踏み出した。だが、そこですぐに動きを止めた。耳を澄ます。隠し通路から再びの怒鳴り声聞こえたのだ。


 ――逃げた! 上に行くぞ!


 まだこちらに向かって来る者があるのか。

 振り返るジアードの視界の端で、赤い布が翻る。

 スカートだ。あの女だ。

 昨日すれ違ったあの女だ。


 赤いワンピースで、金髪で、サザニア訛りの、若い、女――!


 咄嗟に盾を構え、体で道を塞ごうとしたが間に合わず、体当たりを受けて怯んだ。女の癖に重たい当たりだった。

「くそ!」

 隙間を潜るようにすり抜けた女。その襟首を左手で掴んで引き倒す。

 着崩れた上着の襟元に、爬虫類の鱗のようなものが見えた。

「魔族かよ!」

 薄暗い部屋に漏れこむ僅かな明かりを受け、ジアードを睨みつけるその眼がギラリと光った。

 その瞳孔は、縦に長い。

 床に押さえつけられた女は全身で抵抗する。ジアードの巨躯を持ってしても女が足掻く度に体が浮く。これは完全に人の力じゃない。

 鳩尾に膝を入れて押さえ、暴れる両腕を確保しようとした。しかし、獣でも取りついたかのように激しく抵抗する女のせいで中々腕を掴むことができなかった。

「クソ!」


 せめて右手だけでも――


 体幹を押さえ、左手を伸ばす。

 その時、女の胸元に置いた指先が何か尖ったものに触れた。

 金属でできた何かと、赤い――


 女が一際大きく跳ねた。


「くっ――!」

 逃げられそうになって、ジアードは咄嗟にそれを引きちぎった。



 女は夜目に鮮やかなワンピースを翻し、開いたままだった入り口から一目散に闇の向こうへ消えていった。



  * * *



 地下へ続く細い階段。その先にあった隠し部屋は、地下とは思えない程の広さを持った――

「工場、ですね」

「工場……ああ、そうだな」

 想像以上の光景に、ただ頷く事しかできなかった。呆然とつっ立ったままのジアードの背中を、隣に並んだユトが軽く叩く。

「表で作戦終了の笛が鳴ってます。僕らも行きましょう」


 憲兵達に混じって外に出た。

 これだけの騒ぎだ。建物の周囲にはやじ馬が、近隣の窓には住人が鈴なりになってこちらを窺っている。そんな視線の一番集まっている所は勿論、縄を打たれた男たちだ。今は入り口の脇に纏められているが、すぐに連行されて行くのだろう。

 ジアードとユトは壁沿いに並び、憲兵たちが慌ただしく走り回るのを眺めていた。役目は終えたとはいえ、帰る前に責任者に報告や挨拶はするべきだろう。

 しかし、マリアも腹黒中佐も地下へ降りていったきり出てくる気配はない。

「隠し部屋の捜査、長引きそうでしたしね」

 確認のために呼ばれ、一度覗いたその部屋は思ったより広く、そして物にあふれていた。

 大捕り物で散らかった分もあるのだろうが、そもそも足の踏み場のない状態だったのだ。荷物を運び出すだけでも朝までかかるかもしれない。

 そんな事を話しながら立ち尽くしていたら、人垣の向こうからエンシオがひょっこり現れた。

「二人とも、無事かー?」

「悪い。一人逃がした」

「捕まえんのは俺らの仕事じゃねえし、気にすんな。そういう意味じゃ、不甲斐ないのは表を張ってた憲兵たちの方」

「でもなあ……一度は例の女を捕えたと思っただけに」

「あ? 偽金使った女? お前遭遇したの?」

「ああ。金髪で赤いワンピースの若い女。組み敷いたんだが、抵抗されて逃げられた」

「マジかー。実技274点のお前から逃げきるとか……まさか、女だから手加減した?」

「いや。ただ、人間じゃなかった」

 エンシオは顔をこわばらせ、声を潜めて確認する。

「例の『混血』か?」

 ジアードも一度周囲に視線を走らせてから、低い声で答えた。

「尻尾はなかった。だが、あの細腕であの腕力はおかしい。不自然な姿勢から俺の体重跳ね除けやがったんだ。それに、首元に鱗が生えてたな」

「そうか――いや、魔族じゃ仕方ねえ」

「でも、取ったぞ」

「何を」

「サザニア帝国が関わっている証拠」

 ジアードは手の中に握っていたものをエンシオに渡した。

「これは?」

「女が上着で隠すようにつけてた。サザニア帝国軍の勲章だ」

「お前、あの状況でよくそんなもん見つけたな」

「体が勝手に反応するんだ、あの国のものには」

「怖っえ、イーカル人怖っえ!」

 エンシオとユトは揃って数歩後ずさった。

 そんなにおかしなことを言っただろうかと頭をがりがりと掻いた。グローブが兜をひっかくばかりだったが。


「それで、ジアードの持ってきたこれがサザニア帝国の勲章……確かにサザニア帝国のもんなんだよな?」

 エンシオの掌に乗せた小さなバッジには金属製のパーツと朱房がついている。金属の部分はサザニア帝国軍の軍旗と同じ模様で、朱房もまたサザニア帝国軍を表す物だ。

「戦場で何度も見た。これは軍のマークに朱房だけだから、略綬だな」

「他に何がわかる?」

「雑魚じゃないが大して偉くないだろうって事くらいだ。前に捕虜にした中隊長がつけてたのに似てる」

「中隊長クラスか」

「わからん。階級章でもあればよかったんだが」

「階級章は――」

「つけてなかったな。ひらひらした服だったし」

 軍服ではないからつけていなくてもおかしくないと告げたら、何事か考え込んでいたユトが低い声で囁いた。


「先入観は良くないと思います。もしかしたら『混血』だからという可能性も」


 エンシオが片眉を上げ、視線で先を促した。

「彼の国での『混血』の扱いを、僕らは知りません。『人』でないから評価が低いとか出世の道が絶たれているという事もあり得ます。

 または、大っぴらにできない存在だから評価と権限のバランスが違うという事も」

「俺らの基準で考えんなってことか。その辺の事情に詳しいヤツっているか?」

「ウチにサザニア人は一人しかいませんよ」

「あいつか――あれとは事情が違うだろ」

「ええ。でも彼の話を聞く限り、あの国では異形は排除の方向でしょう」

 ふむ、と頷いてエンシオも下唇をいじりながらなにやら考えだした。

「おそらく、まともな人権は与えられていない。つまり、人扱いはされないが戦力となる存在――戦奴隷に近いか」

「だとしたら勲章を得ているだけでもかなりの厚遇」

「あいつが帰ってきたら一応聞いてみるか」

 ジアードの理解が及ぶ前に話がまとまったようだ。

 頭を切り替えるようにエンシオは数度肩を回し、話題を戻した。

「それで、当初の目的は」

「偽銀貨製造の痕跡ですね。

 痕跡どころか製造に使った工具や作りかけの銀貨を確認してきました」

 ユトは先程見てきた地下室の光景を語りだす。

 狭い階段を下りた先に広がる大きな空間。それは完全に貨幣工場だった。雑然とした部屋の真ん中には天井に届くほどの大きさの機械が置かれ、そこから棒やロープが伸びている。中央に梃子のようなものも見えたからそれで何かするのだろうが、知識の足りないジアードにはよくわからなかった。

 ただ、床に散らばる金型や模様の入っていない銀貨が証拠になるのだろうという事だけは理解した。


「じゃあ確定だな」

 エンシオが深いため息と共に夜空を仰いだ。

「結局、一番面倒な展開ですか」

 ユトが装備を外しながら憎々し気に言い捨てる。

 それに倣うように兜を取り、ジアードは聞いた。

「すまん、わかってない。面倒な展開ってどんな展開だ?」

「偽銀貨なんて作る意味ないんですよ。夏には偽金貨が見つかってるっていうんだから、偽金貨を造る技術はあるんです。だったら金貨を量産した方が得です」

 言われてみればその通り。しかし、ジアードが工場で見たのは作りかけの銀貨であって、金貨じゃなかった。

「わざわざ銀貨を造る理由――儲けたいからじゃねえなら……経済の混乱?」

「ええ。そしてその先にあるのは、商業国の信頼の失墜です。『安心安全のウォーゼル硬貨』の価値が失われ、取引の場で使われなくなったら、この国は瓦解します」

「つまり」

「こうしてサザニア帝国軍が関わっている証拠を手に入れてしまった以上、休戦撤回は不可避です」

 ユトは先程エンシオがしていたように、真っ暗な空に向かって白い息を吐き出した。


「ああ……面倒臭い」








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