突入の準備
細い路地を伝って指示された建物に入る。
裏口からではわからないが、商家だそうだ。家主は部屋の隅で縮こまっている。突然フル装備の騎士が乗り込んできたらそりゃあ不安にもなるだろう。
人当たりの良いユトが住人に状況説明するのを尻目に、ジアードはエンシオに促されて階上へ続く階段を上がる。
振り返って見えた横顔は、教義を信者に語り聞かせる時のような穏やかな笑みを浮かべていた。
「あれは真似できん……」
「ああ。神官スマイルな。適材適所。強面のお前は威圧担当」
「ひでえ」
自覚はあるが。
そんな下らないことを話しながら急な階段をぐるぐるとのぼり、ようやくたどり着いた小さな扉。
エンシオが合図を出し、音を立てぬよう静かに押し開ける。
その向こうにあるのは、闇だった。
片目ずつ瞼を開けたり閉じたりするうちに、ぼんやりと物の形が浮かんでくる。最初に見えたのは、真っ黒な空を区切るように張り巡らされたローブ。これは洗濯物を干すためのものか。端の方には干しっぱなしのタオル。洗濯用のペグを入れた籠。ボールも一つ転がっている。
そういや、家主が幼児を抱えていたな――などとどうでもいい事を考えるうちに、目が慣れてきた。二人は視線を交わして、そろそろと足を踏み出した。
狭い空間を最大限に活かす国民性はここでも発揮されている。入り口の両側には木箱が積み上げられ、道路側にはプランターやテーブルと、広くはない屋上は物にあふれていた。これは気を付けないと身体をぶつけてしまいそうだ。
二人は腰を屈めて洗濯ロープをくぐり、屋上の端へ向かった。
そして、手すりのある場所から少しだけ首を出して外の様子を窺う。
街灯が遠く、真っ暗な路地には人通りもない。どこかに憲兵が潜んでいるはずだが、その姿を見つけるのは不可能だろう。
そんな暗がりでも、通りを挟んだ向かい側にある建物くらいは確認できる。そこが今回偽金造りの疑惑のかかった商会の建屋だ。見えているのは商店の裏側になる。
「ジアード、俺の言ったとおりだろ。ここからなら向こうの様子が良くわかるって」
「ああ。明かりの漏れている窓がいくつか――ん? 店は閉まってる時間だよな」
「三階と四階には住み込みの社員がいるって話だ。サザニア帝国の商品を扱う会社だから社員の半数はあっちの国から来てるんだと」
「出稼ぎか」
「上階はそういう社員のための寮ってヤツだ。
……改めて見ても変な建物だな」
「変?」
「普通、道に面してたら裏口くらい作るだろ。商品の搬入、ごみ捨て、非常口だとか? こんだけ大きな会社なら尚更。
なのに一階のこちら側には窓すらない」
目を凝らしてみると、確かにその通り。
「二階にはあるのにな」
「この道に面した窓は二階から四階に大小五つずつ、他に左右の壁面にそれぞれ七つ。
一階の窓は――建物の側面にあるだけか。右に五つと……ああ――左の建物との隙間に勝手口がある。だが、あんな不便な位置に作る理由ってーと……」
「あれか。フェンテス中佐の言っていた隠し部屋。だからこっち側に扉を付けられなかった?」
「って事だろうなー」
「しかし、暗いのによく見えるな。俺にはその勝手口の位置からしてわからん」
「建物の真ん中より少し手前。薄茶色の庇がついてる」
言う通りの場所に目を凝らしてみるが、完全に闇の中だ。庇の影すら見えない。
「俺、目ぇ良いんだ。お、あっちにフェンテス中佐がいる」
「どこ」
「二つ向こうの路地。道を封鎖する班が待機してる辺りだな。配置の最終確認だろ」
「見えねえ」
囁くような声で言葉を交わしていたら、背後からユトが近づいてきた。
「エンシオさん。住人の許可取れました」
「終わるまで家から出ないようにって言った?」
「はい」
「んじゃ、そろそろ支度するか」
軽く言って、エンシオは抱えていた包みを解いた。
「……弓」
「おう」
「案外小せえ」
「この距離ならこれで十分」
「街中で飛び道具って危なくねえの」
「外さねえもん」
慣れた様子で弦を張るのを横目に、ジアードとエンシオも装備を確認していく。
先日オーダーしたばかりの防具はまだ完成していないので、今日身に着けているのは共用のものだ。やけに軽くて不安になるが、これもあの工房にあったような特殊な素材を使っているから鉄よりも丈夫だという。
剣はこの間地人の職人から受け取ってきたばかりのあの剣だ。
そっと鞘を払った。くもりもない真新しい剣身が現れる。指先で触れると鉄のように固く、生き物のように温かい。相変わらず変な素材だ。
「その剣って出来たばかりのだろ。具合はどうだ?」
「問題ない。良く手に馴染む」
もう一度鞘に戻し、腰に佩く。完全に複製されたその剣は、重心も以前の剣と変わらないので走り回る事も容易だ。
最後に、軍人時代から使っていた自前の盾を腕にはめる。
「それがイーカル王国の盾ですか」
隣で関節を回し、身体をほぐしていたユトが囁く。
「重たそうですね」
「もう体の一部だ。あんたは、ずいぶん軽装だな」
防具は身に着けているが、武器らしきものはない。
「剣も弓も苦手なんですよ」
話しながら彼はグローブの上から指輪のようなものに指を通した。いや、指輪にしては物騒だ。指の甲の側が尖っているし、左右のリングが繋がっている。
「……まさか、それで殴るのか」
「手っ取り早いので」
いつぞやのスリを伸した時の手腕を思えばそうかもしれないが。
ジアードは以前エンシオが言っていた『最短ストレートで問題を解決する派』という言葉を思い出した。
「この尖った部分が破魔石で出来ているので相手が魔族でも潰せますよ」
しれっと口にするその科白と、神官らしい穏やかな顔が合っていない。
「良し。じゃあ再確認な。
お前たち二人は憲兵に協力して正面入り口から入る。その際、手続きに不備がないかを監視する。大陸法や団規に反する事があったら、ユトの判断で離脱」
「はい」
「目的は偽金作成に関わった全ての者を捕縛し、証拠を押さえる事。極力生け捕り、逃走や証拠の隠滅を許すな――ってのが建前だ。
だが、無理はしなくていい。あそこで何が行われているか『目撃』し『証言』することが俺たちの役目だ。深入りする必要はない」
エンシオは一度言葉を切ってユトを見た。目が座っている。
「と言ったところで勝手に突っ込んでいくだろうが」
「生け捕りですよね。わかってます」
「『目撃』だけで十分だっつってんだろ。憲兵の仕事とるな。
ジアードは荒事に関しちゃこいつを見習わなくて良いから。ついていけねえって思ったら適当に下がれ」
「お、おう」
「質問は?」
ユトが小さく挙手をした。
「任務中に事故で物や人が壊れた時はどこが負担するんですか?」
「ウチじゃねえ。だけど証拠品かもしれねえから極力壊すな。
他に質問はねえな。じゃあ、支度出来たら配置につけ。俺はここにいるから何かあったら連絡」
解散を告げられ、ユトはパンパンと膝をはたいた。促されるまま、ジアードも彼のあとに続く。
弓以外の武器は使えないというエンシオはここで待機するのだそうだ。
屋内へ戻る扉をくぐりながら、ちらりとエンシオの方を窺う。
手すりに寄りかかり、道の向こうを見つめていた。
目標の建物は通りを挟んだ向かい側。とはいえ、ここから見えるのは建物の背面だけ。ほぼ壁だ。ぴったり閉じられた鎧戸の向こうがどうなっているのか、窺い知る事は難しい。
エンシオ曰く、裏口や窓から逃げる者があれば狙撃できる位置取りなんだそうだが、果たしてこの距離で、この暗闇で、標的に矢が当たるのだろうか。
扉を閉める瞬間、夜の帳の向こう――通りの反対側を見つめる彼の口元にうっすら笑みが浮かぶのを見たような気がした。
* * *
「最初が左、二つ目の角を右、次の路地を右で、一、二、三……四つ目の建物」
ユトと二人、標的に気が付かれないよう路地を伝い、大回りして集合場所に向かう。
目的の会社から遠くない場所にある憲兵詰所だ。
時間ちょうどのはずだが、フェンテス中佐と責任者であるマリアは既に来ていて、配置図をのぞき込みながら何か話をしていた。
「……こんばんは」
ユトがやや不機嫌な声で挨拶する。憲兵達が一斉に敬礼の姿勢をとった。ジアードも騎士団式の敬礼で返す。知った顔はいない。この間打ち合わせに現れた憲兵たちはすでに別の場所に待機しているのだろう。
彼らの緊張を孕んだ視線をついと躱し、ユトはまっすぐ奥の机へと歩を進めた。中佐を視界に入れぬようにかマリアの方に体を向け、事務的な連絡だけを淡々と口にする。
「エンシオは予定の場所で待機しています。いつでも行けます」
「ありがとうございます。こちらも最終確認が終わりました」
硬い表情のマリアが応え、こちらに断りを入れてから憲兵たちへと向き合う。
彼女は背筋を伸ばし、いくつかの指示を飛ばした。
概ね「作戦通りに」という内容だったが、中に「魔術師」という単語を聞き取って一瞬心が沸いた。
ジアードが子供の頃に聞いた物語の中で、魔術師が悪の巣窟に乗り込んで大暴れする話があった。今回の事件は正にそれじゃないか。
「――魔術師も、いるのか」
小声でユトに聞いてみる。
「宮廷魔術師が出張って来ているそうです。でも期待しない方が良いかもしれませんね」
「なんで」
「乱戦混戦屋内戦――魔術は全てと相性悪いので。狭い所では、味方ごとドカーンです」
「成程」
「あまりに人が多いと結界も難しいと聞きます。精々救護担当でしょうかね」
「魔法で治療を?」
「安心して怪我してきてください」
痛いのはご免だ。ジアードは眉を寄せ、ユトを睨んだ。少しも通じていない様子だが、機嫌はマシになったのだろうか。口元が微かに弧を描いている。
そうこうする内に憲兵たちの準備も整った。
マリアがきっぱりとした声で宣言した。
「本隊出立します」




