噂の腹黒
「机はいくつ出せば良い?」
「長机が五つだな。今三つ出てるから後二つ。隣の物置にある」
エンシオに指示され、続きの部屋から机のパーツを運び込む。
『机』じゃなくて『机のパーツ』だ。普段使わない机は全て未完成の状態で保管されている。天板と脚に分かれていて、取り外しも組み立ても容易だ。
前に居た国では見たことが無い机に最初は驚いた。しかし、建物がひしめき合うように立ち、内部も部屋も狭いこの国では保管に場所を取らないっていうのが大切なのだろう。
「それ、組み立て終わったらこの辺にぐるっと並べておいてくれ」
「了解」
壁に設置された黒板を囲むように並べろとの事だ。それが終わったら椅子か。
ジアードが物置と会議室とを往復している間に、ユトが茶器を載せた台車を押しながら入ってきた。いつも通り静かにてきぱきと働く彼だが、その表情は柳眉を寄せたしかめ面だ。それに気づいたエンシオがユトの背後に立ち、肩を叩いた。
「いいか、ユト。今日は会議が終わるまで黙っておけよ」
「なんでです」
「あの腹黒が来るからだ。あいつと相性悪いだろ。お前だって話したくないよな?」
贋金の件でここに来る予定の人物――憲兵ではなく、軍の偉いヤツだということだが、これが相当に食えない男であるらしい。『腹黒』という言葉が出るたびユトは苦々しい顔になる。
しかし、約束の時間を前にエンシオも必死だ。ユトの両肩に手を置き、真剣な目で訴える。
「会議が終わるまで一言も喋らなければ嫌な思いをすることもない。違うか?」
ユトは唇を尖らせて子供のように不満を示した。
「『大人の対応』をすれば良いんでしょう? わかってますよ」
「前回もそう言っていたのに揉めたろ。だからいっそ口を開くなって言ってんだ」
「……善処します」
あれ、絶対わかってねえと愚痴るエンシオと膨れ面のまま台車から茶器を下ろすユト。そんな二人に挟まれながら、ジアードは黙々と机を並べ、椅子を配置していった。
時間ちょうどに現れたのは、王国軍の軍人が三人に憲兵が三人。この国の軍人を間近で見るのは初めてだ。国境を越えた時に書類の確認として業務的な言葉をいくつか交わした程度。憲兵だって似たようなものだ。ジアードは不自然でない程度にこっそりと観察した。
当然の事ながら、両者の制服のデザインはよく似ている。憲兵の方が装飾が少なくて動きやすそうだという程度の違いだ。
少し緊張した様子の憲兵達は良い。問題は、紹介された軍人三人の所属がバラバラな事。一筋縄ではいかない事件なのか、それとも捜査体制が一枚岩でないのか。ユトではないが、面倒事のにおいがプンプンする。
静まり返った会議室で最初に口火を切ったのは、ジアードの正面に座っていた女だった。
「まず、私から本件の概要を説明させていただきます」
少し高い、しかし聞き取りやすい声。
彼女は噂の『腹黒』ではない。憲兵で、この事件を仕切っている人物だと紹介された。
仕切っているというくらいだから、それなりの地位にあるのだろう。それは他の憲兵たちの態度からも想像できる。
ジアードは、そんな上に立つ人間が女だという事に面食らった。ジアードが以前居た国では、女が要職に就く事が無かったし、そもそも軍人や騎士など肉体を酷使する職業は男の仕事とされていたからだ。
いや、辺境騎士団になら確かに女性はいる。食堂や廊下で見かける事があるので存在は知っている。しかし、まだ言葉を交わす機会がなく、ジアードは勝手に事務か何かをしているのだろうと思っていた。もしや彼女らも実務を担っているのだろうか。
ともあれ、マリアと名乗ったその憲兵は、小柄で戦闘職には向かなそうな容姿ながらハキハキと喋る印象の良い人物だった。
そしてマリアの隣には明らかに偉そうなやつが座っている。装飾のついた軍服を着た、その男こそがエンシオの言う『腹黒』――明言されていないが、そう確信した。なぜならユトが黙って睨み続けている。
ウォーゼル国軍中佐エルネスト・ナシオ・ル・フェンテス――偉そうな男はそう名乗った。長い名前は貴族なんだろう。若さの割に位が高いのは出自も関係しているのか。
男は挨拶だけ済ますと、後はずっと黙って資料をめくっている。腹黒かどうかはおいておいて、愛想のない男だ。
残りの軍人と憲兵は、四人ともジアードの想像する『軍人らしい軍人』だ。鍛え上げられた身体に、規定通り一分の隙も無い着こなしの制服。そして、ぴしりと姿勢を正し、身じろぎひとつせず座っている。
静まり返った部屋にはマリアの声だけが響いていた。
「――と、ここまでは宜しいでしょうか。続いて二枚目に纏めましたのがここまでの経緯です。
最初に偽造金貨が発見されたのが去年の夏。聖王の式典に合わせて各地から商人が集まり、多くの取引がなされた頃です。
貨幣局を介して報告が上がり、すぐに捜査に乗り出しました。
しかし、大きな式典の最中で人の出入りも金の動きも激しく、偽造金貨がどれくらい流通しているのか、どのくらい国外に流出してしまったのか、把握することは不可能というより他ありませんでした。また、この偽造金貨自体も稀に見るほど出来の良い偽物です。これらの点から迅速な解決が難しい可能性が出てきたので、すぐにこちらのフェンテス中佐に協力を仰ぎました」
マリアに促されて『腹黒』はようやく資料から視線を上げた。冷たい灰色の瞳は淀みなく、まっすぐこちらに向けられる。
「アジトと思われる場所には半年前から部下を潜入させています」
半年前、ということは偽金貨が見つかってすぐ。
「――随分前から」
思わず零れた言葉に、『腹黒』――もとい、中佐は首を振る。
「別件でマークしていた人物の会社が引っ掛かっただけです。
資料三枚目にある通り、表向きは輸入販売の会社です。社長は、サザニア系ウォーゼル人。両親の代でこの国に移住してきて、本人はここで生まれています。主にサザニア帝国製の生活雑貨を取り扱っているので、当初はナイフやフォーク等の金属製品に紛れて原料を運び込み、倉庫内で偽硬貨に加工しているのだと考えました。
しかし、人足として潜入させた部下からは――例えば、倉庫に怪しい部屋があるだとか、不審者の出入りがあったというような芳しい報告もなく、燻っている所で偽銀貨が発見されました。
銀貨は金貨より露見しにくい反面、価値が低い。大量に造らないと利鞘を稼げません。一つ一つハンマーで手打ちをする作り方ではなく、大型の工具を使っている可能性があります。となると、かなり大きな部屋が必要――そういった点から捜査の方向性を変え、私たちが目を付けたのが会社の社屋です」
憲兵の一人が立ち上がり、黒板にすらすらと図を書き始める。
簡単なものだが、見取り図か。それなりに大きな建物に見える。
「社屋は、一階が商品の展示スペースと社長室。二階が事務室と商談のための応接室。三階と四階が社員寮になっています」
「……商品は一階にあるのに商談は二階なのか」
変わった配置だと思ったので口にしたのだが、中佐は我が意を得たりと頷いた。
「商品を見せて相手がその気になったら冷静になる隙を与えず即契約。その為に商談は隣室を用意するのがセオリーですよね」
そのセオリーは知らない。
ただ、偉い奴の部屋は高い所にあるイメージがあって、この応接室と逆にした方が座りがいい気がしただけだ。しかし言わんとするところはわかる。つまり、この不自然な位置にある社長室が怪しいと。そこは同意見だ。
「偽貨幣製造時の騒音は魔術師を取り込めばなんとかなるかもしれません。しかし、大きな工具を持ち込むならある程度の広さ、高さのある部屋が必要です。となると、条件を満たすのは地下のみ。
我々はこの社長室の中に地下室への入り口があると考えています」
「この図を見る限り、この部屋に階段はないな。
フェンテス中佐の言うその『入り口』は隠し扉か何かか」
エンシオが問う。中佐はじっと目を見て頷いた。
「隠し扉だってなら、場所や開け方はわかってるんだよな」
「正攻法ではなかなか社長室の中に入ることができないのです。ただ、壁の厚みと窓の位置からすると西側の壁――この見取り図の飾り棚のある壁ですが、この位置がおかしい。棚を動かせば、その向こうに細い通路や階段――もしくは梯子かもしれない。そういったものが現れると確信しています」
随分と曖昧な話だ。
同じように感じたのだろう。ユトが何か言いたげに一度口を開いて閉じた。隣の席でエンシオが静かに彼を睨んでいる。
ユトが沈黙を選んだのを確認して、エンシオは資料を机に置いた。
「前にも言ったが、確たる証拠がない内は、辺境騎士団が強制捜査に加わることはできない」
「わかっています。証拠はすぐに揃えます」
「どうやって」
「明晩、夜会が開かれるのをご存知ですか」
「んなもん、あちこちでやってるだろう。特に今は新年の祝いだなんだって、どこの貴族も――」
「貴族じゃないです。商業組合です」
「商業組合ぃ?」
その組織については、ジアードもこの国の歴史を学ぶ内に覚えた。商業国家であるこの国では大きな勢力だと聞いている。その幹部ともなれば貴族と違わない資産や権力を持つものも多いのだろう。
「あそこは時勢に敏感ですから。
王家はイーカル王国との和平交渉以来、イーカル王国やヨシュア王国重視の方針と見られています。
それがなくとも、実際に国交が回復すればイーカル製品のブームは必ず訪れるでしょうし、手つかずの市場は魅力的なので野心的な商家はすでに動き出しているようです。
しかし、商業組合としてはバランスも重要。だからこそ、今、北方諸国――主にサザニア帝国関連の会社を盛り立てる会を催すそうです。
勿論、件の会社も招かれています。社長と副社長は出席するでしょう」
「……社長の留守を狙うのか」
「ちょっと覗かせて貰います。証拠をお見せすれば手を貸していただけますよね」
「『その調査の過程でこの国の法律に抵触することなく、また我々の行動が大陸法に反しなければ、辺境騎士団の権限の範囲内で協力する』」
「その文言は辺境騎士団の規約とは少し違いますね。
でもまったく同じ言い回しを聞いたことがあります。以前誰かが――そう、クライッド氏だ。ああ、貴方は彼の上司にあたるのか」
中佐は納得したように頷いた。エンシオはそれに苦笑で返す。ようやく少し緊張が緩んだ。
「ウチの隊はルールより理念を押し付けられるんで、つい。『辺境騎士団規則第二十八項及び二十九項に基づき~』とかやっても良いんだが」
「今更です」
「だよな」
エンシオが飲み物に手を伸ばし、フェンテス中佐は書類を纏め始めた。そろそろ打ち合わせも終わりだろうか。他の者たちも少し姿勢を直したりしているので、ジアードも知らず詰めていた息を吐いた。
後は締めの言葉でも待てば良いのかという空気の中、今まで黙って聞いていたユトがおもむろに口を開いた。
「ところで――裏で何やってんですか」
勢いよく振り返ったエンシオが睨みつける。黙っていろと言っただろうと小声で叱っているが、ユトは完全に無視の姿勢だ。
更に「どういう事でしょう?」とマリアが先を促してしまったので、彼は構わず語りだす。
「フェンテス中佐が仰っていたでしょう。アジトには半年前から潜入捜査中だった、と。
でも偽金貨が見つかったのも半年前。潜入捜査に至るには早すぎます。ということはその潜入捜査は、経営者に目を付けていたという『別件』の方の捜査ですよね」
エンシオが袖を引く。だがユトは止まらない。いつにない早口でまくし立てる。
「今回の件に無関係ならば、この贋金の捜査でそちらの捜査が攪乱される恐れがあります。誤って証拠を汚損しないためにも僕らも内容を把握しておくべきです。
今回の件に無関係でないならば、知らなかったでは済まない問題が内包されている恐れがあります。
どちらにしても聞いておかないわけにはいきませんよねえ?」
中佐は資料を束ねる手を止めて、ユトの瞳をまっすぐ見つめた。
ユトはじっと見つめ返した。まだ黙る気はないらしい。
「ただの贋金問題なら、ウォーゼル王国軍で事足りる話でしょう。なのにこちらに依頼が来た。
辺境騎士団が巻き込まれるような案件ってなんですか?」
「おい、ユト!」
エンシオが肩を掴んだ。
しかし、それを無視してユトは机に手を叩きつける。
ダン!と大きな音がして、マリアが大きく肩を揺らした。
「回りくどいのも、裏でこそこそするのも、面倒臭いんですよね」
丁寧な口調ながらドスの利いた声。大人しそうな容貌に不似合いな高圧的な視線。憲兵たちは目を白黒させている。
「さっさと決着付けたいので、ゲロっちゃってください」




