安心安全のウォーゼル硬貨
新年の浮ついた空気もだいぶ収まり、日常を取り戻し始めてきたその日。
朝課を終え、ジアードは騎士団本部の建物に通用口から入った。汗を拭き拭き歩く彼とは違い、隣を歩くユトは今日も涼しい顔をしている。身体能力の優れた民族だからだという事だが、なんとも羨ましいことだ。
「今日は何すんだ?」
「午前中に出向中の勤怠等を書き上げてしまいたいので、その間は自習をお願いします。午後は、君の剣を受け取りに行きましょう」
「剣?」
「辺境騎士団の紋章入りの剣を注文していたでしょう。完成したと工房から連絡が入ったそうです。早めに受け取りに行った方が――おや。揉めてますか」
ユトは事務室のドアノブに手をかけた所でふと動きを止める。視線の先は廊下の向こう。会議室・応接室・団長室など、普段ジアードの近づかない部屋のある方だ。
「あの声は――エンシオ」
「あ?」
耳を澄ませてみるが、話し声どころか揉めている気配すら感じられない。
しばらくして団長室の扉が開いた。出てきたのは、エンシオ。彼は書類の束を抱えて難しい表情をしていたが、二人に気が付くとぱっと顔を輝かせた。
「ユト! 良いところに! なあ、これ聞いてる?」
話しながら彼は数枚の紙の束を差し出した。
ユトはそれをパラパラとめくりながら事務室の一角――ジアードが勉強に使っている机のある方へ歩き出す。
「これは――ああ。ダウィさんが休暇前に手掛けていた件ですね。詳細は一切聞いていません」
にこやかな笑顔だが、こめかみ辺りがひきつっている。余程の内容なんだろうか。
「帰国前日に徹夜で報告書を書いて団長に提出した――のは良いんだが、出すだけ出して団長が読む前に帰っちまったんだよ、あいつ。
おかげで、その先の面倒ごとが全部俺ん所に来てんだけど」
小走りでユトを追いかけながら不満を露わにするエンシオと、爽やかな神官スマイルでそれを交わすユト。
「任されたんですね」
「押し付けられたんだよ。おかげで年明けからこっち休む暇もねえ。
次はどこだ? 憲兵に確認取ってから支部長捕まえて……って、おい、本部で手が空いているヤツいねえじゃねえか」
勤務予定表に向かって愚痴愚痴と文句を言いながらエンシオはチョークを手に取った。
自らの予定のところに『午前・憲兵総局/午後・会議室』と書き込む。
書きなぐった割に読みやすい字だと感心していたら、おもむろにジアードとユトの予定を数日分四角く囲った。
「エンシオさん! 何を――」
咎めようとしたユトを半ば座った目で見据え、エンシオは言い放った。
「今日明日の午後と、それからこの日。二人とも空けておけ」
「面倒事ならお断りします」
すっぱりとユトが言う。
「仕方ないだろ。俺たちの仕事だ」
「あなたの仕事でしょう? 巻き込まれたくないです」
「俺の戦闘力の低さをを知ってるよな」
「つまり荒事なんですね。脳筋ならそこらにいくらでもいるでしょう」
「団長命令」
そう言い捨てて、エンシオは足音荒く表に出て行った。
* * *
午前中に書類を書き上げたいと言っていたユトは、予定より少し早くそれらを提出し、二人は早めの昼食にありつけた。昼食時は空席が見当たらないほど混むので、まだ空いている時間というのはとても幸運な事だ。
焼いた肉が盛られたサラダと卵料理。それに塩漬け肉の入ったスープ。更に丸パンと果実が用意されていた。体が資本の仕事なためか、昼食は重めな内容だ。ジアードは一通りの料理を受け取ったが、ユトは「サラダは肉抜きで」と厨房に声をかけていた。
「そろそろ脂がきつい年なんですよ」
「――って割には量食うのな」
肉の代わりに野菜を足されていたというのにあっという間に完食している。フォークを置いたのはジアードとほぼ同時だ。
「若い頃に比べればだいぶ……ああ。混んできましたし、そろそろ戻りましょうか」
他の者たちが昼休憩に突入したようなのでトレーを片手に席を立つ。食器返却口で調理員に軽く挨拶をしていたら、タイミングを計ったかのようにエンシオが食堂の入り口に現れた。
午前中に会った時より更に不機嫌そうな半眼で食堂を見まわし、二人の元にまっすぐ足早に向かって来る。そしてユトの袖を掴み逃げられないようにしてから、疲れ切った顔で口を開いた。
「会議室、行くぞ」
気乗りしない様子のユトを引きずるように廊下を進むエンシオ。
よく見れば外套を着たままだ。外から帰ってきたばかりなのか。
「なあ。お前、飯は」
「食う暇ねえ」
エンシオは会議室に入ると倒れこむような勢いで椅子に腰を下ろした。
「大丈夫かよ」
「夕飯は食える。飯食いながら打ち合わせだって言われてんだ。まあ、あっちも食う暇ねえって事だろうがな。
――そんな訳でこれだ」
パチンパチンと音を立ててジアードの前に置かれたのは、二枚のコイン。
「何かわかるか?」
「銀貨?」
「これはソユーの孫の……ええと、フアナ、か。そのフアナが持っていた銀貨だ。ダウィから預かった。
報告書によると、昼食代としてダウィに渡された三枚の銀貨のうちの二枚だそうだ」
ジアードは魔衝石の運搬任務の帰り道の事を思い出した。確かに、ダウィは受け取った銀貨をいつもの財布ではなくハンカチに包んでしまい込んでいた。
「見てみろよ」
促されて手前の一枚を手にとってはみたものの、この国で発行されている普通の銀貨だ。表面の女の横顔は服装からして王妃か王母かだろう。裏面には標語のようなものとと何年に発行されたものかが飾り文字で刻まれている。具に観察すれば小さな花や蔦が描かれていて器用なものだと思うが――感想としてはその程度で、見慣れたいつもの銀貨だ。
「気づいた事は?」
「……別に」
ちらりとユトを見るが、彼はもう一枚の銀貨を矯めつ眇めつしているだけで何も言わない。
「ちなみに、これがフアナがダウィに渡した残りの一枚だ」
エンシオが差し出すコインをそのまま受け取る。銀貨が二枚に増えた。
「銀貨だな」
「わかんねえよなあ。先にお前らに渡した二枚は偽物。最後の一枚だけが本物のウォーゼル銀貨」
「偽金⁉」
「ダウィが『重さが違う』とか言いだしたんで調べたんだが――ああ、ジアードはこの国に来たばっかりだから知らねえか。ウォーゼルの硬貨はな、国家機密の技術ってので、すっげー細かい装飾がされてんだ。これはなかなか真似できないらしい。しかも、どれもまるきり同じ大きさ、同じ重さなんで偽物がつくりにくい。商売する奴らには『安心安全のウォーゼル硬貨』なんて言われてる程だ。
で、そのまるきり同じはずの重さが微妙に違うから偽物じゃないかってダウィが持ち込んで来たんだ……が、正直俺にはよくわからなかった」
ジアードは左右の手に本物と偽物を一枚づつ持って比べてみたが、違いが分からない。重さも見た目もまったく同じに見える。
「貨幣局のヤツがでっかい拡大鏡で確認したら、ほら、よーく見るとな、数字のこの――文字の間な。本物は細い線がくっきりしていて少し隙間があるだろ。偽物はここが繋がってるんだ」
「……確かに」
事前に知識があった上で注意深く観察しないとわからないレベルの違いだったが。
「本当に偽物だってなら大問題だ。貨幣局出て、その足でソユーに確認しに行ったらな。あの婆さん、手広くやってんだよな。出所は市場だった。
で、その市場の主だった店を回って回収できた偽物がこの袋の中身」
どさりと置いた袋はそれなりに大きく重そうだ。全部銀貨だとしてもいくらになるのか。
「ついでに市警で確認したら、金貨でも偽金騒ぎがあったらしいんだな。こちらは持ち込まれた宝飾商がすぐに気が付いて報告されたんだが」
エンシオはジアードたちから偽金を回収しつつ、深くため息をついた。
「金貨は大金だからな。受け取るほうも気を付けるが、銀貨はあまりよく見ねえから気が付きにくいんだな。実際どれくらいの数が出回ってんだか」
これが世間に知れたら大騒ぎになるだろう。経済的な混乱は勿論だが、それ以前に、犯人が憲兵や辺境騎士団の動きに気付く前に尻尾を掴まないと証拠を隠滅される恐れがある。だからエンシオは焦っているのだ。
「――で、だ。
偽銀貨の出所を探っている憲兵の連中の聞き込みで挙がったのが『金髪の若い女と中年の小男』。
偽の金貨を宝飾店に持ち込んだのも『金髪の若い女と中年の小男』」
「出所は同じか」
「詳しく聞いたら、どうもそれがサザニア人っぽい。顔立ちや訛りがな」
「サザニア……」
「お、こっえー顔」
思わず真顔になったジアードとは逆に、エンシオはようやく表情を緩めた。
「お前の母国もサザニア帝国と戦争中なんだろ。
ああいや、この国は一応停戦協定が生きてるんだがな。ここんとこ、ちょーっときな臭え。
吹けば飛ぶような小さな国だから、上はまあ慎重だ。だが、現場はサザニア帝国の気配がするってだけでピリピリしてる。
そんな所にこの贋金だ。『安心安全のウォーゼル硬貨』の価値が暴落したらどうなると思う。商業国において金は全てだからな。ここまで来りゃ、さすがの慎重派も重い腰を上げるってもんだ。
で、今はウォーゼル王国軍のお偉いさんが直々に動いて証拠集めをしている所だ。贋金造りなんて簡単にできるもんじゃねえ。きっと裏にでっかいのがいる」
「……サザニア帝国が関わっていたら、どうするんだ」
ジアードが問えば、エンシオは「何もしねえ」と肩を竦める。拍子抜けた。
「それはウォーゼル王国軍のお偉いさんや国王陛下が考える事だろ。中立を旨とする俺たちにゃ関係ない」
「そりゃそうか」
「ただ、贋金造り自体は大陸法に反する犯罪だ。依頼されれば出来る範囲で手伝う事になる」
エンシオは倦んだ顔で証拠品の銀貨を回収し、袋に戻した。
「なんて言ってはみたものの、傍観者じゃいられなそうだ。ウォーゼル王国側から『いざという時には宜しく』ってな」
「いざって時ってなんだ」
「主犯がサザニア人なら国境を越えた犯罪になるかもしれないから――って事だけど、あの腹黒がわざわざ直で連絡してくんだから確証があんだろうなあ」
ジアードには心当たりのない人物だが、ユトには伝わったらしい。物凄く嫌そうな顔をした。
「あいつですか……面倒くさい」
エンシオはそんなユトの肩をぽんぽんと叩き、ため息交じりに告げた。
「その面倒くさいヤツが来るから、明日の午後は昼の鐘の頃にこの部屋集合な」




