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新年の儀式


 新しい年を迎える時ってのは、だいたい一人じゃなかった。

 子供の頃は家族がいたし、軍に入ってからは繁華街の警邏中に新年を告げる鐘を聞くのが恒例だった。警邏は二人一組と決まっているから傍らには必ず誰かいて、鐘が鳴ると同時に挨拶を交わしたものだ。


 あれは一昨年の事だったか。一度だけ、街の中ではなく、詰所で年越の鐘を聞いた事があった。小火騒ぎだとか酔っ払いの喧嘩だとかが重なって、一晩中バタバタしていた年だ。

 責任者としてそこを離れる訳に行かないジアードはそういった仕事をそれぞれ部下たちに分配しつつ、自分は裏方に徹していた。

 ぱちぱちと火の粉の踊る音を聞きながら、書類仕事に没頭すること数時間。鐘の音と同時に広場の方から歓声が上がるのが聞こえた。新年の挨拶でもと報告書を書く手をいったん止めて部屋を見回し――それでようやく、そこにいるのが自分一人きりだったと気が付いた。

 誰もいない年越しとは珍しい事もあるもんだとは思ったが、さして気にもせず再びペンを手に取ったところで、詰所の扉が開いた。


 人々の盛り上がる声を背に、冷たい外気を連れて入ってきたのは、頭からすっぽりフードをかぶったマント姿の人影で。

 背を丸めているせいで顔は見えなかったが、寒風への不満を口にする声だけで誰だかわかった。

「一人か?」

 戸口の向こうを確認しても、行動を共にしているはずの騎士の姿がない。

 そこまでは一緒だったと言い訳めいた様子で『彼女』は言う。


 新年の人混みではぐれたか、それとも――ジアードに知られるとまずい事があるのか。


「酒か」

 普段は真面目なあの騎士の唯一の欠点は酒を勧められると断れない事だ。外の盛り上がりぶりを見ると誰か知り合いにでも会って飲まされているんだろう。多少酔った所で任務に支障をきたすような男ではないからジアードは目をつぶる事にした。

 今日は特別な夜だ。

 連れの騎士が戻るまで座っていれば良いと告げ、椅子を用意する。

 兵士の詰所なんぞ大したものがないが、夜食に差し入れられたパイが残っていた。食い物があるなら茶でも――と思った所で冷めきった薬缶が目に留まった。煮出した後に放置された茶は渋すぎて飲めたもんじゃない。それに寒いというなら沸かしなおした方が良いだろう。

 新しい水を入れた薬缶を火にかけた。

 揺れる炎を眺めながらえぐみすら感じる渋い茶に顔をしかめていると、『彼女』は笑った。


 鎧戸の向こうから祝い唄が聞こえてくる。賑やかなはずの祝い唄なのに、壁一枚隔てた分いくらか和らいだ音は穏やかなものだ。

 『彼女』はそれに合わせてゆるゆると上半身を揺らしていた。

 長めの髪が右に左にするたびに、暖炉の火を受けてかすかに煌めく。

 唄が幾度目かのサビに至ったところで、彼女はふと気が付いたように顔を上げた。

 そういえば新年の挨拶がまだだった、と。

 暖炉の火がパチリと爆ぜた。紅潮した頬がゆるりと動く。

 全てが満たされたような表情で、『彼女』は――



「ジアード! ジアードってば!」



 はっとして振り返ると、『彼女』と同じ髪色の少女がこちらを見上げていた。

「やっとこっち向いたー。ずっと呼んでたんだよ」

「――悪い」

 こんなところに知人などいないと思って呆けていた。

 後ろから袖をひっぱっていたらしい事にも今気が付いた。

「お前、なんでこんなところに」

 深夜の市場通り。特別な日の特別な場所へ続く道は、大勢の人で溢れていた。そこにフアナが居ること自体は不思議な事ではないけれど、まさか出くわす事があるとは思わなかった。

「家族で新年の礼拝に行く途中。ジアードもでしょ?」

「礼拝――いや、昨日少し神殿の手伝いをしたから、あの後どうなったのか見に行ってみようと思っただけなんだが」

「どこの神殿?」

「大地の女神のところだ。それにしても、こんな人混みの中でよく俺を見つけられたな」

 周囲を見回せば、道路の敷石すら見えないほどの人、人、人――だ。

 神殿などの施設が全て川の向こう側にあるとあって、人の群れはぞろぞろと橋のある方向へ流れていく。

「ジアードは身体が大きいから、すごく目立ってたよ。最初はお婆ちゃんが見つけたんだけどね。『どうせ一緒に過ごす相手なんて居やしないんだから一緒に居てやんな』って先に行っちゃった」

「相変わらず口の悪い婆さんだ」

 まだこの町に友人もいない事は事実ではあるが。

「しかし良いのか? 俺は礼拝に行こうって訳じゃないぞ」

 今から追いかければ家族もそこらにいるだろうと言ってみたが、フアナは首を横にふった。

「私とお婆ちゃんはほら、『運び屋』だから。あんまり神殿の礼拝を重視してないんだよね。

 ええとね。神様に感謝をしないわけじゃないんだ。ただ、こう……あっちこっち旅に出て魔術を使うでしょ? そうすると魔力の繋がりを感じるの。どこからでも同じ、『世界』と繋がっているような感覚?

 だからどこで祈っても一緒だって思ってるってだけで」

 私は家で祈るから良いのと言いきる顔に偽りはなさそうだ。

「んじゃまあ……大地の神殿と火の神殿に行ってみっか」

「火?」

「フアナの魔術は火の魔術だっつってなかったか。そしたら行くのは火の神殿じゃねえの?」

 ぱっとフアナの瞳が輝いた。

「つっても、俺は火の神殿の場所知らないんでな。案内は任せた」

「うん!」



 昨日とは違う賑わいの神殿の中に入る。

 大地の女神というだけあって信徒の大半は農民なんだろう。着飾っていてもどこかやぼったくて、漁村出身のジアードにはなんというか、丁度良い。

 中庭に造られた祭壇で、ユトが儀式を仕切っていた。真っ白な神官の衣装に淡い金の髪が映える。遠目に見ている分には本当に普通の、柔な神官に見える。かがり火の光を受けて鈍い光を跳ね返す騎士の指輪の方が違和感を覚える程に。

 ユトが掲げた麦穂の束を祭壇の上の少女が受け取った。あれは神官長のフラウ・リウィ。地人の成人女性だ。

 彼女は階段を芝居がかった仕草で一段一段降りてくると、祭壇前の整地された花壇のような場所に立った。

 小さな指でぷちりぷちりと麦穂から実を摘んでいく。

 そしてその実を空に放り、花壇にばらまいた。

「……種蒔き?」

 こんな時期だっただろうか。ほんの数日前に魔衝石を受け取りに行った村ではすでに麦の芽が生えそろっていたように思うが。

 まんべんなく種をまき終えた辺りで神官たちが神官長の後ろにずらりと並んだ。


 ゴーン……ゴーン……ゴーン……


 年が変わる事を告げる鐘が鳴った。

 静かに儀式を見守っていた人々が一瞬ざわめいた。

 前に居た国では年越しと同時に大きな声で周囲の人と挨拶を交わし、酒を酌み交わして盛り上がるものだったが、この国では違うらしい。

 すぐにまた口を閉ざし、神官たちの方に真剣な視線を送っている。


 神官長フラウがすうと息を吸った。


 ――はじめにそこに光が降りた

 固き黒き大地に光が降りた

 命の無いその場所で

 光は問うた

 ここには何が足りないのかと――


 大地の女神を讃える歌だ。


 冷たい夜気の中、フラウの少女めいた高い声が静かに響く。

 それに唱和するように神官たちが続き、信徒たちも歌いだす。

 

 花壇がぼんやりと光り出した。

 淡い金色の穏やかな光だ。それは以前、ダウィの犬が使っていた魔術の光によく似ている。 


 ――そこに光があった

 地に足を沈め人は立つ

 

 歌とともに魔術の光が最高潮になったとき、ぽこり、と花壇の表面が揺れた。

 まいた種から白い根が伸び、柔らかな土に吸い込まれていく。


 ぽこり


 地面が揺れて種が立ち上がり、その下から薄緑の葉が姿を現す。

 気が付いた時には花壇一面に緑の麦の葉が生え揃っていた。


 本来なら半月ほどはかかるだろうその生長が、瞬く間に終わっていた。

 魔衝石を受け取りに行った時に見たあの麦よりも太くしっかりした茎で素人目にも健康な麦だとわかるものだ。

 歌の終わりと同時に人々がどよめく。


「すげ……」


 ジアードも思わず呟いていた。

 来年の豊作を祈り、そしてその祈りが通じたかのように育つこの麦の姿を見せられては女神の力を信じずにいられない。



 人の波にのって中庭から出るもあの不思議な光景が頭から離れなかった。

「ねぇねぇ、ジアード。すごかったね」

「あの麦、光ってたな」

「うん、あれくらいの魔力だと、たぶん明日の朝くらいまでは魔力でぼんやり光って見えるんじゃないかな」

「あのままにょきにょき伸びるのか」

「さすがにそんな事ないと思うよ。ふつうの麦みたいに夏前に収穫して収穫祭の供物にするんだって聞いたことあるから」

「すっげえなあ」


 出口の辺りで信徒に蝋燭を配る人たちがいた。あの屋台は昨日ジアードが設営を手伝ったものだ。

 あの後、さらに赤の実の付いた枝なんかが飾り付けられたらしく、最後に見た時より華やかになっている。

 ジアードもフアナも信徒ではないので蝋燭の列には並ばずにすり抜けようとしたのだが、その姿を目ざとく見つけた誰かに声をかけられた。


「昨日の騎士さん!」


 屋台の設営の時に周囲で作業していた女だ。たしかオレンジを分けてくれた爺さんの親戚だとかなんだとか。途中で飲み物を差し入れてくれたからぼんやりと顔を覚えていた。

「昨日はありがとうねえ。よかったらこれ、持って行っておくれ」

 そう言って蝋燭を二本、ジアードの胸に押し付けてきた。

「良いのか」

「いいのいいの。毎年残るくらい用意してるんだから。

 ああ。騎士さんはこの国に来たばっかりだったっけ。この蝋燭の芯はね、毎年この神殿で捲く麦の藁をつかってんのさ。普通の蝋燭草を使って作る蝋燭より火は小さいんだけどね。まあ縁起物さ。使い切ると今年一年健康に過ごせるなんていうんだ」

「へえ……すまねえな」

「ははは。礼を言うならまた祭りの時にでも手伝っておくれ。騎士さん力持ちだからすっごく助かったよ」

 背中を叩かれ送り出された。

 縁起物だという土産の蝋燭は二本貰ってしまったので一本をフアナに渡す。

 農家の子ではないフアナには珍しいものだったらしく喜んでいた。


「あ、ねえ。これを使い切ると良いんだよね」

「そう言ってたな」

「じゃあ、このまま火の神殿まで行こう!」

 元からその予定だったので否やはない。

 フアナに導かれるまま、どこかの神殿の前やどこかの墓の脇を通って比較的人の少ないエリアにたどり着いた。

「火の神殿は神事で火を焚く事が多いでしょ。だから他の神殿から少し離れた所にあるんだよ」

「そういや、イーカルの王都でもまわりに民家の無い所にあるな」

「火事とか怖いもんねー」

 

「お、ヨシュア人! ダウィの連れのヨシュア人じゃないか! 相変わらずデカいな。熊みたいだ! だがすぐ見つかる! すぐわかる!」

 向こうからちょこちょこ近づいてきた影が、小さな体を精一杯に伸ばしてジアードの方に手を振った。

 その特徴的な体つきと変わった言葉づかいですぐにその人に思い至った。

「あー……鍛冶屋の」

 この町に来たばかりの頃にダウィに連れて行かれた鍛冶屋の爺さんだ。ジアードが初めて見た地人でもある。

「おう。覚えていたか。覚えていたか。なんだ、ヨシュア人。こんなところで。どうした。こっちには何もないぞ。何もない。デートには色気がなさすぎる!」

「デートじゃねえよ。この先に火の神の神殿があんだって?」

「ああ。俺も今行ってきた所だ。鍛冶のために一日中火を扱っているからな。火の神様にありがとうございましたって言わなきゃいけねえ。今年もよろしくって言わなきゃいけねえ。

 なんだ、お前も鍛冶に興味があるのか」

「いや、この連れが、火の魔術を使うってんで――」

「ああ。なるほどな。綺麗な魔力を感じるぞ。透明な魔力だ。あんた良い魔術師だな」

 鍛冶屋の地人はフアナを覗きこんでニヤリと笑った。

「さて、俺は良い地人。良い地人は愛の邪魔をしない。俺は大地の女神の神殿にも挨拶に行かなきゃいけないんでここでさよならだ。

 あんたの剣はそろそろ仕上がるんでしばらくしたら取りに来な。取りに来ると良い」

 なんだか誤解をされているようだが、否定する間もなく鍛冶屋は飄々とジアードたちの来た方へ去って行ってしまった。

「聞いた? ジアード! 今の人、私の事『良い魔術師』だって!」

 フアナも大概人の話を聞いていない。

 まあ、なんだか喜んでいるようなので放っておいた。


 火の神殿についた時にはもう神事は終わっていて、大地の女神の神殿で見たような光景を見ることはできなかったが、神事の名残の大きなたき火はまだ激しく燃え盛っていた。

 フアナが胸の前で手を組み祈りをささげている間、ぼんやりと火の粉が散るのを眺めていた。ここでもやはり魔術のような儀式が行われたのだろうか。炎の端がちりちりと踊る様が普通の炎とどこか違うような気がする。

「ねぇ、ジアード。私思ったんだけどさ」

 いつの間にか祈りが終わっていたフアナが、先ほど貰った蝋燭をちらちらと目の前で揺らした。

「これにね、この火をうつしていったら、なんかご利益がありそうな気がしない?」

「なるほどな」

 フアナは今まで持っていたランタンの明かりを一度消し、貰った蝋燭と交換した。

 それにならって、ジアードも腰に下げていた折り畳み式の燭台を外して組み立てる。

「確かに小さいけど、綺麗な火だね」

「あんなに轟轟燃え盛ってる火から移したってのに、こっちは穏やかなもんだなあ」

 それぞれに小さな炎を愛でながら、来た道を戻る。

「そういえばさ、ジアード。まだ新年の挨拶してなかったや」


「新年おめでとう。今年もいっぱい、よろしく!」








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